猫のすさび星

橋山直樹

前半

 二二二二年二月二二日二二時二二分二二秒。世界は猫に支配された。


 言うまでもなく、これはニャンニャンニャンニャン年ニャン月ニャンニャン日ニャンニャン時ニャンニャン分ニャンニャン秒のできごとである。ヒトの語呂合わせでいうところの、スーパーウルトラグレートデラックスアルティメット猫の日であり、ちょうどいいからここで区切ることにしよう、と種族内での同意が得られたものだ。身も蓋もないことを言ってしまえば、その瞬間に特別何かがあったというわけではなく、単なる記念日として制定されたにすぎない。


 なにしろ覚えやすいのがいい。そもそも日付というものをさほど必要としない我々にとっては、覚えやすさは何よりも勝る利点であった。もっとも、忘れたからといって何かの支障があるわけではないし、仮に我々が忘れたとしても、ヒトの誰かはしつこく覚えていることだろう。


 たぶん。


 実際には、これより以前から事実上の支配は始まっていた、とする説が有力なのだが、残念ながら、文字を持たない我々にはそれを記録する術がなく、正確なところはよくわからない。もっぱら口伝えに頼るしかないが、総じて我々はおおらかな気質でもあるため、種族の歴史などという些末なことには、興味を持たない者がほとんどだ。そのため欠落した部分も多く、かなり大雑把な講義にならざるをえない。


 まぁ、正直なところ吾輩自身も、このような話は、かなりどうでもいいと思ってはいるのだ。大事なのは温かい寝床と、腹を満たすに足りるだけの、たっぷりとした食事である。それさえあればたいていの悩みは解決するし、誰もが幸福に暮らしていけるはずなのだ。


 生きるのに小難しい理屈なんていらない。真理とは常に単純明快なところにある。よく覚えておきたまえよ。


 思うに、こうした真理をこの世で最もよく理解していたのが、我々の種族ということになるだろう。だから世界を手中におさめ……おっと、この表現は適切ではないな。前脚でおさえることもできた、というあたりに言いかえておこう。どちらにしても、まさしく当然の帰結であった。


 少々前置きが長くなった。


 もう察していることと思うが、吾輩は猫である。表向きの家主であるヒトをしもべとして、美食と惰眠とをほしいままにする、この世界の真の支配者だ。


 我々猫とヒト族とのつきあいは長く、はじまりは太古の昔にまでさかのぼる。その頃、我々の祖先は野山を駆けめぐる美しき狩人であったが、あるとき、奇妙な生き物が群れを作っていることに気がついた。


 そいつらは後脚だけで立ち上がり、縦に細長い風体をしていた。見上げるとちょっとした木のようでもあり、登ったら案外楽しいかもしれない。我々からすると、重心が高くてバランスが悪いようにも思えるが、それで問題なく歩いているのが不思議だ。ただし運動能力は低いようで、我々が走るスピードにはまったくついてこられなかった。獲物をしとめる爪や牙も退化していたから、どのみち狩りだけでは生きていけなかったことだろう。


 そのかわり、彼らはあいた前脚を器用に使い、物を掴んだり振り回したりといったことが得意だった。我ら猫族も前脚の扱いには自信があるが、連中の「手」が繰り出す複雑で繊細な動きは、ちょっとマネできない。特に、あれで背中をなでられると実に気持ちがよく、そのまま眠ってしまうこともしばしばだ。


 失敬。最後のは少々余計だったな。


 ともかく、そんな次第で、彼らヒト族は「腕」と呼ばれる前脚を駆使し、そこに道具を持つことで欠点を補った。群れで協力すれば、自分たちより大きな獣もしとめたというから驚きだ。その一方で、木の実や草の葉なども節操なく食べており、やがて自分たちで植物を育てるようになった。危険を冒して狩りを続けるより、その方が安全で効率的だと考えたらしい。


 そうして収穫された作物は、ヒト以外の生物にとっても食べ物だった。我々は肉食だから関心が薄いものの、雑食のネズミなどにとっては、わざわざごちそうを集めてくれているようなものだった。苦労して蓄えた食物を、頻繁に荒らされるので難儀していたという。


 はじめ、我々の祖先は、このネズミを目当てにヒトに近づいた。


 猫族とヒト族、双方にとって幸運だったのは、食生活の被りが少なかったということだろう。ヒトは雑食だから肉や魚も食べるし、ときに我々がそれをかすめとったこともあるが、基本的に、彼らが主食とする農作物には見向きしない。それらに害を及ぼすネズミを狙って現れるのだから、むしろ歓迎されるようにさえなった。いつの時代も、一番恐ろしいのは食べ物の恨みということだな。


 肉食とはいえヒトから見れば小型であり、彼らを襲おうとしなかったのも、警戒されなかった理由の一つだ。まぁ、子育て中などで気が立っているときは、思わず引っかいてしまうこともあるけれど、それは迂闊にちょっかいをかけるヒトの方が悪いのだ。適度な距離を保っていれば、充分に共存できることを、どちらも徐々に学んでいった。


 こうして、我々の祖先はヒトの傍らで暮らすようになった。最初はつかず離れず、互いの顔色をうかがいながらだったが、敵意がないと見てとるや、大胆な者が住み込みでネズミ番をし始めた。ヒトが作る建物は雨風をしのぐのにうってつけだったし、獲物を探して縄張りをうろつくよりも、向こうから来るのを待つ方が楽だったからだ。


 我々が住むとネズミもなかなか近寄らなくなるが、それだけでもヒトには感謝されたし、獲物がなければ食べ物を貢いでもくれた。これならヒトも猫も飢えることなく、共同生活を維持できる。我々はよい友人になり、ともに栄えていったわけだ。

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