第14話 沈む光の向こうへ
エリスは、都市の整然とした光の先に広がる場所へと足を踏み入れた。ルクス・プラザの白い歩道はここで終わり、そこから先は、まるで別の世界だった。彼女の目の前には、柔らかな琥珀色の光に包まれたエリアが広がっていた。
ヴェスパー・スクエア。この場所では、太陽は決して完全には沈まない。どこまでも続く黄昏が、都市の境界をぼんやりと染めている。建物は、ルクス・プラザのように完全に整った直線的なデザインではなく、わずかに歪み、どこか懐かしさを感じさせる形状をしていた。壁の色は時間の経過を思わせるような淡い黄土色に染まり、窓には古びたカーテンが揺れている。道路の舗装は微かにひび割れ、タイルの隙間からわずかに草が覗いていた。
歩道には人がいた。しかし、誰もがどこか物憂げな表情を浮かべ、静かに通りを歩いている。カフェのテラス席には、誰かが座っているが、彼らは互いに言葉を交わさず、カップを手に取るだけだった。まるで、ここにいること自体が目的であるかのように。
エリスはこの場所が好きだった。この沈みかけの光の中では、誰もが少しだけ現実から切り離されたように見えた。そして彼女自身もまた、その空気に溶け込むように感じた。
だが、このエリアの端に差し掛かると、雰囲気は一変する。ゆっくりと暗闇が迫り、空の琥珀色が次第に消えていく。エリスの足が自然と止まった。そこから先は、彼女が今まで踏み込んだことのない場所だった。
ノクタルネ。夜の街。
黄昏の境界を越えた途端、空気が冷たくなった。暗闇の中に浮かぶ光は、どこまでも人工的だった。ネオンの光が通りを照らしているが、その色はどこか毒々しく、不気味な影を生み出していた。紫や青、赤の看板が乱雑に点滅し、通りには意味不明な単語が並ぶ広告がひしめいている。
「新しい記憶、交換可能。」
「夢と現実、交差点はここ。」
「本当の自分を、見つけるために。」
文字は読めるはずなのに、意味が分からない。言葉の繋がりが不自然で、理解しようとすればするほど、脳が拒絶するような感覚に襲われる。
通りを歩く人々は、ヴェスパー・スクエアの静かな住人たちとはまるで違っていた。彼らは速足で歩き、時折視線を走らせながら、誰かを探しているようだった。その顔には、焦燥と渇望が滲んでいた。だが、その目はどこか虚ろで、何を探しているのかも分からないまま、ただ歩き続けているように見えた。
エリスは、カウンターだけのバーの前を通り過ぎた。中では数人の客が無言でグラスを傾けている。カウンターの奥にいる男が、エリスに一瞬視線を向けた。彼の目は、まるで彼女の内側を覗き込むような鋭さを持っていた。だが、すぐに彼は何も見なかったように視線を外し、手元のグラスを拭き続けた。
「ここは……」
エリスは、心の奥に違和感を感じながら歩き続けた。この場所にいる人々は、何かを求めている。しかし、その何かが分からないまま、夜の街をさまよっている。彼らは決して満たされることがない。それが、ノクタルネの空気だった。
通りの端には、路地裏に続く細い階段があった。そこには一つの看板が掲げられている。
「この先に踏み込む者、自らの記憶を信じるな。」
エリスはその言葉を見つめた。ここでは、現実と虚構の境界が曖昧になる。すべてが夢であり、すべてが現実であるように錯覚する場所。ノクタルネにいる間は、自分の過去さえも疑わなければならない。そんな暗示を感じた。
彼女は階段の先を見つめる。ここを下れば、都市の影の中へと足を踏み入れることになる。しかし、その奥に何があるのかは分からなかった。
それでも、彼女の足は自然と前へ進み始めていた。
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