2話 呪いと空のクッキー

 俺はモテる男が嫌いだ。そして、理由もなく怒鳴り散らす男はもっと嫌いだ。その二つを兼ね備えたこの大男は存在そのものが最悪と言って良い。

 しかし、今、こいつが吐き捨てた言葉だけは、聞き逃すわけにはいかなかった。


「元の世界ってどういうことだよ!」

「なんじゃ揃いも揃って昼間から興奮しおって。まずは落ち着け」

「貴様のせいで、私がどんな半生を送ってきたか、分かっているのか!」

「まずは落ち着け。儂はそう言ったぞ」


 マヤは静かに――しかし、有無を言わせぬ威厳に満ちた声で言い放つと、大男は気圧され、口を閉じて浮いていた腰を下ろした。


「さて、どこから説明すべきかの。二人とも、互いに似た境遇にあることは今ので理解したな?」

「したな――って、説明が雑過ぎんだろ。もっとねえのか」

「踏み込むと個人情報に触れるんじゃがの。話しても良いか?」

「……構わん。同じ被害者だ」

「はん、笑わせてくれるな。同情の余地こそあれ、全員因果応報じゃろうが」


 自称神は鼻で笑う。


「ま、本人の許可も下りた事だし説明してやると、この大男は今でこそ見る影も無いが、元の世界じゃ女子でな、ここに飛ばされる前までは彼氏もいてそれなりに充実していたそうじゃ」

「それは羨ましい……あーでも、ここにいるってことは死んだのか」

「いいや、此奴は転生ではなく転移――生きたまま魂だけが姿を変えて別世界に飛ばされるなんて、本来あってはならぬことじゃがな。……神の領分に踏み込む呪いなんて、本当に呪いかどうかも怪しいもんじゃがな」


 後半はほとんど独り言だったが、しかしどうやら似た境遇とは呪いも含めての事らしい。


「そう、呪いじゃ。もっとも、此奴は呪った側じゃがの」


 と、マヤは続ける。


「彼氏がいた――と言ったが、酷いフラれ方をしたらしくての。そんなある日、傷心中のところに一人の男が自分と付き合ってくれないかと声をかけてきた。当時二十そこそこ、男は高校生。さすがに未成年に手を出すのは犯罪だと思い、嬉しく思いながらも男の好意をきっちり断った」

「立派な大人じゃないか」

「するとどうじゃ。その男は、フラれたその足ですぐさま他の女へ粉をかけに行くではないか。なんと醜悪な話か。付き合えるなら誰でもいい、なんて理由でその男は傷心中の人間に粉かけたのじゃからな」

「男の風上にも置けねえクズだな」

「怒り心頭に発するのも無理からぬ話じゃ。果たしてどこで仕入れた知識か知らぬが、此奴はその不埒な男に呪いをかけた。女『女心を弄ぶようなクズは、いっそ男に追われるような人生を送ればいい』と、な」

「そりゃ男として地獄だな」

「とはいえ、本人は軽い憂さ晴らしのつもりだった様じゃがの。科学の発展したご時世に呪いだの祟りだの、信じろという方が無理な話。が、しかしどういうわけか呪いは本物じゃった。人を呪わば穴二つ。男は異世界で女として第二の人生を歩む事となり、此奴も同じ世界で、男として生きる事となってしまった。まったく報われない話じゃな」


 言い終えて、マヤは最後の一枚のクッキーを、さも当然のように口へ放り込んだ。

 自業自得と言うにはあまりにも惨い。我慢をすればそれまでだと言えばそうかもしれないけれど、それにしたって救いが無い。


「どうにかしてやれないのかよ。一応でも神様なんだろ」


 立場が違うとはいえ、俺も男から女にされた身だ。その苦痛はそれなりに分かるつもりだ。


「それにはみそぎを済ませんことにはな。簡単に言えば罪の償い――相手にかけた呪いを解くことじゃな。ま、それが出来るなら十年もこの世界で苦労せんかったろうがの」


 一度は落ち着いた大男が、再び眉間にしわを寄せていた。


「貴様の言う通り、十年だ。それでもまだ足りないか」

「いいや、主は十分頑張った。儂が力を貸すに足る程にな。双方のわだかまりが残らない形で手打ちとなれば、儂が解呪――主を元の姿に、そして元の世界へと還してやろう」

「双方ってことはその男を探さなきゃいけないんだろ。それも手伝ってやるのか?」

「探すも何も、ここにおるじゃろ」

「…………ん?」

「女とみれば誰彼構わず声をかける不埒者。主以外に誰がおる?」


 空気が固まった。

 俺が加害者だって?


「要はこのクソガキが、諸悪の根源で間違いないんだな?」


 大男が割って入り、ゆっくりとこちらを睨み据える。おいおい、さっきまでの同情的な空気はどこ行ったんだよ。態度が180度どころか、一周回って振り出しに戻ってんじゃねえか。


「『諸悪の根源』が誰かはさておき、主が呪った相手であることに、間違いはないな。さて、どうするんじゃ。無事に手打ちと相成れば、このまますぐにでも呪いを解き、元の世界へ戻してやれるが」

「わだかまりが残らない形――つまり遺恨が残らない事が重要なのだろう?」

「遺恨を残しては解ける呪いも解けんでな」

「そのためなら手段は問わないと?」

「そうじゃな。呪いに関わる遺恨が双方共に消えるのであれば、殴り合いだろうと剣による決闘だろうと、儂は一向に構わん」

「俺が構うわ! どう見たって一方的にボコられるだけだろうが!」


 こんな大男と美少女が決闘なんて、世間が許す絵面じゃない。


「他に方法があるなら、握手だろう抱擁だろうが儂は構わん」

「だから、俺が構うんだよ。 大体、そんな握手やらハグやらで十年分の恨みが消えるわけないだろ!」

「そうじゃな。元より断てるなんて誰も思うてはおらんわ」


 なら何故言った。


「何事も平和的解決が一番じゃからな。それが無理なら武力衝突しかあるまい」

「………………」

「心配せずとも、儂の『神』としての威信にかけて死人は出させん。何度死にかけようと、骨の一片になるまで戦おうと、必ずや元通りに回復させてやる」



 ◆◇◆



 形だけの交渉の場から一足先に抜けると(正しくは追い出された。本来の目的のアリバイ作りとかもあるらしい。あれだけキレながらもしっかり仕事をこなすあたりは大人だ)、ひどく疲れた顔をしたエリックが椅子に座って残っていた。アルミラージとの戦闘後だってそこまでの顔はしなかったはずだが、俺が知らないだけでよっぽどの事でもあったのだろうか。自分の事で手一杯だってのに、これ以上の厄介事は勘弁願いたいが。


「ギルド全体に響く怒声が聞こえたりとか、その怒声が噂に名高い『勇者』の物だったとか、その勇者のそばにユエちゃんがいたりとか、これで気が休まる方がどうかしてるよ」


 エリックは気の抜けた目でこちらを見た。


「とっくに帰ってたんじゃなかったのか」

「帰ってもやることないからね」

「ここじゃ尚更何も無いだろ」

「家にいるよりは心休まるから」

「むしろ心労溜まってないか?」


 これからの事を知ったら更に溜まりそうだが、なんなら寿命が縮みそうだが、そんなことは勿論言わない。言ってどうこうなる話ではないし、言ったところで期待する展開にならない事は短く無い付き合いの中で十分理解している。拗れに拗れて男に戻れるチャンスを潰されては敵わない。大男と戦う以前の話になってしまう。

 ……それにしても、勇者、ねぇ。


「一応確認するんだけどさ、勇者って奴の姿、ちゃんと見たか?」

「見たよ。聞きしに勝る大男とはまさにあんな感じなんだなって思ったけど」

「………………」

「 大丈夫? 少し顔が青いよ?」

「……いや、ちょっと疲れただけだ」


 小さく、気付かれない様に深呼吸をする。

 単なる大男ではなく、勇者と来たか。

 別に正体が判明したところで何かがどうにかなるわけじゃないが、呼称が勇者になっただけではあるが、チュートリアルからいきなりラスボス戦になった気分だ。

 目的が遺恨を取っ払う事なので、取っ払えるならば不戦も選択肢にはある。全裸で土下座をすればさすがの勇者も大人、寛大な心で赦してくれる――なんて優しい展開は期待しない。


 むしろ、下げた頭をそのまま踏み潰すくらいの事は平気でしてくるだろう。十年もの間、異世界で男として生きる苦しみを味わってきたのに、それを土下座一つで無かったことになんて、誰にもできない。和平交渉なんて、最初から入る余地が無い。

 なにより俺にだって恨みはあるのだ。性転換に比べれば殺された事なんて些末な事に思えるほどだ。まあ……思えると言うか、未だに死因すらも思い出せない時点で些末も何も無いわけだが。

 そんな恨みも、向こうからしたら些末なんだろうけれど。

 ……だからなんだと言う話でしかないが。


 考えてたらだんだん腹が立って来たぞ。

 十年の恨みなんて俺にどうしろってんだ。どうしようもないじゃないか。そもそもと言うなら、それこそ呪ったこと自体が発端じゃねえか。なんで逆恨みまで俺が面倒見なきゃならんのだ。ましてや大人の男なんて。いくら元が女だろうが今は男、情けをかけて一体何になる。

 ああ面倒くさい。気分転換にクッキーでも食べて気分転換でもしようじゃないか。

 そう思いポケットの中をまさぐったのだが、指先が掴んだのは、ポケットの布地だけだった。

 いつの間にか全部取られていた。


「……ずっと座ってるのもあれだし、何か注文するか」


 この時の俺はすっかり忘れていたのだ。

 かけられた呪いは一つでは無い事を。

 気付いたのは、全てが手遅れになってからだった。

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