第2章 化人と横笛の力

定めを共にする

第17話 呼び名

 一度、自宅に帰ってまた明日来よう。そう言い置いて、柊は屋敷の外へ向かって歩き出そうとした。その背中に、瑞飛が声を掛ける。


「おれが送りましょう。新月にまた近付いてきたから、さっきみたいな奴がいるかもしれません」

「ありがとう」

「構いません」


 先導するように歩き出す瑞飛に、柊は「少し待ってくれ」と呼び止めた。


「どうかしましたか? 忘れ物でも?」

「それに近いかな。二の君に、言い忘れたことがあって」

「わたしに?」


 きょとんと自分を指差す揚羽に、柊は「そうだ」と頷いてみせる。


「ずっと君は、俺に対して丁寧な言葉遣いをしてくれているだろう?」

「そう……ですね。それが?」

「本来ならば、俺の方が丁寧に話しかけなければいけない。二の君のお父上は、大納言の地位にあるのだから」


 なのに、君に甘えてしまっていたから。そう言って、柊は苦笑いを浮かべる。それほど親しいわけでもないにもかかわらず、彼女にはそうしても大丈夫な気がしたのだ。


「でも、それはおかしいよな。だから二の君にも、俺に対して気安い口を聞いて欲しい」

「……良いんですか? かなりわたし、口悪いですよ?」

「……。ふふっ、自分で言うことかい?」


 至極真面目に問い返したにもかかわらず、揚羽は柊に笑われてしまった。不本意だと思いつつも、揚羽はそんな感情すら楽しくて頷いた。


「わかりまし……わかった。引くぐらい気安いかもしれないけど、宜しくね」

「ありがとう。友人として、化人のみんなともそんな風になれたらと思う」

って……」

「あんた、ほんとおもしれぇな」


 ククッと笑う走矢と、彼に同意する竜玉、そして呆れ顔の瑞飛に囲まれて、柊は不思議そうに首をひねった。


「何か……変なこと言ったか?」

「いんや? 気に入ったよ、柊」

「わっ」


 走矢に肩を組まれ、柊は驚き目を丸くした。走矢の背が頭一つ分高く、細身の柊に比べればしっかりとした体躯をしている。あまり似ていないが、兄弟のようだと揚羽は思った。

 しかし、ずっと見守っているわけにもいかない。揚羽は、くいっと走矢の袖を引いた。


「走矢、彼が帰れないでしょ。離してあげて」

「妬かなくても、ちゃんと帰すよ。またな、柊」

「あ、ああ」


 とんっと背中を押され、柊は曖昧に頷く。どうやら認めてもらえたらしいが、今後のことを考えると不安がないわけではない。


「ほら、行くぞ」

「わかった。じゃあ、また」

「またね、柊どの」


 柊が手を振って瑞飛と共にいなくなるのを見届けると、揚羽は「ふぅ」と息をついた。


「……思いがけないことって、こんなに一度に起こるものなんだね」

「同感。でも、何となくこうなる気はしていたぞ」

「こうなる?」


 揚羽がきょとんとすると、走矢が「柊のことだ」と笑った。


「あいつは、オレたちとの縁がある。最初に出会った時から、何となくな。……そう思わなかったか、竜玉?」

「思ってたよ。けど、ただ人だと思っていたから、気の所為だと放置していたんだけど」

「ただの人、ではなかったな。神と神器に愛された奴なんて、この国を捜し回っても何人お目にかかれるか」

「あの中将に隠れていたからわからなかっただけ、なのかもね」


 初めて柊と出会った時、彼の傍には彼よりも目立つ青年がいた。後で化人たちが調べたところによると、女房や女官たちから絶大な人気を得ている中将だということ。


(大抵の人は中将の方に目が行くのかもしれないけど)


 華やかな人ではなく、横笛が柊を選んだ理由が、揚羽はわかった気がした。

 くすっと思い出し笑いをして、揚羽は走矢と竜玉に呼びかける。


「さ。妖のお蔭で汚れたし壊れてしまったところもあるから、瑞飛が帰って来るまでに少しくらい片付けよう。壊れた垣根、少しましにならないかな?」

「だったら、向こうに丈夫な紐の束があったはず。それを持って来るから、乱れたところを縛ろう。それから、幻覚の術をかけておけばましじゃないかな」

「そうしよう。頼めるかな、竜玉?」

「任せて」


 頷いた竜玉を見送り、揚羽と走矢は食事と寝るための場所を確保するために掃除を始めた。ある程度散らかっているのは問題ないが、邸の仲間で土や泥が入り込んでいるのは、流石の揚羽も嬉しくはない。


「……頼るばかりじゃなくて、自分で守れるようにならなくちゃ。もっと、強くならないと」


 守りたいものがまた増えた。揚羽は一つ頷き、箒を取りに邸の裏へと回った。


 ❀❀❀


 欠けた月が浮かぶ空の下、柊は前を歩く小柄な少年に話しかける。少年は人ではなく、化人という存在だ。


「瑞飛、また君たちに助けられた。ありがとう、笛もきっと喜んでいる」

「おれたちが好きでやっていることだ。それに、近々お前もおれたちを助けるようになる。互いの力を利用し合い、支えて助け合えば良い」

「……君たちを助けられる、か。そうなれるよう、精進しなくてはね」


 とんとん、と胸元をたたく柊。そこには、音花に神器だと言われた横笛を入れた袋が忍ばせられている。


「音花様のこと、また少し知れて嬉しかったよ。彼から受け継いだこの横笛と共に、きみたちの力になれるんだろうか?」

「そのことは、明日話す。……ほら、あそこだろう?」

「そうだね。俺の家だ」


 瑞飛が指差す方を眺めて、柊は微笑んだ。


「ここまで来れば、大丈夫。ありがとう。瑞飛も気を付けて帰ってくれ」

「ああ。柊、また明日」

「うん、また」


 瑞飛は柊が邸に入るのを見届けた後、姿を転じて雀の姿となる。そのまま、夜の闇の中へ溶けるように飛び去った。

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