凡人による物語の書き方みたいなもの

タカハシあん

第1話 書く人へ

 小説を書きたい。


 って思って思っている間はまだ自分の中で熟してないだけだと思う。


 熟した人はもう書いているから。見切り発車でもいい、作法なんて知らなくてもいい、ただこの思いを文章にしたくて動いているものだから。


 そういう人はそのまま突き進めばいい。文章なんて慣れ。失敗を繰り返して書いてりゃちょっとずつ上手くなっていくものだ。


 まあ、才能はあればあったことに越したことはないが、0でもなけりゃなんとかなるもの。物語なんて妄想と同じ。妄想を突き詰めて行ったのが物語になるだけだ。


 とまあ、身も蓋もないが、天才でもなければそんなもの。凡人は凡人なりの道を進めばいいだけだ。


 ただ、いろんなタイプはいるもの。書きたいと思った理由もいろいろ。じゃあ、書きたいって思ったのはなぜだ? きっかけはなんだ?


 よく一年で千冊は読んだと口にする人がいるが、一年で千冊くらい読めるでしょう。さすがに二千冊とか言われたら金持ちか! って突っ込みたくなるけど。


 自分も千冊くらい読んでた。仕事がある日でも二、三冊は読み、休日は本屋巡りして一週間分の本は買ったものだ。


 普通でしょう? って思考が狂ってるんだけどね。


 そんな生活を三年くらいしてたら書きたくなった。自分の物語を書きたくなった。気がついたら書いていた。


 従兄弟にも読書家はいた。自分よりさらに凄い量を読んでいた。でも、書きたいとは思わなかったみたい。


 本をいくら読んでも書きたいと思わないなら才能はないんだと思う。あっても目覚めるほど熱がなかっただけ。書きたいと思って書いている人には才能があった。才能が目覚めたんだと思う。


 まだ書き出してない人でも創作論とか読んでいる人には才能の種が宿っているんだと自分は思っている。


 それでも凡人の才能。天才から見たら誤差みたいなもの。気のせいじゃね? ってくらいなものだ。


 でも、書き出さなかった人よりは才能があった。0ではなく1があった。そこが大きいと思うし、決定的な差だと思う。


 1を2に。2を3に。3、4、5と増やしていけ。天才に追いつくことはできなくても自分の物語には向かっているから。


 しかしながら多くの人は自分に才能がないと諦めてしまう。生活に追われて辞めてしまう。才能以上に現実が邪魔をしてくる。


 そのとき、辿り着く場所を人は絶望だ呼ぶのだろう。


 自分もそこに辿り着いた一人だ。長いこと足踏みしていたものだ。


 でも、そこは絶望ではないとわかった。ただ勘違いしていただけ。そこは、無駄なものを削ぎ落とした場所でしかない。自分にとって大切なことがわかる場所に辿り着けただ。


 ちょっと目を動かせば見つかる大切なこと。書くのが好きって思いを見つけられたら真のスタートだ。あとはまだ見ぬゴールまで突き進むだけだ。


 いい例えかはわからないけど、それはリバウンドみたいな状態。一旦、食欲に火が点いてしまえばあれやこれやと食べたくなる。自分にとって無駄だったものが栄養だったと気がつく。経験は先を目指すための糧だったんだから。


 書きたいか? 書きたいだろう。もう書いているだろう?


 じゃあ、もっと書け。書いて書いて書きまくれ。おもしろい物語を読ませてくれ。君の読者ファンが待っているぞ。


 ──────────────────


 人気になりたい、書籍化したいとかは遥か先だ。目標に持つのはいい。でも、まずは書くことを楽しめ。妄想を楽しめ。自分が楽しくない物語がおもしろいわけがない。おもしろくできるのは天才くらいなもの。凡人にできることじゃない。凡人こそ好きこそ物の上手なれ、だ。

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