第47話 ハチカブッチャッタヒメ(6)

「じ、地震?」


 ネコルはとっさに天井を見るが、揺れが分かるものは何もない。さらにもう一度、スタンド式の灰皿が揺れるほどの衝撃があった。

 壁の向こうからだった。


「彼女がやってるのか?」

「ええ。起きたとたんにこちらの言葉をまったく受け付けなくなりました。端的に言うと――暴走していますね」


 久麗の報告に、宇野が舌打ちした。


「わかった。私が行こう」

「ちょっと待ってくださいって!」


実際に叫んだのは凪だ。

 宇野が、休憩所を出る足を止めて振り返る。凪は凪で、続きは君にお任せとばかりに、こちらを見返す。ちくしょう凪め、言うだけ言ってそれなのかよ。

 ネコルは覚悟を決めて、腹の思いを打ち明けるしかなかった。


「……俺たちも、一緒に連れていって、ください」

「無理だ」


 向こうは首を横に振った。


「ごめん。こんな形で呼びつけておいてなんだが、状況が変わった。いま君たちを近づけるのは、危険すぎる」

「キーワードの心当たりがあるんです!」


 宇野の目つきが、確かに変わった。


「確かだね?」

「たぶん。連れていくって言うなら話します」

「猫崎くん――」

「お願いします。あんまりおおっぴらに言いたくないないんです。間違っていたら、彼女の名誉にも関わります」

「名誉?」

「そうですやばいんです」


 必死で食い下がると、宇野は沈黙した。地響きはやまない。ネコルたちが譲らず立ち続けると、観念したようにため息をついた。


「久麗君。君は先に現場へ。後から行く」

「宇野さん! いったい何を考えて――」


 久麗の抗議に耳を貸さず、宇野はネコルたちを手招きをする。久麗はしびれを切らし、「知りませんよ」と足早に走っていった。

 そんな間も壁を何枚か挟んで、ポンコツ十万馬力が暴れるような、ひどく懐かしい音が響いている。


「連れてってくれますね?」

「そうだね。でもその前にキーワードだ」

「ええ。キーワードは――」


 狙いは、宇野の首もと。それと足。

 ネコルと凪は、ほぼ同時に襲いかかった。


   ***


 久麗要が、はじめてその少女の存在を目にしたのは、生身の姿ではなく機関が手に入れた映像資料からだった。

 当時十四歳の少女だった度会ヒカリが、フロリダの病院内の廊下を懸命に歩いていた。センターの爆発事故直後の映像だ。


『――OK。そうだ。その調子だ。がんばれヒカリ』


 白人の理学療法士の励ましを受けている。しかし長時間にわたる手術が終わったばかりの少女は、手すりにつかまりながらも何度となく転んだ。


『ヒカリ。ファイト』

『……パパは、何をしているの? 作りっぱなしで置いていかないでって言って』


 療法士の体が止まった。


『だいたいこれのどこが、度会桐吾の最高傑作なの? こんな機体で歩けって言われても、無理。不可能。左肩関節の駆動が、命令から二十秒遅れなんて冗談もいいところ。膝のバランス機能がめちゃくちゃよ。センサーがいかれてるとしか思えない。いいから全部外してメンテに出して。こんなのテストケースにだって使えないわ』


 この時の彼女はまだ、あの大げさなヘッドギアも付けていなかった。包帯の目立つ体に無骨な義手を組み合わせて、リノリウムの床に膝をつきながら、真剣に『修理してくれ』と訴える無垢な瞳が怖かったのを覚えている。

 彼女を手術したセンターの医療スタッフも、こんな対応には苦慮しただろうと思う。

 ヒカリの意識の回復と前後して、ドクター・度会の病状も悪化し、重篤状態に入ったと聞いている。会わせたくても会わせられなかったのだ。

 かわりにヒカリの面倒をみるようになったのは、度会桐吾に呼ばれてやってきた宇野綴だった。かつて彼女と一緒に暮らした、博士の一番弟子の青年。ただしヒカリの認識は徹底していて、忙しい桐吾に代わって自分のメンテナンスをしにきた技術主任という設定だった。 


『おはようヒカリ。今日は顔色がいいね』

『皮膚装甲は特に変えてないはずです。ドクター・ツヅリ』

『……ニックがね、君のことを褒めていたよ。綺麗な黒い瞳だって』

『パパの入れたカメラの質が良かったってことですか?』


 どこまでもかみ合わない青年と少女の会話。いっそコントとも呼べた。少女の口調は日に日に固くちぐはぐになり、空想は悪化の一途をたどったようだった。

 けれど――宇野を含めた治療スタッフもまた、彼女の危険思想の元である義手を切り離すことには、積極的になれないようだった。それこそ天才・度会桐吾が、娘のために作った最後の作品なのだ。

 貴重な『人間型』の秘密が詰まっている上、装備を外すとヒカリはリハビリ前の寝たきりに戻ってしまう。ろくに動けない少女が、都市型作戦兵器という設定を借りるだけで、人並み以上の運動ができる事実も無視できなかった。

 事故から半年後の映像も、久麗は併せて観た。

 モニター画面に映るヒカリの頭には、当初はなかった立派なヘツドギアがかぶさっていた。直接映ってはいないが、近くに宇野も控えているらしい。


『……やあ来たね。そこに掛けなさいヒカリ。大丈夫。怖いことは聞かないから。今日は実にいい天気だ。君の保護者もちゃんとそこにいるから。そうそう、安心していい』


 会話の相手は、たぶんあちら側のセンターの幹部だ。


『それでどうだい、体の調子は。その妙なかぶり物は……なるほど。博士の設計図にあったんだね。そりゃあちゃんとかぶらないといけないね。大丈夫。無理に外せとは言わないよ。おかげでずいぶん回復していると聞いているよ。このまま元気になればいいさ。なに、すぐに元通りになる。

 つまりその、なんだね。私は例の事故について話をしたいんだ――うるさいなウノ君。少しぐらいはいいだろう。報告書を見ろ? こっちも遊びでやっているんじゃないんだ。彼女ももう子供じゃない。話が聞けない年じゃない。

 いいかい、続けようかヒカリ。あれはね、実に不幸な偶然が重なった結果だ。悲しい事故だ。我々も多くの優秀なスタッフを失った。博士もこんな結果になって無念だったろうに。我々の気がかりは君のことだけだ。

 思い出してはくれないだろうか。亡くなった博士は君に、何を託した? こんな頼みをここでするのは心苦しいが、君は彼から大事なものを受け取っていると思うんだ。

 さあおいで。私の目を見て。大丈夫、君を害する人間は誰もいない。

 そうそう……そろそろすべてを受け入れて……ん? なんだい君。なにか言いたいことが……ちょっと待て。なぜ私が敵に? 警戒モード? 排除? なんの話だ! やめろ! 止め、助けてくれ!』


 ──ブラックアウト。


 あとは漆黒ばかりが画面を埋めた。

 いったいどんな恐ろしい目にあったかは知らないが、この映像を撮った直後、センターはヒカリを手放すことに決めたらしい。宇野が本格的に彼女を連れて蠣館にやってきたのは、他に選択肢がなかったからだ。そして蠣館の末端である久麗の奮闘もはじまった。

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