第37話 ライフ・イズ・ゴー・オン(2)

 ──もはやこれは、女子怖い、などという言葉で片付けていい話ではないのかもしれない。

 ヒカリと小日向祐子たちとの間に溝ができたまま、数日が過ぎた。

 現状では時がたって緩和するどころか、亀裂は深まっていくばかりのように思える。


「……なんかさあ、教室いても空気が重いんだけど。なんとかなんねー?」

「ほんとほんと。頼むよネコル!」

「肩こるんだよ」


 そんなことを語る現在は、六時間目のロングホームルームである。

 この時間はまとめてレクレーションタイムということで、体育館でバスケットボールなどにいそしむことになっていた。

 二面あるコートの中で球を追いかけているのは、全員がC組の人間だ。レクというだけあって本気になって試合をしている人間など誰もおらず、服装も制服のまま。女子はスカートの下にハーフパンツだけ仕込んで、パンチラ防止に努めている。

 ネコルは男子チームの順番待ちで、コート脇で荷物の番をしながら絡まれていた。


「俺に言われても、どーしろって……」

「お前だから言うんだよ。度会ヒカリ調教師」


 そんな風に言われた時期も、あったかもしれない。

 しょせん野獣を飼い慣らすことなど、無理があったのだ。

 現在、ヒカリはクラスに来たばかりの頃のように無口になり、昼はいつのまにか教室から消えるようになった。放課後になれば、もう誰も知らない。朝来て、授業を受けて即座に去っていく。本当に空気のような振る舞いだ。


「凪君ナイスシュート!」

「いえーい!」


 ……何をやっているんだ、あいつは。

 なぜか海老原凪という人間が、男子側のコートではなく女子コートに混じってボールを追っていた。お気楽にシュートを決めればチームの女子とハイタッチ。審判のルーシーも呆れている。制服のズボンはそのままなのに、違和感がなくて本気で怖かった。


「はいはーい、つぎー。ヒカリちゃん交代!」


 どきりとしたのは、凪がそこでヒカリを引っ張り出したからだ。

 凪と交代でコートの中に放り出されたはいいものの、絶賛まわりと冷戦中のヒカリは、白線ぎりぎりに立ったまま動かない。相手チームの中には、小日向祐子もいた。彼女も一瞬ひるんだようだが、すぐに気持ちを切り替えてくる。


「点取ってくよ!」


 笛とともに味方からパスされたボールを受けて腰を落とし、今まで以上の勢いでドリブルをはじめる。敵のディフェンスをかいくぐる。


「へえ。うまいのな小日向」

「あいつ中学バスケ部だぞ」


 周りの雑談に納得する。それだけのテクニックは十分にあった。

 ヒカリちゃん動いて! と、凪が叫んだ。

 ヒカリはその場で首を四十五度傾けた。

 違う、ボールを捕るの! と、再び指令が下った。

 ヒカリはその指令をどう勘違いしたのか、小日向祐子の前に立ちふさがるかわりに、コートの外にあったボール入れのカゴを、ちゃぶ台のようにひっくり返した。


(──こんのアホ!)


 ネコルはとっさに腰を浮かせた。よもやその金属カゴをぶつける気か?

 けれど――そこから先の言葉が、出てこなかった。

 たぶん、それ以上に冷たい眼差しで、ボールの海の真ん中にいる小日向祐子が、ヒカリのことを見つめていたからだ。


「……できないね、これじゃ」


 彼女はそっけなくつぶやいて、持っていたボールを放り、コートの外へと歩いていった。そのままヘアクリップで留めていた髪をほどき、スカートの下にはいていたハーフパンツを脱ぎはじめる。

 ルーシーが慌てて反則の笛を吹いていたが、もはや試合続行という雰囲気ではなかった。


*** 


「おい、度会!」


 授業終了と同時に教室を出たヒカリを、ネコルはとりあえず追いかけた。

 そのまま彼女の名を呼び続け、階段の一階まで降りたところで、ようやく向こうの足が止まった。こちらは二段飛ばしで、残りの階段を駆け下りた。


「……どうしましたか?」

「いや……その、大した用じゃないけどな……」


 あらためて問い返されると、うまく説明できる気がしなかった。

 天井を見上げ、軽く息を整える。


「……お前さ、このままでいいとは、思ってないんだろ? だったらとりあえず、小日向たちに謝っといた方がいいんじゃないか?」


 とにかくできることをしなければならない。

 あの雨の日の出来事が、非常事態だったのは確かなのだ。直接ネコルが現場を見たわけではないが、ヒカリとて好きでゲートを巻き込むような暴れ方をしたとは思えない。

 せめてその一点だけでも、小日向祐子や半田みちるたちに説明できれば、向こうの気持ちも落ち着くと思うのだ。


「あいつらほら、単純だから。怒ってるっていうより、ないがしろにされたって思って拗ねてるだけだろ。俺が事情説明するよりは、お前が直接言った方が絶対いいって。まだ小日向も半田も教室にいるから――」

「……悪いけど、ダメです」


 思ってもいない返答がかえってきて、ネコルは言葉につまってしまった。


「できません。時間がない。帰らないと」


 帰らないと? 時間がない? なんでそうなる?


「ちょっと、待てよ」

「じゃあ、さよならです」

「さよならって、お前な、本気でいい加減にしろよ! 何様だよ偉そうに!!」


口から出た言葉は、きつかった。今までの鬱屈を全てぶつける勢いで、予想よりずっとトゲが飛び出ていた。

ヒカリが、まるで頬を打たれたようにびくりと体を震わせ、一歩さがった。

 頭のツノを触られたくないのか、自分で自分のヘッドギアを落ち着きなくなで、肩にかけていた鞄も抱えなおす。


「Sorry」


 それだけつぶやいて、走りだした。


「おい度会、待てよ話きけよ――!」

「もういいんじゃないの? ネコル」


 振り向けば、金髪の幼なじみが立っていた。

 ルーシー・西村・ストラットフォードは、やや冷めた碧眼で、こちらを見ていた。


「そんなにがんばらなくても、いいんじゃないの? ネコルがそこまでやる必要、ないと思う」

「んなこと言ってる場合かよっ。人に面倒みろとか言っておいて――」

「じゃあそれ、取り消す」


さらりとひと言。


「ごめんなさい。あたしが間違ってたの。度会さんの問題は、度会さんが自分で解決しなきゃいけないことだと思う。だからネコルはネコルで、もう自由になって」


 表向きの理由は、そうやってあっさりと切り捨てられてしまった。


「それでも追いかける? そう思うのはなんでか、聞いていい?」


 ──八つ当たりになったからだ。

 あの日の事件に関して謝ってほしかったのも、事情を説明をしてほしかったのも、小日向祐子ではなく自分なのだ。それが受け入れられなかったから、怒鳴った。拒絶されたから、癇癪をおこした。

 結果として、小日向たちの仲の修復も不可能になるかもしれないぐらいに、怯えさせた。


「追いかける理由は、相手がぴーちゃんかもしれないから?」


 ネコルは、今度こそ目を見開いた。


「……凪が教えたのか?」

「あたしが無理矢理きいたの。怒るならあたしに怒って」


 ささやくルーシーこそが、静かに燃える火のようだった。

 その挑むようなまなざしが強すぎて、そらすことができなかった。


「答えて。ネコルがいま見てるのは、十年前の初恋のぴーちゃん? それとも、二年C組でロボットしてる度会さん? どっち?」


 胸につまる。思いがけない問いかけに、瞬間浮かんだのは――。


「ああもう! それっぐらい、さっさと答えろってのよ、この鈍感大王っ!」

「おまっ、ルーシー!」

「もう知るか! 勝手に振り回されて飛ばされてろ!」


 なにをされたかと思えば、右フックでぶん殴られたのだ。

 向こうは階段を降りてきた男子生徒を蹴散らしに蹴散らし、また上の階へと駆け上がっていく。

 痛み自体はさほどなかったものの、拳で打たれた衝撃は消えない。


「……まだなんにも言ってねーだろが、あの短気女……」

「怒られちゃったわね」


 ネコルは頬をおさえたまま、声の方向を振り返った。 

 壁に耳あり、障子に目あり。廊下の窓に先輩あり。

 校舎裏に面した窓が、半分開いていた。そして、サマーベストのふっくらとした胸元に、三毛のモルモットを抱いた久遠霧香が、透明感のある笑顔を浮かべてたたずんでいた。


「ちょっと、こっちでお話してく? ネコル君」

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