Vast Blue Echo : Track 02 - Resonance

Resonance #01(春風)

あれから、

大和はしばらく

アパートに閉じ籠った。


ドアを開けたら、窓を開けたら、

千紗の気配が消えてしまいそうで。


その日の朝まで千紗がいた痕跡。


飲みかけのコーヒーが入った

千紗専用のマグカップ。


並べられた歯ブラシ。


残り香がする枕――


そのすべてが、大和を苦しめた。


『大和、好きだよ』


千紗の残響が耳から離れない。


「千紗……」


大和は千紗の香りが消えるまで

枕を抱きしめた。


「オレがいなくても、大丈夫だよな……」


自分に何度も何度も、言い聞かせる。





しばらくして

大和はB&B hallを辞めた。


金髪が揺れていたPA席。


一人分の余白を残して

変わらずそこにある。


彼が座っていた椅子は

ぬくもりがないまま。


そこに目が行くたびに

千紗の胸が抉られる。


大雅はその空白を、

鋭い目で見つめていた。


大和が最後に立ち上げた

エフェクトプリセットが、

今でも起動時に残っていた。




「オーライ!オーライ!」


引越し業者の声が響く。


トラックが次々と

大和のアパートから

荷物を運び出していく。


閉ざされていた部屋は、

家具が運び出されて

ガランとした空間になった。


玄関から中を見渡すと

千紗の残像が見えた気がした。


静かにドアを閉める。


金髪が春風に揺れ、

日差しを受けて光る。


しばらく立ち止まって

景色を見渡す。


スゥ──ッ


……


パンパン!


頬を叩く。


「……よし!」


背筋を伸ばし、

ぐっと大きく伸びをする。


「いくか!」


荷物を積んだトラックが

遠ざかるのを見送りながら

足を踏み出す。


春の風に後を押されるように

歩き出した。





千紗は再び

Amatsukiの練習に

参加するようになっていた。


陽真がベースを一音、ボーンと鳴らす。


「オレらの曲、千紗いなかったら終わっから!

マジ焦ったぜ!」


陽真が笑顔を浮かべると慧が笑う。


「オレらの音楽は楽しんでなんぼだからな。

千紗が笑ってなきゃ意味ねぇし」


颯太はドラムセットの前で

少し涙ぐんでいる。


「……迷惑かけてごめん。もう、大丈夫だから」


千紗が頭を下げると、

三人は笑顔を向ける。


「……で、大雅とはどうなってんだ?」


陽真の声が少し躊躇う。


「そっちも、もう、大丈夫」


微笑む千紗の視界には、キーボード。


「そっか!」


陽真の顔がパァッと明るくなる。


「じゃあ、始めようぜ!Amatsuki!」


陽真の掛け声と同時に、

颯太のカウントが始まる。


一斉にAmatsukiの音楽が部室内を彩る。


音楽と共に、笑顔が広がっていく。


千紗はみんなの笑顔を見渡す。


──ここに、帰ってきた。


鍵盤を押す指は重く、軽やかだった。



大学の校門前。


小脇にヘルメットを抱え

バイクの前で大雅が待っていた。


行き交う学生たちの視線を

無駄に睨んで威嚇している。


千紗は吹き出しながら、走り寄る。


「この時間、演習だったんじゃないの?」


「ライブ前にライティングなんてダリィだろ」


言いながら、千紗の頭にヘルメットを被せ

バックルを留める。


何度やってもらっても、照れ臭い。


大雅をちらっと見ると

耳が赤くなっていた。


千紗の口元が綻ぶ。


今からResoのワンマン。


大雅はバイクに跨り

キックペダルを踏む。


ガチャッ ブォン!

ドッドッドッドッ……


バイクが命を持つ。


千紗は大雅の背中に

ぎこちなく手を回す。


大雅の細い腰に息が詰まる。


前を向いた大雅の背中が

ぴくりと動く。


二人とも、やっぱりまだ

少し恥ずかしい。


「ねぇ、今日のセトリ何?」


「カバーも一曲やる。お前が好きなやつ」


「えっ!もしかしてあれ?」


「さぁな。本番まで内緒」


ヘルメットから覗く

襟足の黒髪が揺れる。


桜並木の中、

二人を乗せたバイクが走り出す。


春の風を切って、

バイクは軽やかに前へ進んでいく。


桜の花びらが頬をかすめ、

柔らかな風と共に千紗の心にも

新しい「今」を運んできた。

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