聖獣の羽と小鳥の秘密

幸まる

第1話 騎士への命令

王城の魔術士棟の一室で、騎士のエルヴィンは困惑して眉根を寄せた。


「聖獣の森に、私が行けと?」

「ええ、そうよ。どうせ暇でしょ?」


答えたのは、この魔術士棟を仕切るアナスタシア魔術士長だ。

長い銀髪を後ろで無造作に一つにまとめ、長いローブの袖をクシャリとまくった姿は、高位の者には見えない。

しかし、周りにある書類や資料、大きな作業台いっぱいに広げられた魔素材の数々を見れば、身だしなみに気を遣う余裕もないことが窺える。

多くの者が美しいと表現するその紫水晶の瞳の下に、くっきりと隈が見えることも、彼女の忙しさを表している。

普段ならその華奢な肩に止まっている青い小鳥使い魔も、アナスタシアがせわしなく動く今は、離れて窓際の止まり木に止まっていた。



エルヴィンは軽く口元を歪ませた。

伸び過ぎた淡い金の前髪が落ちて来て、掻き上げる。


騎士の職務を真面目にこなす彼は、別に普段から暇な訳ではない。

ただ確かに、魔物討伐の為の国境遠征から帰還して、十日間の特別休暇を貰った今は、まあ、時間があると言えばある。

というか、まだ独り身で趣味もない彼にとっては、十日の休暇は時間が余りすぎて困るほどだった。


いや、普段の休日すら、時間を持て余しては魔術士棟ここに来ている。

魔術士達が魔術具を作る工程を見るのが、彼の楽しみなのだ。

剣術の鍛練を行った後は、邪魔にならないよう気を付けながらも、ほぼここに入り浸っていた。


そうは言っても、彼は魔術士でも魔術士見習いでもないのだから、魔術士長の命令を聞く義務はない。


「例え暇があるとしても、魔術士棟とは関係のない私が、どうして?」


やや不満を滲ませて問えば、アナスタシアは美麗な眉を軽く上げた。


「魔術士棟と関係なくても、知識はそれなりにあるでしょ」


エルヴィンは、本当は子供の頃から魔術士になりたかった。

しかし、内包魔力が少ない上に魔術素質もほとんどなく、残念ながら道は閉ざされた。

代わりに体格に恵まれ、運動能力と剣術の才能があったので騎士になれたのは幸いだったが、魔術への関心がなくなったわけでは無い。

だからこの場所は、彼にとってとても好ましい場所だった。


……特に、遠征へ行く、その前までは。


「もしかして、人手が足りないのですか?」

「そうよ、見て分かるでしょ。可愛い弟子フェリシティが独り立ちして忙しいの。貴方なら知識もあるし、一人で森に入る権限もある。適任でしょう。それに、大体急いで森に行かないといけないのは、騎士団長貴方の御父上の命令のせいだからね?」


エルヴィンは軽く息を吐いた。


今回の魔物討伐では、多くの魔術護符アミュレットを使用した。

次回の遠征はそう間を空けずに行われる予定なので、魔術士棟に魔術護符を急ぎ発注したのは知っている。


つまり、父の命令を遂行する為の手伝いをしろということか。


「良いですよ。確かに時間はある。聖獣の羽毛魔素材を集めて来たら良いのでしょう?」

「そういうこと。ついでに、聖獣に会って羽を一本貰ってきてちょうだい」

「ついで……って、私が聖獣に会えるわけがないでしょう!」


聖獣がいるのはそれほど森の奥ではないが、“聖結界”と呼ばれる護りの中だ。

そこへの道を正しく辿れるのも、結界を通れるのも魔術士か聖職者だけ。

騎士であるエルヴィンには無理だ。


「大丈夫。道案内に新人魔術士を一人付けるから」

「は? それなら最初からその者に頼めば良いでしょう」

「言ったでしょ? 今回はなの」


話しながらも手を止めなかったアナスタシアが、一瞬だけ視線を向けて、意味あり気に目を細めた。

その後、「じゃあよろしくね」といって、シッシと手を振る。

これ以上説明するつもりはなく、早く行けということらしい。

こうなると、アナスタシアはどんなに話を向けても相手にしてくれないのは分かっている。

彼女とは、もう長い付き合いなのだ。


エルヴィンは大きく嘆息して立ち上がると、部屋を出て行った。





エルヴィンの気配が扉から遠のくと、アナスタシアはその辺にある書き損じの紙を丸めて、窓に投げ付けた。


「……立ち聞きとは、行儀の悪い王弟様ですねぇ」

「むむ、すまぬ」


窓の外でそろりと立ち上がり、隙間から覗いたのはエルヴィンの父、騎士団長だ。

彼は国王の弟でもある。


「命令ならご自分でなさったらよろしいでしょうに」


アナスタシアに睨まれて、騎士団長は髭の濃い顔を顰めた。

親子とはいえ、騎士団では上司と部下。

命令しようと思えば出来る。


「森へ行くのは魔術士の領分であるのに、一体なんと説明せよと言うのか。そもそも、私がエルヴィンあれと話をするのは、まだ、その……」


はあぁぁ、と、アナスタシアが大きく溜め息をつく。


「理由なんてなんとでも言えるでしょう。もう親子だと公表したのですから、もっとしっかり交流なさって下さい。……まったく、可愛い弟子の為でなければ協力しませんでしたよ」

「ぬ……」


汗を掻く髭面を無視して、アナスタシアは窓の外に視線を向ける。

連なる山々の裾野に広がる青々とした緑は、陽光に映えて美しい。



アナスタシアが軽く指を振ると、窓際にいた青い小鳥が止まり木を蹴り、窓の外に飛び立った。


「……しっかりやってよ、エルヴィン」


小さくなって行く小鳥の姿に向け、アナスタシアは呟いた。




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