第11話

「窓開けていいからね」

 ヒヨコのような黄色い軽自動車の運転席で、華が言う。高校の卒業式ぶりに会った彼女は髪をアッシュブラウンに染め、片耳にきらきらと光る大ぶりのピアスを着けていた。

 フロントガラスとリアウインドウの一角を陣取る初心者マークに不安を感じつつ、『華なら大丈夫か』と思い直す。シートベルトを締める。

 充の家の前の細い路地を、鋼鉄のヒヨコが走り出す。少し暑さを感じて、充は言われた通り、自分の横の窓を開けてみた。頬を撫でる風に目を細める。

「そういえばどこに行くの?」

 行き先を聞いていなかったことを思い出し、充は華に尋ねた。

「国道沿いの家具屋」

「なに買うの?」

「んー? 色々?」

 ふふん、と鼻歌を歌いながら華はハンドルを切った。駅前ともつながっている国道は、そこそこの車通りだ。突如増えたエンジン音に顔をしかめ、充は窓を閉めた。

「車可愛いでしょ」

「うん。新車?」

「新古車。どうしても欲しくて、お父さんローンなの」

 ついに借金抱えちゃったわ、と、華は冗談ぽく笑った。内容のわりには嬉しそうな声色だった。そこから十五分ほど車を走らせ、二人は二階建ての大型家具店についた。

 店内に入ると、白とブラウンを基調にした展示が目に入る。ベッドを中心にカーテンやサイドテーブルが置かれ、所々に取り入れられた緑が美しい。

「あー可愛い。私も実家出たらこんな部屋に住みたい」

 その一言で、充は店のあちこちに掲げられた『新生活応援セール』の意味にようやく気がついた。

「一人暮らしする人って、皆こういう部屋に住むの?」

「まあ現実はもっと地味なんだろうけど、やっぱり憧れるわよね」

「……ふーん」

 堅羽もそうなのだろうか。

 二週間前に堅羽から送られてきた、東京のアパートの写真を思い出す。窮屈そうなワンルームにはほとんど物がなかった。あれからなにか、家具や雑貨は増えただろうか。

 増えていてほしいような気もするし、写真のままであってほしいような気もする。どちらにせよ確かなのは、充にそれを確認する術などないということだった。

「ねえ、大丈夫?」

「え?」

「『え?』じゃなくて。急に黙るんだもん。私の話聞いてた?」

「ごめん。もう一回言ってくれる?」

「『充はもうちょっと部屋をオシャレにしたいとか思わないの?』って聞いた」

「ああ……。考えたこともなかったけど」

「なんでよ。せっかく一軒家で一人暮らししてるのに」

 もったいない、と言って、華は頬を膨らませた。

「なんでって言われても、別に置きたい物もないからね。堅羽が来てた頃なら、堅羽の好きそうな物を置いたかもしれないけど」

 その言葉を聞いて、今度は口元をによによと歪ませる華である。充が「なに?」とぶっきらぼうに尋ねても、華は肩をすくめるだけでなにも答えなかった。

「堅羽くんは今度、いつ来るの?」

「わかんない。ゴールデンウィークには来てくれるんじゃないかな」

 それは完全に、充の希望的観測だった。堅羽とのやり取りは、充から送った【次いつこっちに来る?】というメッセージで止まっている。

 既読はついているから、今はきっと予定の調整中なのだろう。しかし例えば、堅羽がこの先なんの連絡もくれない、なんてことがあれば、充と堅羽が会うことはもうないのだ。

「そう。じゃあゴールデンウィークは、観葉植物の一つでも飾っておけば?」

 そう言って華は歩き出した。向かう先は食器やキッチン用品が置かれている棚だ。茶碗や箸、グラスなど、およそ既に持っていそうな物ばかり買い物カゴに入れる。

 生活雑貨が済むと、華は今度は小型家電のコーナーに行き、卓上用のアロマディフューザーを手に取った。その後もシーツや枕カバー、カーテンなどを手際よく選んでいく。

 腕にかけたカゴが満杯になった辺りで、充はようやく「引っ越しするの?」と華に尋ねた。華は『やっと聞いてくれた』とばかりにため息をつき、「模様替え」とつぶやいた。

「実家の物って、持ってるからなんとなく使ってる物だったり、親が勝手に選んできたりした物ばっかりなのよ。友だちの引っ越しの話とか聞いてたら、段々気になってきちゃって。春休みのバイト代入ったから、この機会に買い替えようと思って」

 最後に選んだクッションを抱えきれず、結局カートを押してレジに向かった。「最初からこうすればよかったわ。持たせてごめんなさい」と華が謝った。

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