月光第三楽章
脇目も振らず屋上へ駆け上がった美月は、外へと通じる扉を蹴り開けた。
「うわ、本当にいた」
屋上に着いた美月の目に飛び込んできたのは、NOISEと化した生徒を侍らせて自身は更に一段高い位置――――給水塔でふんぞり返っている顧問の姿だった。
取り巻きの生徒は、朔斗たちが出会ったものと思われる、両手と頭部がカマキリのそれに変異している男子生徒と、姿形は変わっていないが全身が炎に包まれた状態で狂ったように笑い続けている女子生徒、そして餓えた豚のように涎を溢れさせている巨躯の女子生徒だ。
生徒たちの顔ぶれ――といっても、一人は顔に面影が欠片もないが――には覚えがあった。吹奏楽部でやたらと目をつけられ、罵倒されていた生徒だ。
「ほう。随分とナメられたものだ。私が選別した
美月は顧問には答えず、ペットボトルを握り潰した。周囲に水滴が浮かび上がり、西日を反射して橙に煌めく。いつの間にか、午後の授業時間さえ過ぎていた。
「雑音は消す。それだけだよ」
そう吐き捨てると、美月は右手を前に突き出した。無言の命令に従うかのように、無数の水滴が直線軌道で生徒たちに突き刺さる。
「ギャアアアア!!」
「ギャッ!?」
三人の生徒の中でも特に前に進み出ていた、カマキリ頭の男子生徒が悲鳴を上げて両腕を振り回した。闇雲に暴れた鎌状の腕が、両隣の生徒を切り刻む。
その同士討ちをきっかけに異形の生徒たちが本格的な乱闘を始めたのを見下ろし、顧問は顔を真っ赤にして拳を握りしめ、怒りに震えた。
「貴様ら! 潰すべき相手もわからんのか!? この役立たず共!! さっさとその不純物を処分しろ!!」
顧問が叫ぶと異形の生徒たちはピタリと動きを止めた。更にガタガタと震え出し、怯えた表情を張り付けて美月に向き直る。その姿は嘗て部活中に彼らが見せていた、叱責を通り越した理不尽を浴びせられているときの様子を思わせる。
同時に美月も、顧問のCODEに思い至った。いまとなってはあの様だが、あれも元は音楽に携わる者だった。ミュゼを発症していてもおかしくない。
ミュゼは音波に特定の命令を込めて対象に効果を与えることが出来る。いま顧問が使用したのは、複数を対象にしてターゲットを固定させる異能《合同指揮》だ。
ターゲットに指定された対象を攻撃する場合に限り、攻撃力と命中力が上がるが、別のものを狙おうとしたときは、逆に攻撃力命中力共に激減する。たった一体の敵を集中的に、集団で、一斉に、叩き潰したいときに使用する異能だ。
「寧ろ好都合なんだよ、クソが」
もう一本、未開封のペットボトルを握り潰してその手に水の槍を生成した美月は、雄叫びを上げて向かってきたカマキリ男子の振り抜く鎌をかわして、胸部に躊躇なく突き刺した。
「ガァッ!!」
カマキリ男子を串刺しにした美月の真上に、不意に影が差す。見上げると、巨躯の女子が跳び上がってカマキリ男子諸共美月を潰そうとしていた。
「チッ」
舌打ちをして水の槍を手放し、背後に飛び退く。直後、断末魔すら上げさせずに、巨躯の女子はカマキリ男子をその巨体で押し潰した。ぶちゅりと耳障りな音が響き、コンクリートの地面に濁った赤が広がる。カマキリ男子に突き刺したままだった槍が巨躯の女子生徒にも突き刺さり、透明な穂先が背中から突き出している。
その奥から、今度は燃え盛る女子生徒が哄笑を上げながら巨躯の女子生徒の背中をフロアマットのように踏み越えて、真っ直ぐ美月に向かってきた。炎上しながら背を踏みつけたために、巨躯の女子もついでのように燃え上がった。
「ギャ――――ハハハハハハ!!!」
「イギャアアアアアア!!!?」
自らの巨体と体を貫いた槍のせいで起き上がることも転げ回ることすらも出来ない巨躯の女子が、手足をバタバタさせながら悲鳴を上げる。
連携などなにもない、ただ示された目標にそれぞれが向かって行くだけの戦い方。これが、彼の言う
美月は残った二本のペットボトルを両手で握り潰し、水のつぶてを燃え盛る女子に浴びせかけた。だが彼女の体を覆う炎が、命中する直前で水滴を蒸発させてしまい、本来の威力を与えることが出来ない。
「殺せ! 障害物は全て焼き尽くせ!!」
高みから、顧問が命令する。
更に対象の攻撃系異能の威力を上げる補助異能、《愛と暴力のレッスン》だ。古い楽曲名から異能名がつけられたというそれは、NOISEではない変異種が使用する場合は、変異深度の上昇に留意しなければならない。だが、既に深度が上がりきったNOISEにとっては、ただの威力が好きなだけ上げられる異能でしかない。
「アハハハハハハ!! ギャハハハハハハハハッ!!!」
狂気としか思えない笑い声を上げ、女生徒が美月に掴みかかる。
「っ、離せ!!」
ほんの一瞬掴まれただけなのに、美月の手首は炭化したように黒ずんでしまった。あれに抱きつかれようものなら、消し炭にされてしまう。反撃しようにもチマチマとした攻撃では蒸発されて無為に手札を失うだけだ。
「クソ……面倒なCODE発症しやがって」
狂気に染まり、笑い続ける女子生徒を、美月は知っている。他の生徒もほぼ原型がなくなっているものの、何となくあの人だろうかという心当たりはある。彼らは皆、共に同じ部活で切磋琢磨した元仲間だから。
燃え盛る女子は、二年のファーストトランペットを務めていた貴崎愛里沙先輩だ。次期部長候補とも言われていて、音楽センスもあり、一年の面倒見も良い、いい先輩だった。一番後輩に慕われていたのを妬んだ三年生にいびられているとの噂が流れたこともあったが、真偽は不明。ただ、顧問に「ファーストのお前がグズだから部員がゴミ以下の演奏しか出来ない」「二年間なに学んできた」「お前には才能が無い」と散々に言われていたのは事実だ。
NOISEが顧問になる以前は明るく優しい先輩だったのが、此処数日は見る陰もなくなって死体のような顔色をしていたのを、ハッキリと覚えている。
叶うなら、これ以上痛々しい姿を晒させず仕留めてしまいたい。
どうすれば。自分に出来ることは、なにか、なにかないか――――
「美月!!」
其処へ、唐突に第三者の声が飛び込んできた。
美月のみならず、貴崎と顧問の意識も一瞬声のほうへと逸れる。
屋上に現れたのは、巨大な黒豹のような姿をした月愛だった。
「受け身取って! ねっ!!」
「は!? えっ!? ええぇぇぇぇえええ!!?」
月愛は美月の首根っこを加えると高く飛び上がり、首を横に振って美月を屋上から外へと投げ飛ばした。
「は……はは、なにかと思えば、貴様らも同士討ちか。誰が来ても同じだ、殺せ!」
「アァアアァァアアアアアアァ!!!」
顧問が貴崎に命じる。変異深度を果てまで上げて、異能を更に強化する。炎の熱が離れたところにまで伝わってくる。足元のコンクリートが黒く燻る。このままでは、校舎自体が炎上してしまうかと思われた。
そのときだった。
「なっ!?」
ブツリとマイクが入る音がしたのと同時に、鍵盤を激しく叩きつけるような音が、学校中に響き渡った。音量を限界まで上げ、音楽室のピアノ演奏を流している。
曲は、月光第三楽章。常軌を逸した音量であるにも拘わらず音割れもしていない。まるで耳元を通り越して脳内で演奏されているような、生の音が体を揺さぶる。
顧問と貴崎が頭を押さえて蹲った。まるで昼休みの再演だが、月愛は激しい音圧の中でも平然としている。
これはただの演奏ではない。ミュゼの異能《ファーストトランペット》だ。特定の味方を鼓舞する、大会等に於ける吹奏楽部の役割そのもののような異能。
そして――――
「あたしって何処までも月光イメージなんだね」
屋上の更に上。上空に、巨大な水の塊が浮いていた。それは、ファンタジーで見るスライムのように揺らめきながら、雲のように中空を揺蕩っている。そして美月は、そんな不定形の水球の上に、ソファに腰掛けているかのようなリラックスした姿勢で座っていた。
「貴崎先輩。短いあいだでしたがご指導ありがとうございました。おやすみなさい」
美月は水の塊を勢いよく貴崎に叩き落とした。全身が巨大な水の塊に包まれ、体を包んでいた炎がジュッと音を立てて一瞬で消失する。直後、がぼっという音と共に、貴崎の口から気泡が溢れた。喉を押さえ、苦しげにもがく。どれほど水を掻いても、浮上することも水球の外へ至ることも出来ない。中心でジタバタと喘ぐうちに肺から空気が抜け、意識が朦朧としていく。指が、腕が、脚が、あらぬ方向へ折れ曲がり、胴体が圧縮される。見開かれた目が、眼窩からこぼれ落ちそうになる。
やがて貴崎は抵抗をやめ、ぐったりと項垂れて水の中に浮かぶばかりとなった。
パンッと音を立てて水球が弾け、辺りに水たまりが出来る。同時に、消毒用塩素の臭いが辺りに広がる。巨大な水球はプールの水だった。
投げ出された貴崎は、ピクリとも動かない。
「あとはアイツだけ……って」
顧問がいたところを見ると、いつの間にかいなくなっていた。
そして、学校を覆っていた《絶対領域》が解除されている。どうやら不利を悟って逃げたようだ。
「偉そうなこと言っといて逃げたのかよ、アイツ……」
そうは言うが、大技を使ったせいで疲労がひどい。これ以上戦闘が長引くようなら帰れなくなることも覚悟しなければならないと思っていたところだった。
美月は脱力してその場に座り込み、水たまりの上で盛大に溜息を吐いた。
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