立てる柊、舞う揚羽

長月そら葉

第1章 型破り姫と奥手な少将

序 蟲狂いと呼ばれし姫君

 それは、何れの帝の御時か。

 平安の御代になれという願いも虚しく、この世はただ人には見えない恐ろしい化物ばけもの蔓延はびこる国だった。

 しかしそれも夜、大禍時おおまがときの頃のこと。日の光が射す昼時は、人々が仕事に家事に遊びにと動き、日々を過ごしている。


「……おい、本当に行くのか?」

「何を今更。お前こそ、今更怖気付いたのではないだろうな?」

「そうではないが……」


 市中、貴族の若者が二人歩いていた。

 勇んで歩くのは、中将の地位を持つ若者。見目麗しく、意志の強さが眉に表れている。

 そして、彼に引っ張られているのは少将の青年。中将とは同い年で、幼い頃から何かとつるんできた。中将とは異なり、困惑顔には優しさが浮かぶ。眉目秀麗とまではいかないが、穏やかな気性の持ち主だ。


「その顔に、止めておけと出ているぞ。ひいらぎ

「そう思うのなら、今からでも引き返せば良いだろう。鷹史たかふみ。俺は、お前のお目付け役をお前の兄から頼まれているんだ」

「ったく、兄上は心配性だな。無茶はしないさ」


 柊は「本当か?」と鷹史を疑いの目で眺めてから、軽く息をつく。鷹史とは長い付き合いだが、幼い頃から何度も引っ張り回された。空き家、廃寺、更には殿上人てんじょうびとの邸など、様々な場所に忍び込むのに付き合わされてきたのだ。


(最後には毎回、兄者の鷹信たかのぶ殿にこっぴどく叱られているのにな。懲りない奴)


 今回は、都で噂の姫君を垣間見かいまみしに行こうというのだ。後の世ではわからないが、今は垣間見で恋が始まることがよくある。女の影がないのはお互い様だが、誰かに発破をかけられたかと柊は推測した。


「それで? 噂の姫君は大納言様の姫君だというじゃないか。そうでなくても、覗くというのはどうかと……」

「柊、そんなんじゃ良い伴侶には巡り会えないぞ! 歌や文でしか姫君と交流する術はないのだから、想像力を逞しくするだけでは物足りないではないか」

「お前、折角眉目秀麗で通ってるのにな。大内裏では、色々な女房殿等に懸想されているだろう。そちらは良いのか?」

「大内裏での恋の駆け引きも面白いが、時には市中で刺激に出会いたいのだよ」

「……女房たちに殺されるぞ、鷹史」


 全く、この恋多き中将には困ったものだ。いつものようにそう思いつつ、柊は仕方なしに彼の供をする。

 やがて、二人は目当ての邸の前へとやって来た。

 大内裏から道を少し行き、位の高い人々の邸が連なる場所。その一角、広大な面積を持つ大納言の邸地がある。


「さてさて……垣間見られるところは……」

「気が済んだら帰るぞ?」

「わかってる……。ん? おい、何か聞こえないか?」

「は?」


 垣根から中を覗ける場所を探していた鷹史に手招かれ、柊は耳を澄ませる。すると確かに、垣根の向こう側から声が聞こえていた。


「これは……女性にょしょうの声か? 歌を歌って……?」

「不思議な節だな」


 鷹史の言う通り、それは都の歌会では一度も聞いたことのない節回しだ。後の世であれば、ポップスのような歌い方。

 小鳥が囀るような声に、柊は惹き付けられるものを感じた。見たこともない相手ではあるが、その姿を目にしたいという思いが芽生えていく。


「見てみよう」

「あっ……」


 待て、と柊が制する隙もない。鷹史は嬉々として垣間見る。そして、息を呑んだ。


「何だ、あれは……?」

「どうしたんだ、鷹史?」

「見てみろ。あれは……姫君とは言い難い」


 鷹史に腕を引かれ、柊は垣根の間に目を向けた。すると、何も見えない。


「……? 何も見えない?」

「そんなはずはない。庭で駆け回る女君が……」


 柊がもっとよく見ようと目を細めた直後、垣根の向こう側から声が聞こえた。しかも至近距離で。


「――貴方、だあれ?」

「う……うわあぁぁぁっ!?」

「うおおっ!?」


 突然聞こえた声に、柊は思わず叫んでしまう。するとその声に驚き、鷹史も思わず叫び声を上げる。更に邸の方から雀の大群が飛び去り、あまりの迫力に肝を潰した鷹史はほうほうの体で逃げ出してしまった。


「な……何なんだ……?」

「珍しい。雀たちを見て逃げない者は、なかなかおらぬぞ。だろう、走矢そうや?」

瑞飛みずひ、あまり驚かしてやるな。竜玉りゅうぎょく、お前からも何か言ってくれ」

「そうは言ってもなぁ……。姫様、どうします?」


 垣根の上に腰掛ける少年、いつの間にか現れて自分を見下ろす男の子たち。柊は何が起きているのかわからず、腰を抜かした体勢まま固まっていた。しかしそんな彼の耳に、先程歌っていたのと同じ声が聞こえて来る。


「とりあえず……。立てますか? うちの者たちが脅かしてごめんなさい」

「あ……いや。きみは……」


 差し出された手に触れることは躊躇われ、柊は自分の力で立ち上がった。そして戸惑いを浮かべたまま、誰何する。

 しかし、そこですぐに「先に名乗るのが礼儀だな」と思い直した。


「驚かせたのは、こちらの方だ。すまない。俺は柊という」

「ご丁寧に。わたしは、揚羽あげは。これは本当の名前だから、普段は二の姫と呼ばれているの。内緒ね?」

「二の……」


 人を惹き付ける美しい姫君とは、奥ゆかしく、清楚で、ゆったりとした態度の女人のことを言う。しかし柊の目の前にいるのは、全く異なる特徴を持つ姫君だった。

 一目でわかる笑顔を浮かべ、口元を扇で隠さず歯を見せて笑い、泥まみれになっている。更に普通他人に明かすことのない真名を柊に明かし、内緒だと言う。そんな姫君は、貴族社会では異端だろう。


(……綺麗だ)


 しかし、柊はそんな揚羽の姿に美しさを見た。思わず心を惹き付けられてしまうその訳を知らぬまま、柊と揚羽は初めて出会う。

 それは、春の陽射しが夏へと移り変わろうとする時分だった。

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