拝啓。わたしから君へ

一ノ宮ひだ

1.

 昔々あるところに、世界のすべてに嫌気がさしたひとりの少女がいました。

 悲しみを振り返る時間も、嬉しさを巻き戻す勇気もなく、目に映る景色も、耳に届く音も、心に触れるものすべてが色褪せて見え、どこか遠くへ逃げ出したくてたまらなかったのです。


 ある日のこと、彼女は山奥を走る小さな汽車に飛び乗り、ささやかな旅に出ました。

 列車はガタンゴトンと音を立てながら闇を抜け、まるで世界から切り離されたように静かに進んでいきます。

 窓の外に広がるのは、ただ黒い風景だけ。何ひとつ見えないその景色に彼女は飽き、次第にまぶたが重くなっていきました。

 そして、深い眠りへと、漂うように落ちていきます。夢すら見ない、ただただ静かな眠りでした。


 どれほど時間が経ったのでしょう。

 ふと目を覚ますと、列車は「飛騨一ノ宮」という山奥の駅で停まっていました。


 少女はホームに降り立ち、夜の冷たい空気に白い息を吐きます。

 見上げた空には、分厚い雲と夜の境界に隠れるように、ほんの少しだけ星が顔を覗かせていました。


 無人の駅、夜はひとりきり。

 しかし、なぜだか不思議な安らぎが心に降りてきます。

 

「ここにいてもいいんだよ」と、遠い空の向こうから、誰かが囁いているような気がしたのです。

 だけど、後ろを振り返っても、前を見ても、人影はありませんでした。


 駅舎の薄暗い明かりが微かに灯り、有線イヤホンから流れる音楽が彼女の心をそっと包みます。足下からは、黒のジャックパーセルが靴下越しに、どこか焦れったい温かさを生んでくれています。

 小さな温もりが消えないよう、首元のタータンチェックのマフラーをぎゅっと握りしめ、彼女は誰もいない夜の中、静かに次の列車を待つのです。


 何かを吐き出すでもなく、何かを求めるでもなく。怖くないわけではないけど、誰かに怯えるわけでもなく。

 ただ、そこにいるだけで救われる夜もあるのだと、少女は知ったのです。


 藍色に染まる夜空から雪の結晶がひらりひらりと落ちてくる中、汽車はゆっくりとホームに入ってきます。

 身体を蝕むような寒さを振り切って車内に入ろうとしたそのとき、彼女はもう一度だけ、後ろを振り向きました。


 やっぱり、どこにも人の姿はありません。

 不思議に思いながらも、少女は心の中で、ただ「ありがとう」と呟きました。


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