青い性

砂華

第1話

 ――眩しい。

 目を閉じていたはずなのに、なぜだろう。まぶたに温かい光を感じる。

 これは……日光?

 うっすらと目を開けてみる。ああ、眩しい。起きたばかりでしょぼしょぼする。ふと見上げると、自分の部屋の天井がぼんやりと映った。


「うう……朝のような気がする」

「ような、じゃなくて実際に朝なんだよ、まさくん」


 聞き覚えしかない声が入り込んで、声にならない短い悲鳴が喉を掠めた。


「な、なんで居るんだテメー……どうやって入り込んだ?」

「テメーだなんて物騒だなあ。ちゃんと昔みたいに名前で呼んでよ。ね、雅くぅん?」


 馴れ馴れしい。

 いや、仕方のないことだ。ため息を吐く。


「朝からため息なんて良くないなあ。わたしが雅くんの幸せ吸収しちゃお!」

「うわ……マジかよ、こいつ。ヒトの二酸化炭素奪わないでもらえるか?」


 俺が吐き出したため息を、あろうことか吸い込みやがった。光合成でもできるのか? 男はできないけれど、女ならできるのか? 

 ――それはそうと。

 ため息を吐くと幸せが逃げる、とかいうくだらない迷信を、ひたむきに信じているがごとき所業を成し遂げたのだ。素直に感心する。もちろん皮肉を込めて。


「えへへ。これって間接キスだよね、ある意味。初体験だよね?」

「間接キス程度で初体験を名乗るなって。昭和以前の初心うぶ学生かテメーは」

「むぅ……どーてーのクセに威張り散らかさないでくれる? ほんとは内心ドキドキしてたまらないんでしょ。こんな可愛い幼なじみに初キス奪われたんだから!」

「おぼこの分際で何を言うか……あと、初キスじゃなくて初光合成な」


 未体験同士のじゃれ合いほど虚しいものはない。机上の空論を振りかざしてふんぞり返れるほど厚顔無恥でもないのだから。

 光合成おぼこネキも、それが分かっているのだろう。これ以上の論争は無意味だと知っているのだろう。冷戦状態が続く。続くったら続く。


「ぐぬぬぬ……」

「……グヌンシトリ」

「ふふっ……」


 ほんとくだらねえ。

 なんでこんなので笑っちまうんだよ。

 冷戦状態が続くと、だいたい『笑ったら負けゲーム』が始まり、笑ったやつが勝ったほうのご機嫌取りをしないといけないという、しょうもない役を担うことになるのだが。

 今回は完全にしてやられた。まさか、こいつが瞬時にインドネシアの実在する都市名をかぶせてくるたぁ。


「えへへ。わたしの勝ちだね、雅くん」

「テメー、やるじゃねえか……で、要望はなんだ?」

「名前」

「……はい?」

「雅くん。さっきからわたしのこと、テメーとかこいつとか物騒な二人称でしか呼んでくれてないよね? まずはちゃんと勝者に敬意を払ってよ。昔みたいに、ちゃん付けでね♡」


 怠すぎ。

 女の子にちゃん付けマジ?

 そんなことするの、保育園の先生かセクハラ常習犯くらいだろうが。後者はマジで死ね。部下にセクハラするようなカスボケ老害は、この世から居なくなれ。

 失敬。殺意が反転した。

 前者は給与高くなって幸せな生活を送れるようになってほしい。

 名もなき市民に思いを馳せていると、不思議なことに勝者に対する優しい気持ちが溢れてきた。――よし、いまならこの暴君と化した不法滞在幼なじみを、ちゃん付けで呼べるぞ。保育士のような無限大の愛で包み込んであげられる。


沙耶夏さやかちゃん」

「長かったねー、沈黙が。そんなにわたしの名前呼ぶの、いやだった?」

「名前自体は良いんだよ。普段から呼び捨てで呼んでいるから」

「ちゃん付けが恥ずかしかった? えへへ。そうだろうなと思って、このお願いにしたんだよ! わたし、雅くんの恥ずかしがっている姿が好きだから……♡」

「きも……終わっている性癖じゃねえか。なら、その歪んだ性欲を満たすために放尿姿でも見せてやろうか?」


 股ぐらに両手を宛がうパントマイムを披露してみせたが、明らかに怪訝な顔をされた。どうやらそういうことじゃないらしい。


「それは見るほうが恥ずかしいやつだよ……だって、お尻丸出しなんでしょ」

「小学校にそういうクラスメイト居たけども。高校生で未だにプリケツショータイムで放尿しているやつなんか居ねえよ」

「じゃあ、雅くんはどういうスタイルでおしっこするの?」

「そりゃあ、トランクスの隙間からニョロリとおちんぱすをだな……」


 って、なんの解説コーナーだよ。

 いまさら恥ずかしくなって、言葉に詰まる。

 ふと気になって、沙耶夏のほうを向くと、期待と満足感が溢れんばかりの眼差しで、こちらをニヤニヤしながら見ていた。――なんだこいつ。


「恥ずかしがってるね、雅くん。おいで、なでなでしてあげる♡」

「恍惚としたメスの微笑みやめろ……なんだよ、子宮が疼いてんのか?」

「そんなとこ。性癖に刺さって、いまにも雅くんにかぶりつくとこだよ……」


 ヤバいです。子宮疼きネキ、マジの発情メス顔になってもうてます。ほっぺたはほんのりと赤く、心なしか呼吸も荒い。

 対等な距離だったはずなのに、じりじりと近付いてきていらっしゃる。赤を見ると突撃してくる雄牛のような獰猛な勢いで迫ってくる。――これはまずい。

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