Vast Blue Echo - 1st Album【R15】

こきはなだ

Vast Blue Echo : Track 00 - Tuning

Tuning #01 夜鳴鶯

【あらすじ】


DV家庭で育った千紗。

家中に響く怒号や破壊音から耳を塞ぐように、

音楽の中へ逃げ込んでいた。


そこで出会った“金髪の少年”・大和。

彼もまた、壊れた子どもだった。


ふたりは引き裂かれ、

大和は千紗の心に残ったまま、時だけが過ぎた。


そこに響いたのが、大雅の爆音。

彼の音から、逃げることができなかった。

千紗と大雅は、音で惹かれ合っていく。


再び、大和が現れるまでは――


不器用な恋が始まり、誰かを傷つけ、

自分さえ見失っても、

それでも音楽は、問いかけてくる。


あの日消えかけた音が、

果てしなく青い唄になる。


――


音楽だけが、千紗ちさの救いだった。


幼い頃から千紗の家には

暴力と怒声が絶えなかった。


父親の不倫。

女の匂いを漂わせながら

夜更けに帰ってくる。


そして、殴る。暴れる。叫ぶ。


「バカにしやがって!!!」


皿が悲鳴を上げながら

床に叩きつく。


破片が怒りを裂きながら、床へ散る。



――母の感情は、無になった。



破片の行方を目で追いもせず、

力なく椅子に命を預けている。


母が千紗を守ってくれることは、

一度もなかった。



千紗はいつものようにイヤホンを掴み

ぎゅっと耳に差し込む。



指が、再生ボタンを押す。


瞬間――


ギターのピックスクラッチが炸裂する。


歪んだサウンドが

すべてのノイズをかき消していく。

現実が、音の向こう側に遠ざかる。


まるで、水泡の中にいるように

音楽が千紗を包み込む。


いつもの逃避、いつもの行動。


学校でも、千紗の居場所はなかった。


痣だらけの身体の千紗に

同級生たちは近づこうとせず、

教師たちも見て見ぬふりをした。


――千紗の周りには、誰もいない。


ただ淡々と過ごす日々。

ひとりで歩く通学路。

一日は知らぬ顔で通り過ぎていく。


けれど唯一。


そのイヤホンの世界から

千紗の手を引き戻したのは、

金髪の少年だった。





父親がどうしようもなく暴れた日。


その日はイヤホンをしても

意味がなかった。


パァン!!!


乾いた音。


「くだらねぇもの描きやがって!!!」


千紗が賞を取った絵が

ビリビリと引き裂かれる。

空想の「幸せな家族」の絵。


夢さえも見せてくれない現実。


たった一度だけ、

世間が千紗を見てくれた証が

目の前でただのゴミになっていく。


千紗は目から色が

失われていくのを感じた。


――もう、何も、ない。


千紗は家を静かに出て、

夜の街へ向かった。


色が、見たかった。





ネオンと闇が交差する路地。

大人たちの笑い声、酔い声。


喧騒の中、あてもなく彷徨った。


どこに行けばいいのか

わからない。


派手に光る看板は

欲望にまみれている。


顔を腫らした千紗を

横目で見ても気にする人はいない。


誰も自分など見えないように

通り過ぎていく。


イヤホンも、置いてきた。


立ち並ぶ店内から

うるさいだけの音が耳を触る。


どこまでも、ひとり。





――カランカラン……


足元に空き缶が転がる。


ゆっくりと、振り返る。


街灯の下、金髪がさらりと揺れた。


道端に座り込んだ少年が、

ゆるく顎を上げてこちらを見ていた。


綺麗な顔の少年。


着ている服はだらしなく、

スニーカーは擦り切れている。


肌は白く、頬に血色がない。

長いまつげと、切れ長の目。


まるで、人形みたいだった。


この世に存在してるのかも

曖昧なほど。


千紗は目を奪われた。


「おい」


嗄れた声が、路上に響く。


イヤホンを外しながら、

少年は気怠そうに千紗の方へ歩み寄る。



「お前、中学生だろ」



(不良だ……)


関わってはいけないと思った。


千紗は背を向け、

足早に立ち去ろうとする。


けれど――


「逃げんなよ、なんもしねぇよ」


少年が軽く吹き出して笑った。


その声が、妙に優しく聞こえた。


千紗が立ち止まると、

少年はじっと彼女を見つめ、

眉を寄せた。


「お前……毒親育ちだろ」


見下すように放たれた言葉。


千紗はグッと手を握る。


けれど、次の一言が、

千紗の心を静かに揺らした。


「……オレも」


少年は、自嘲気味に笑った。


(オレも……?)


千紗の足が動かなくなる。


「中学生がこんなとこいたら危ねぇだろ」


大人びた口調で、金髪をかき上げる。


「そっちだって、中学生じゃないの……?」


千紗が呟くと、少年はぐっと眉を寄せた。


「……なんでわかんだよ」


「だって、私と身長変わんない……」


その瞬間、少年の顔が真っ赤になった。


「お前……!人が気にしてることを……!」


拳を握る。


千紗は、反射的に腕で顔を隠し、

ぎゅっと目をつぶった。


少年は息を呑む。


――あぁこいつ、殴られんのが当たり前なんだな。


「……心配すんな、ぶたねぇよ」


ため息をついて、

千紗の髪をぐしゃぐしゃっと撫でる。


「っ……」


千紗は肩を震わせる。


恐る恐る目を開けると、

少年は柔らかく笑っていた。


(殴らないで、笑ってる……)


千紗の目の前で、少年が笑う。


こんなに優しい目で。


その笑顔が

千紗の無彩色の世界に

静かに一滴の“色”を落とした。





彼の名は「大和やまと」。

千紗と同じ中学3年生。


大和は父親がいなかった。


母親が家に男を連れ込むため、

家から追い出されると言う。


「だから、こうして夜に外でフラフラしてんだよ」


彼は、自分と同じように

家に居場所がない存在だった。


「同じ孤独を抱える存在」との

初めての出会いだった。


「お前、どこ行くつもりだったんだよ?」


「……わかんない」


「はぁ?女子がひとりでこんなとこ来んなよ」


大和の眉間に深い皺が寄る。


千紗はただ俯いて、指をいじっている。


(まぁ、オレも同じようなもんか)


「……じゃあオレと遊べ」


大和は千紗の手を引くと、

ネオンを外れ、路地裏を走り出した。


どこに連れていかれるのか

わからない恐怖が襲う。


それなのに、景色はどんどん流れていく。


薄暗い路地の中に、金髪が揺れる。



千紗の足が少しだけ軽く

ふわりとアスファルトを蹴った。





それからというもの。


千紗は父親が暴れるたび、夜の街へ出た。


無意識に、大和を探す。


少し探せば、彼はいつもいた。


「よっ!オッサンまた暴れたのかよ!」


彼は当たり前のように笑い

一方的に話しかけてくる。


千紗のことを“異質”と捉えない。


居心地が、良かった。


いつも大和はイヤホンをしていた。


そっと片方のイヤホンを外す。


「ほら」


差し出される、左のイヤホン。

千紗はそれを耳に入れる。


喧騒を掻き消すような爆音。

心の叫びを音にしたような

激しい旋律。


二人は肩を並べて、

同じ音楽を聴いた。


まるで二人だけの

世界に逃げ込むように。



大和は、千紗にとって

“はじめての友達”になった。





いつものように、

並んでイヤホンを分け合い、

爆音の中に沈む夜。


大和が顔を覗き込む。


「お前、ぜんっぜん笑わねぇのな」


その言葉に、千紗は目を伏せる。


「……笑い方、知らない」


ぽつりと答えた自分の声が、

妙に遠くに聞こえた。


すると、大和は目を細め、

イタズラっぽく笑う。


「ほら、笑えよ!」


不意に伸びた手が、

千紗の頬を掴む。


ぐいっと引っ張られる口元。


「いてててて!」


思わず声を上げると、

大和はケラケラと大きな声で笑った。


(……なんだろう、この感じ)


頬がじんじんと痛む。


でも、胸の波は凪いでいた。


「すっげぇ顔!」


楽しそうに言う大和の顔を見て、

千紗の中に、不思議な感覚が生まれる。


(……はじめて)


千紗の世界に大和が落とした色が

じわりとインクのように広がっていく。





ある日、大和がポケットから

くしゃくしゃになった

千円札を取り出した。


「臨時収入ゲットだぜ!ゲーセン行くべ!」


得意げに笑う。


母親が連れ込んだ男が

「あっち行ってろ」と言いながら

渡してくれたものらしい。


「たまにはいいこと言うよな、アイツ!」


大和は笑っていたが、

千紗はどう反応していいのか分からなかった。


喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。


でも――

大和が笑ってるなら、いいか。


千紗は小さく微笑んだ。


大和は千紗の手を引いて

光の中へ溶けていく。




初めて足を踏み入れた、ゲーセン。


瞼の裏まで反射する

蛍光カラーの光。


耳を突き刺す電子音が

神経をピリピリと刺激する。


次から次へと沸き上がる歓声。


驚きで耳を塞ぐ千紗に

大和はひとつ、鼻を鳴らした。


「ほら、これやってみろ!」


大和が指差したのは、

格闘ゲームの筐体。


「やり方わかんない……」


千紗が戸惑うと、

大和は後ろから手を添える。


「いいか、今だけ!ボタン連打!」


千紗は言われるがまま、

夢中でボタンを叩いた。


画面の中でキャラクターが

次々と技を繰り出していく。


「ナイス!ヒットした!」


大和が笑う。


大和の笑顔に、千紗の口元も緩む。


楽しい。

楽しい。

楽しい。


大和が笑ってくれて――嬉しい。


口の端が、少しずつ上がる。


自分の頬が緩むのがわかった。


(あれ……?)


大和が目を見開いている。



――千紗は、笑っていた。



思わず口に手を当てる。


信じられなかった。


「ほら!お前、ちゃんと笑えるんだって!」


大和が嬉しそうに弾んだ声を上げた。


「……笑って……いいの……?」


「バカか!笑ってダメなんて法律ねぇよ!」


大和は笑いながら、

わしゃわしゃと髪を撫でる。


笑顔が、零れた。

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