第37話 大鴉戦
また、新たな新月の夜となった。その日は朝から雨が降り続き、星の輝きも見えず、妖が力を発揮する条件を満たしてしまっている。普段より更に警戒を強めなければならない、そんな日だった。
「何、あれ……?」
「二の君、下がって」
柊が前に出、彼の前に更に壁を作るのは三人の化人たち。
怯える揚羽の視線の先にいたのは、巨大な鴉。黄金色に輝く瞳は鋭く、真っ直ぐに揚羽を見つめている。
「鴉、だな」
「だね」
「大き過ぎるだろ。……まあ、新月の力でそうなっているっていうことかもしれないけどな」
夜空の星の光を受け、黒光りする大鴉の翼。じっと動かず揚羽たちの様子を窺っていた鴉は、不意に空滑るように襲い掛かって来た。
「――っ」
咄嗟に水の壁を創った竜玉の機転に助けられ、揚羽たちは一歩退く。
戦闘態勢を整える瑞飛と走矢の後ろで、揚羽は柊の袖を摘まんでいた。彼女の顔色は青白く、いつもの威勢の良さがない。
「どうしたんだ、二の君? 何か、恐れているのか?」
「……怖い」
「何が怖いんだ?」
「……鴉は、怖い。襲われたら、死んじゃう」
「俺たちが、そんなことはさせない。落ち着いて」
膝を折り腰を低くして、柊は揚羽を安心させようと言葉を尽くす。しかし揚羽は幼子のように震え、泣き言を言うだけだ。
困り果てた柊に、ちらりと視線をくれた瑞飛が言う。「忘れていても、体か心が覚えているのかもな」と呟いた。
「どういう意味だ?」
「桐子様に聞いた。……姫様はまだ蝶であった時、鴉に襲われ怪我をして、花子様に拾われたらしい」
「そういうこと、か」
頷いて、柊は揚羽の肩にそっと触れた。震える揚羽が、ぴくっと反応する。それに構わず、柊はとんとんとあやすように彼女の肩から背中にかけてをたたく。
(姫は、本能的に鴉が怖いんだ。普段は? ……自分を襲う意思のない鴉は、平気で触れ合ってたな。となると、敵意に敏感ということか)
今は、揚羽の参戦は酷だ。柊はそう考え、小さく「ごめん」と呟いてから彼女を腕で包み込む。
本来、恋人でもない姫君に触れるなど、ご法度だ。案の定、揚羽は肩を震わせる。けれど、逃げない。
「……!」
「ごめん、二の君。きみを守りたいから、今だけ触れることを許してくれ」
「ひいら、ぎ、どの……?」
いつもよりも険しい柊の物言いに、揚羽は目を見開く。そして、頷くと柊の衣を握り締めた。
「瑞飛、竜玉、走矢。雨の中だけど、俺も、頑張るから」
雨音にかき消され、柊の声は戦う三人には届かない。それでも良い、と柊は片手で横笛を構える。
(横笛は、本来両手を使う。だけど、いまは片手で十分だ)
一人で練習してきたあれを、やってみよう。柊は息を吸い込むと、器用に指を動かして音を奏でた。それは普段彼が奏でるものよりも単調で、しかし不思議な響きを持つ音だった。
「これ、結界の?」
「いや、おそらくそれだけじゃない」
素早く結界が構築される様を戦いながら眺めていた竜玉が、目を瞬かせる。それに応じたのは、鴉の足に踏み潰されるのを間一髪で躱した走矢だった。
「見ろよ」
くいっと親指で後ろを指す。竜玉と瑞飛が走矢の示したものを確かめる前に、奇声を上げた巨大鴉が何かに突っ込んで行く。そして、ぶつかり跳ね返された。
「――よかった、うまくいったな」
ほっと胸を撫で下ろす柊の頭上に、半透明の燕が一羽旋回している。よく見る大きさの燕だが、先程鴉はこれにぶつかって吹き飛ばされた。
ぶるっと頭を振った鴉が、もう一度燕にぶつかっていく。燕はすいっとそれを躱すと、横笛のような涼やかな鳴き声を上げた。
「柊、それは?」
「うん。結界の一部を使って、創ってみたんだ。これで俺も、ようやく戦いに直接参加出来る」
瑞飛の問いにそう応じた柊は、揚羽を片手で抱き締めたまま横笛を奏でる。その音に応じ、燕はその翼を大きく動かす。ゴオッという音がして、疾風が鴉に襲い掛かった。
「――っ!」
動きを止めた大鴉。畳みかけ、竜玉が篠突く雨のような激しい水を叩き付ける。
ずぶ濡れの鴉は、それでも抗いその大きな嘴で、走矢の蹴りを防ぐ。
「ちっ」
「走矢!」
瑞飛が体勢を崩した走矢を空中で受け止め、そのまま走矢の踏み台になる。
「ほらっ」
「っしゃ!」
宙に放り投げられた走矢は、丁度突っ込んで来た鴉を躱し、嘴を下から蹴り上げた。「さっきのお返しだ」と叫べば、体勢を大きく崩した鴉めがけて瑞飛と柊が同時に暴風を叩き付ける。
「いっけぇっ!」
「今だ!」
「――ギャッ」
左翼に大きな穴が開き、鴉は飛んでいることが難しくなる。何とか羽ばたこうともがくが、努力空しく力尽きた。
さらさらと砂のように消えていく大鴉を見送り、走矢が息を吐く。
「……終わった、か」
「らしいな」
「二の君、もう怖くないぞ」
柊が結界を解き、腕の中にいた揚羽に呼びかける。結界を解いたことで、先程までそのあたりを飛んでいた燕は姿を消す。
「あ……」
「もう大丈夫。貴女が襲われることはない、わかるか?」
「……ん」
素直に頷いた揚羽は、そっと柊の衣の裾を離す。
ただそれだけの仕草のはずなのに、揚羽は名残惜しいと思ってしまった。柊にくっつく結果となったがその間、胸の奥がドキンドキンと大きな音をたてていた。その意味をまだ理解しないが、揚羽は「ありがとう」と柊に微笑みかける。
「お蔭で、大鴉を倒せた。ありが……」
「二の君っ!」
「――っ」
柊が揚羽に覆い被さり、事なきを得る。ただし、第二撃はすぐ傍に迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます