第2話 使命

 その日は、朝から日の光が眩しかった。

 揚羽あげはは午の刻の随分前から、一人書を読み漁っている。それは自他共に認める本の虫である父・昌明まさあきらの蔵書であり、幼い頃から慣れ親しんだ紙と墨の感触。ただ、揚羽は文字を追うことも好きなのだ。


「――姫さん」

「……」

「ひーめーさーん」

走矢そうや、姫様集中なさってるみたいだよ? 後にしたら……」

「そうなんだけど、これは耳に入れておいた方が良いだろ?」


 夜の内に新たに妖を退治して来た走矢が、竜玉りゅうぎょくにたしなめられてたしなめ返している。その傍で、瑞飛みずひは難しい顔をしていた。

 今日の留守番は竜玉で、走矢の話は先に聞いている。急ぐべきだとわかってはいるが、楽しそうな揚羽を邪魔したくないというのも本当の気持ちなのだ。


「……ごめんなさい、夢中になっていたみたいだね」

「姫様」


 三人がすぐ傍でわいわいと言い合っているのを聞いていたからか、揚羽はくすくす笑いながら書物から目を離す。それから三人の様子を眺め、表情を改める。


「何があったの?」

「実は、ある噂を聞きました。それに関する気配も感じたので、申し上げておこうと思ったのです」

「噂?」


 どんなもの? 揚羽は化人けにんたちに体を向け、書物を閉じた。

 顔を見合わせた三人を代表し、走矢が口を開く。


「姫さんは、都に最近現れるようになったという妖を知ってる?」

「噂程度、かな。家人や女房たちが教えてくれたり、話しているのを耳にしたりして知ったくらいのもの。……だってわたしは、基本的にこの邸から出られないんだもの。貴族の姫君って窮屈ね」

「それが、姫君としての在り方だからな。……じゃあ、改めて」


 走矢によって語られたのは、突如夜の都に現れたという謎の妖のこと。


さかのぼること、十日程前。始めは、眷属からの知らせだった」

「雀たちが騒いでいるので、話を聞いたのです。すると、右京で屋敷が荒らされ何人もの人が殺されていたと教えてくれました」


 数日出仕しなかったことを怪しんだ同僚が、検非違使けびいしに知らせたことで事実が明るみになった。

 検非違使たちが邸に入ると、血のにおいが充満していたという。吐き気をもよおす者もいたが、数人がより奥へと入り込む。すると主人の部屋で出仕しなかった男が、近くの部屋でその妻と家人や女房たちが死んでいた。部屋は真っ赤な血で彩られ、死体は獣の爪で切り裂かれた様なありさまだったとか。


「雀たちは検非違使の動きを最後まで見ていたそうですが、同時に人ではない気配も感じていたそうです」

「人ではない、ということは」

「妖、です。しかも、かなり強い」

「……」


 揚羽は顔をしかめ、膝の上で拳を握り締めた。


「……都において、夜盗の仕業と言われるものの半分は妖によるもの。そう教えてくれたのは母上だけど、わたしはまだまだ力が弱くて……あなたたちに頼ってばかり」


 こんな主は失格だ、と常々揚羽は思っていた。本来ならば、若き日の母・桐子のように夜な夜な都を化人たちと駆け回って妖を調伏しなければならない。そうしたい、と揚羽自身が望んでいる。

 けれど、まだ力が足りない。基本的な技や力の使い方は、母や化人たちから教わって来た。それでも揚羽自身の持つ力が弱いがために、実践の機会はない。もう少し強くなったら、と母に止められている。


「姫様……」

「姫さん……」

「姫様……」


 しょげてしまった揚羽を前に、化人たちは顔を見合わせる。

 彼らにとって、揚羽は大切な主だ。桐子によって初めて引き合わされてから、ずっと傍にいた。そして、彼女の住む都を守るため、夜な夜な妖を払っている。

 だからこそ、揚羽に悲しまれるのは辛いところだ。

 どうしようかと目で会話する三人に気付き、揚羽は「……ごめん。困らせたね」と苦笑いを浮かべる。


「それに、話が滞った。続けて、瑞飛」

「――はい」


 揚羽の頼みを受け、瑞飛が改めて口を開く。今は、妖のことを揚羽に伝えなくてはならないから。


「妖は気配のみ、残していました。……おれと走矢で先程確かめてきましたが」

「滅茶苦茶強い魔の気配が漂ってた。正直、今の俺たちが太刀打ち出来るかは怪しいところだな」

「そんなに……」

「はい。ですから、竜玉にも伝えましたが……この邸の結界を張り直します」


 結界により、揚羽の住む邸は妖に襲撃されずに済んでいる。力の強い者を食えばその力を奪い取ることが出来る妖たちは、都で最も力の強い者のいる内裏を狙うことが多い。しかしそちらには桐子が張った結界があり、おいそれとは近付けない。

 桐子が体調を崩しがちなのは、内裏を守る結界保持に力を使っているためだ。

 だから、妖たちは桐子のいるこの邸を狙う。


「話を聞く限り、僕の結界も万全ではないでしょう。だけど、きっと何もしないよりはまし。……姫様たちのこと、守るよ」

「うん、信じてる。明日にでも、母上にこのことを相談しなくちゃ。今日は、父上とお出かけしているからいないしね」

「そうか、今日だったっけ。寺詣では」

「そう。だから、明日必ずね」


 ――そう言ったことを、わたしは悔やむことになる。瑞飛に頼んで雀を飛ばし、母上に伝えればよかったんだ。


 けれどそれは、まだ誰も知らない未来の話。

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