非日常の入口
SIREN本部は、都内――東京湾上の人工島――に存在した。
表向きには天花寺貿易本社となっており、内部でSIREN本部と天花寺貿易とが別れているとのことだった。世界を股にかける超大手企業の本社という職場見学でも滅多に訪れることのない大会社に、月愛たちはすっかり圧倒されていた。
正面から入り、専用エレベーターに乗り込んで暫く。ポーンという軽い音がして、目的階に到着した。其処は地上を遙か眼下に望む高層階で、大きな窓を左手に絨毯の敷かれた通路を進んでいく。そのあいだ誰もなにも言わず、サクサクと乾いた足音が響くばかり。
やがて辿り着いたのは、両開きの重厚な扉の前。白い狐面の男がノックをすると、中から穏やかな男性の声で応答があった。
「失礼致します。天都市東高校の生存者をお連れ致しました」
扉を開き、中へ向かって狐面の男が頭を下げる。それを背後で眺めながら、月愛は今更ながらとんでもないところに来てしまったという思いでいっぱいになっていた。
狐面の男に続いて、美月が中に入る。入口でまごついている三人を美月が手招き、職員室へ入るときの百倍は緊張しながら「失礼します」の言葉と共に入室した。
室内は、ドラマなどで見る社長の応接室を更に広く立派にしたような空間だった。艶のあるダークブラウンの机に、黒い革張りの椅子、足元の絨毯は廊下のそれよりも毛足が長く、進む度に靴がふわりと沈む。天井や床を見ても継ぎ目がわからないほど綺麗で、早くも学校のジプトーンとリノリウムが恋しくなってきた。
「ご苦労様でした。下がってください」
「はい。失礼致します」
狐面の男が、胸に手を当てて頭を下げ、月愛たちに一瞥もくれずに退室していく。扉が閉まるのとほぼ同時に、穏やかそうな男性が口を開いた。
「まずはお疲れ様です。そして、天都市東高校でのことは本当に無念でした」
美月が表情を歪める。
隣でそれを見ていた月愛が、心配そうな表情を浮かべた。
「しかし、あなた方が生き残ってくれたことは、我々にとってこの上ない僥倖です。このあと皆さんには聴取を受けて頂き、今後についても決定して頂きます」
優しい口調と表情だが、決して選択肢を与えない物言いで男は言う。
月愛は此処に来て改めて、もう二度と家族の元には帰れないのだと痛感した。胸の奥が引き絞られるように痛み、涙が頬を転げ落ちた。
「……わ……わたしたちは、これからどうなるんですか……?」
「どうなる、とは」
涙を袖で拭い、月愛は言葉を探す。
曖昧で幅広い質問では正確な答えは得られない。どう言うべきか迷ってから、隣の美月を横目で見て、心の中で謝罪しながら改めて問いを紡ぐ。
「美月の家族は、美月が生まれたことも知らないって聞きました。でもわたしたちは高校まで普通に生活してましたよね……? わたしたち、今回の事件で死んだことになるんですか?」
「基本的にはそうなります」
「そう、ですか……」
月愛は暫く俯いて考え込んでから、顔を上げて男を見た。
「あの……こんなときに、個人的なわがままを言ってる場合じゃないっていうのは、わかってるんですけど……一つだけ、お願いしたいことがあって……」
「伺いましょう」
「明日、お母さんの誕生日なんです。それで、プレゼントを買ってあって……たぶん無事なら、教室の鞄の中にあって……それだけ、届けてほしいんです……」
本当に、こんなときになにを言っているのだと呆れられても仕方がない子供じみたお願いだった。けれどこれが今生の別れになってしまうなら、二度と大好きな家族に会えなくなるのなら、せめて思い残すことはなくしてしまいたかった。
「既にラッピングはされていますか? どの程度の大きさで、形状はどのようなものでしょうか」
「えっ……」
目を見開く月愛に、男は依然穏やかな口調で続ける。
「教室は随分と荒れていると聞いています。手がかりは多いほうが良いでしょう」
「あ…………は、はい……! えっと、淡いピンクに白い花柄の包装紙で、リボンは赤色です。箱は四角くて、中身はオルゴールです。これくらいの……」
説明しながら、両手で大きさを示す。月愛の両手に収まるサイズで、オルゴールとスノードームが一体になったものだ。
「承知しました。現場に伝えておきます」
「ありがとうございます……!」
月愛はぼろぼろと涙を流しながら、思い切り頭を下げた。
男は朔斗と凛音にもなにかないか訊ねたが、二人は揃って「いえ」と答えた。
立派な本部長室を出た一行は外で待機していた職員の女性に連れられて、先ほどの社長室じみた部屋よりは幾分か家具や内装に庶民の気配を感じる一室に通された。
女性の胸元には
朝菜に薦められ、月愛たちは大木から切り出したような形をした焦げ茶色の長机の周囲に並べられた、事務椅子にそれぞれ腰掛けた。社長椅子ほど立派ではないがこの椅子にも肘置きはついており、座るとほどよく体が沈む。
「ええと……皆さんにはこれから、所属をSIRENに移して頂く上での書類作成をして頂きます。必要事項をチェックして頂いた上でいくつかサインをして頂くことになるんですけど……わからない項目等あったら気軽に質問してくださいね」
渡された書類は全部で三枚。一つは契約書らしきもの。一つは問診票に似た項目が並んでいて、チェックをしていくもの。一つは職員寮と生活に関するもの。
全てに名前と生年月日、それから今日の日付を書き入れる欄があり、サインをした時点で書類内容に了承したことになる。
「すみません、質問いいですか?」
暫く無言で読み込んでいた三人だったが、ふと朔斗が右手を小さく挙げた。朝菜が「何でしょう?」と視線をやると、朔斗は問診票に似た書類を指して言う。
「このCODEというのは……」
「はい。CODEとは、十二個に分類された異能の種類のことです。一つずつご説明しますね」
朝菜は、朔斗の書類に書かれたCODE一覧を指さしながら、簡潔に各CODEの特徴を述べていく。
光と闇を操るアステリア。
時間や重力を操るクロノス。
電気や磁気を操るペルクナス。
水や液体を操るヴァルナ。
自身の肉体を変異・強化するサテュロス。
音や風、振動を操るミュゼ。調律師は全員ミュゼである。
機械や鉄分を操るエクスマキナ。
破壊や創造・物質変換を行うヘルメス。
目に見える異能らしさはないが、知力に特化したミーミル。
大地や植物、空間や領域を操るフレイヤ。
熱を操るエインセル。基本的には高熱の異能を持つ。
体内で薬品を生成し、使用するパナケア。
一つ一つ順番に見ていって、現在自覚している項目にチェックを入れる。
月愛はサテュロス、朔斗はミーミル、そして凛音はミュゼ。他にも自覚していないだけで覚醒している可能性があるため、この書類はあくまで参考となるようだ。
「基本的にはってことは、低温のエインセルもいるんですか?」
「ええ、在籍していますよ。数は少ないですが。一番有名な方は、葬儀屋に所属している
「葬儀屋……」
天都市東高校の後詰めに配置されていたという、恐らくはSIREN内に存在するチーム名だ。先ほどは聞きそびれたがいまなら聞けるかと思い、月愛は「あの、その葬儀屋さんってどういう方たちなんですか?」と朝菜に訊ねた。
「我々SIREN職員の中でも、特に変異係数……ゲームでいうレベルみたいなものですが、その数値が高い者で構成された特殊チームです」
「凄い……わたしたちも、変異係数っていうのはわかるんですか?」
「はい、このあと測定することになるかと」
そっか、と月愛が納得して書類に向き直ると、今度は朔斗が顔を上げた。
「レベルみたいなものって仰いましたけど、訓練とかで上がるものなんですか?」
「ええ。稀にですが。基本的には『才能』に近いので、余程厳しい訓練を積まないと上がることはないと思います」
「なるほど……ありがとうございます」
「でも変異係数は変わらないですけど、勿論訓練が無意味なわけではありませんよ。戦い方、異能の使い方、それらを学べば強くなる以上に生きやすくなると思います」
「生きやすく……?」
不思議な物言いに、朔斗が首を傾げる。
朝菜はにこりと笑って、自分事ですがと前置いて話し始めた。
「私はクロノスのDランク職員ですが、戦闘能力は殆どない代わりに人や物を特定の空間に閉じ込める能力に特化しています。それは私自身も例外ではなく……時間流を極端に遅くした部屋に籠もることで、人の数倍の作業が出来るんです。勿論、乱用は出来ませんけどね」
「そんな使い方が……」
唐突に非日常的な変異種の世界に放り込まれ、これから美月のように危険な戦いに身を投じなければならないものと思っていた月愛は、少しだけ安堵した。しかし己の異能が獣に変身するという、どちらかというと前戦で戦うことに向いていそうなものだということも、頭の隅にしっかり居座っている。
不安は尽きないが、朝菜の話しやすい雰囲気と美月が傍にいる安心感で、少しだけ前向きになれそうな気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます