第6話 責任の所在

 今すぐ現実から逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだったが、その間に希美がいなくなってしまったらと思うと、迂闊に気絶することすらできやしない。


「少し借りるよ。念のため俺も証拠をコピーする。良いかな?」

「うん……それは大丈夫だけど……」


 心配する希美に微笑みかけ、俺は自室に移動してパソコンのデスクに座った。


 希美も普通の精神状態じゃなかったし、撮し漏らしがあるかもしれないし、俺自身が作業をしないと頭の中で情報を整理も処理もできない気持ちもあった。


 こんなに助けを求めて怯えた表情をしている希美に、俺は一切気が付くことができなかった。


 10年近い付き合いがある一番大切な人なのに……。


 一番最初にその変化に気が付かなきゃいけなかったのに……。


 俺は彼女が発しているSOS信号にまったく気が付かなかった。



 俺に彼女を責める資格があるのか……。

 その答えが出ないまま、俺は希美から預かったスマホをパソコンに接続した。



 動画とメールのやり取りからして、脅迫の証拠として機能するかもしれないと考え、パソコンにメールと動画をコピーし、保存することにした。


 希美が保存したデータもあるものの、俺自身で動かないと不安で堪らないので、自分の中で心の整理をする意味でも、改めてやり取りを自分で保存することにした。


 アカウントを消されるかもしれないので、相手の情報とタイムライン、そしてメールのやり取りを呼び出して全てスクリーンショットを撮る。


 見れば見るほど吐き気が募ってくるが、胃の中にはもう何も残っておらず、血の味しかしなかった。


 淡々と時間が過ぎていく中、俺は背中越しに希美がこちらを伺っている気配を感じていた。


 何か話しかけようとするも、息を呑む音しか聞こえず、やがて俯く。


 俺は心を落ち着け、できるだけ優しいトーンで意識しながら声を掛ける。


「希美……何か飲み物用意してくれるかい?」

「え?」

「胃の中が空っぽで痛いんだ。希美の淹れてくれたミルクティーが飲みたいな」


「う、うんっ! すぐ淹れてくるね!」


 涙声になりながらも、少しだけ笑顔を取り戻した希美はすぐさまキッチンに向かっていった。


 俺が作業している間、希美はソワソワとしながら飲み物を用意したりと、甲斐甲斐しく俺の心配をしてくれた。


 俺は、きっと甘いんだろうな……。希美が罪悪感で潰れないように、気を遣ってしまっている。


 許したわけじゃない。一瞬でも気を抜いたら希美を殺してやりたくなるくらいに激しい憎悪を感じている。


 でも、これ以上彼女を激しく罵倒する気にもなれなかった。



 …………

 ………

 ……



 考え得る限りの情報を集める作業を終えて一時間後、この男を社会的に制裁するにはどうするべきか。 


 それを考えながら強姦魔とのやり取りを保存し終えた。スクショはやり取りの最初から保存してあるので、後から消された時の対策はバッチリだ。


 気持ち悪くて仕方なかったが、動画も写真も全てダウンロード済みだ。


 この男、話術は上手いが頭は悪いのだろうか。


 こんな証拠となるような映像をいくつも残しておいて、よく今まで捕まらなかったものである。


 そして希美と改めて向き直る。


 時間を空けることで、俺の激昂しそうになる怒りも幾分か落ち着きを取り戻した。


 文章の内容を改めて見てみると、希美は相手が俺を馬鹿にした発言をした時はちゃんと否定したり躱している。


 段々と言い返しても無駄だとわかり始めたのだろう。適当にスルーするようになっていった。


 一つだけ救いがあるとすれば、流すような発言はあっても、一緒になって馬鹿にすることはなかったことか。


 俺に対する愚痴や悪口などは一切なく、ひたすら相手の言うことに反論しようと頑張っている姿勢が見て取れた。


 相手の方が口の上手さが何枚も上手なので、最初は俺を馬鹿にする発言を繰り返すDQN男の言葉に言い返しながらも、回を重ねるごとに段々と言いくるめられている。


 だけどそれも段々と様子が変わってくる。

 悪口や脅しの文言はなくなっていき、徐々に普通のカップルがするような会話が増え始めていった。


 最終的には一番初めに見せられたようなラブラブなやり取りがウェイトを占めていく。


 一瞬、結局自分の事しか考えて無い自己弁護の塊とも思えたが……、レイプされて脅されていたという背景を考えると、それも致し方なしか。


 しきりに『彼氏と別れて俺の女になれ』と。


 それに対する希美の答えは、『彼氏の方が大切だから』だった。


 その一言で、荒んだ心の幾分かは救われた思いだった。


 だが、この調子ではいずれ時間の問題だったかもしれない。


 相手に対する嫌悪感が、確実に溶かされて心が傾倒し始めている。


 あと1ヶ月。いや、一週間、もしかしたらあと1回でも遅かったら、全てが手遅れだったかもしれない。


 さて、どうする……。


 いくら最初はレイプだったとしても、その後で希美が、俺にすら相談せずに自分から抱かれに行ったのは事実だ。



 それは、誰が見ても紛うことなき俺への裏切り行為に他ならない。


 100年の恋も冷めるような酷い状況だ。


 俺の気持ちは一気に冷めて行った……。



 と、普通ならなるだろう。


 だが、おかしな事に俺が思ったのは、どうしようもないほどの哀れみの感情だった。


 希美の性格で唯一と言って良い欠点こそ、自分を主張することができない意志の弱さであると、俺は昔から知っている。


 知っていた筈だった。今回の事は、それが最悪の形で現象化してしまったのだ。


 俺は希美を許せるか? その答えを、行動で示した。


「希美……」

「……アッ君、んっ!? ちゅ……んぅ、ん♡……ふぅ、んっ♡」



 ベッドに座ってうなだれている彼女の手を取り、しっかりと見つめて自分の意思を伝える。


 これが偽りのない本心であることを伝える為に、彼女の唇にそっとキスをして落ち着かせた。


 ここで希美が俺からのキスを拒むような仕草をしたら、立ち直れなかったかもしれない。


 だが彼女は一瞬だけ身体を硬直させたあと、ゆっくりと首に手を回してキスを受け入れてくれた。


 涙の塩味が口の中に零れ落ち、唾液に混じって薄まっていく。


 何度も何度も唇同士を擦り合わせ、そのうち彼女の方から積極的に押し付けてくるようになった。


 長い長いキスを堪能し、銀色の糸を引きながらゆっくりと唇を離していく。


 ウットリと頬を紅潮させ、ぼんやりしている希美に、俺はいま思っている言葉を口にした。


「まずは、ごめん」


 まさか謝罪されるとは思ってなかったのだろう。


 希美は心底驚いた様子で目を見開き、目尻から再び涙をこぼす。


「……どう、して? 私……あんなに酷いことを……」


 何かを言おうとする彼女を遮り、言葉を再び紡ぐ。


「希美がレイプされてたなんて、ちっとも気が付いてあげられなくて……きっと辛かっただろうに。俺はプロポーズの準備することに夢中になって、肝心の希美に目を向けていなかったらしい」


「アッ君……アッ君……ッ、ごめんなさい……ごめんなさい……本当に、酷いことして、私って最低……」


 ともかく、希美はかなりヒートアップしている。


 どっちに責任があるとかどうとかは、とりあえず置いておこう。

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