第35話 ワタライヒカリレポート(8)
――製作ナンバー0021-mw。都市型作戦兵器『度会ヒカリ』カスタムは、垣ノ立市蠣館四丁目付近の交差点を北上していた。
敵はチームαとωに別れ、彼女の足止めと確保に移る。ポイント9、蠣館会館前にて、車による接触を試みてきたチームΩを、度会ヒカリ・カスタムは車輪の狙撃により横転させる。ワンボックスカーの車内にいた敵の数は三人。彼女は搭載プログラム通り敵を尋問するため、走行不能の車に近づいた。
チームαは、かねてからの囮作戦に従い、横合いから挟撃準備体勢に入る。しかし、不慮の事態により、状況は一変。
すべては頭にコンビニ袋をかぶった高校生らしい少年Aが、
繰り返す。その意味は不明。
原因も不明。
今現在も二人は、西羽橋を二人乗りで逃亡中である。
***
日没間際の西羽川は、目視できなくとも音で増水しているのがすぐにわかった。ネコルは冷たい雨粒を跳ね散らかしつつ、車の一台も通っていない橋の歩道を、鍵の壊れた自転車で必死に走った。
「ネコル」
「うるさい! 文句があるならもうちょっとマシな座り方をしろ!」
ただでさえ視界が悪いのだこんちくしょう。
当たり前だが一人分増えた自転車のペダルは重く、うっかりすると肺と一緒に脚が止まりそうになるのだ。
「……空気入ってねーなこりゃ……」
「ネコル。なぜにげなかったのです?」
「……あー、とりあえず、警察か消防まで行きゃなんとかなるか……それまで保ちゃいいな」
ヒカリの問いには、あえて答えなかった。
ただ黙って、落ちてくる滴を拳でぬぐう。パンク気味の自転車を漕ぎ続ける。背中のヒカリが、どうしてと聞きたくなる気持ちは、わからなくもなかったけれど。
「ネコル」
「だから、黙ってろよポンコツ!」
「でも」
「ヒカリは戦います、あなたは逃げろって、そんなことできるわけねーだろが!」
そうだろう。
吐き捨てるように言った。そこには非難の響きもあったと思う。
するとヒカリが、きゅっと背中のシャツを握る手を強くした。雨は降りやまず、自転車の荷台の上、かすめるような小さな声で。
「Thank you.ネコルくん」
聞き間違いだったかもしれない。
「アリガトです。でも、今からでも遅くないです。Please.このまま、行って――」
え?
――とん、と。ヒカリは羽のように軽く飛び降りた。何十メートルも走ってしまってから、ネコルはそのことに気がついた。ハンドルを握ったまま振り返れば、度会ヒカリの姿は、どこにもなかった。あたりにあるのは、雨と薄闇だけ。
「――度会――っ!」
ネコルは叫ぶが、返事はなかった。
そして──一時間後。
ヒカリを探すことに疲れ果て、ネコルは橋の対岸へとたどりついた。
あれだけひどかった雨が止み、土手の斜面では、虫の合唱もはじまっていた。
濡れた草地もかまわず、自転車を倒してしゃがみこむ。
いろいろなところに限界が来ていた。
こうして彼女のことを追いかけたところで、そのたび明後日の方向へと突き放されて。手をのばそうとすればするほど、彼女は自分の手の中から逃げていく気がする。
なぜだ? どうしてこうなる?
ふいに響いた葉ずれの音に頭を上げれば、どこかで見たような丸顔の一休さんが、ジャージに書店の袋を持って恐れおののいていた。
「茸本……?」
「……信じられない……」
「いや、待て茸本……」
「イカ男だああああああああああああ!」
それだけ叫んで逃げていく。
なんだよイカ男って。ネコルはさすがに茸本をつっこみたかったが、自分で解決してしまった。まだ頭にコンビニの袋がかぶさったままだったのだ。自分で袋を引き抜き納得する。ようはこれを間違えたのだろうな、茸本は。
そしてイカ男の謎が解けたところで、根本的な解決になど繋がらない。
──オリジナルの彼女は、すでに死亡しています。
――享年十四歳。場所はアメリカのフロリダ州。
ヒカリに言われた言葉が、今になってよみがえる。
――都市型作戦兵器『度会ヒカリ』カスタムは、ネコルをまもるためにここにいるんです。
――心配しないで。絶対に助けるから。
真実はどこだ。ここで目をこらしても見つからない、でも確かにあるはずの本当のこと。
そして今、ネコルにさらなる追い打ちがきた。
――ドオン!
腹の底に響くような爆音が、川向こうで上がった。
ネコルは思わず腰を浮かせた。夜の帳が下りはじめた空が、オレンジ色に染まっていた。
夢ではない。たった今渡ってきたばかりの西羽橋の向こう側だった。色の濃い煙が立ち上っている。
「……あれ、蠣館会館のところか……?」
「じ、じ、事件です! 事件です! 僕的にあれは、火事だと思いま――す!」
同じ土手の上で煙を見つけたらしい茸本が、現場の方角を見つめ、興奮したようにスマホを取り出している。煙の勢いも、ますます増している。
あれも彼女の仕業なのか?
他に何があるのか?
遠くで消防車の音が響きはじめた。
ネコルはコンビニ袋──イカ男の抜け殻と一緒に、長く長くそれを見続けてしまった。
川幅の距離が、そのまま置かれた距離な気がしてならなかった。
***
「もう無理です」
彼女は電波の向こうにいる主に向かって、何度目かの訴えをした。
対象――度会ヒカリ・カスタムとの接触により破壊された車は、チームで二台。さらに負傷した部下が三名。彼女自身も、微損とはいえ貴重なルブタンのパンプスが犠牲になった。
昼食に食べるはずだった納豆巻きも、とっくの昔に干からびた。今も車内履き用の健康サンダルをストッキングの足につっこみ、雨と放水で濡れたアスファルトに立っている。
「……限界ですよ」
最後の交戦現場となった蠣館会館前の路上は、不幸な事故により炎上した車の後始末で通行止めになっていた。撤去と放水作業の巻き添えにあい、市民が作った手作りゲートが完膚無きにまで壊れてしまっている。門柱にまとめて寄せられたベニヤ板の、綺麗に塗った空の色が胸に痛かった。思わず手に取った黄色い造花は、今でも彼女の左手に握られている。
データはすでに届いているはずだ。彼女はひどく疲れながら訴えた。泥のようなこの疲労の、一端なりとも携帯の向こうに届けばいいと思った。
──かなり、派手にやったそうだな。
彼女は、濡れた髪をかきあげうなずいた。
「ええそれはもちろん。あなたのおっしゃる都市型作戦兵器の名に恥じない壊しぶりでしたよ。武装レベルはゼロないし1で抑えるはずでしたが、なんの役にもたちませんね。こちらで対処できることにも限度があるんですよ。お願いですからこの非常識な状態を、いつまでも続けられるものとは思わないでください!」
──蠣館の力をもってしても、かな。
「は? もしもし?」
言っている意味が信じられず、つい声を荒げてしまう。
――いや、悪かった。こちらが軽率だった。
「いいですか宇野さん。私はあなたのパートナーです。あなたを出来うる限りサポートせよと上から命令を受けています。ですが一方的な助力をあてにされても限度があります。私たちがどれだけ必死になって任務に当たっているか、少しは考えて──」
──それはこちらでも、考えてはいるんだ。例の装置のありかがわかった。
彼女は、怒りのあまり携帯を投げ捨てようとするのを、かろうじて思いとどまった。
それだけの内容だった。
「本当……ですか?」
──ああ。今までの迷惑を詫びよう。すまなかった。近いうちに、私もそちらに行く。彼女を止める。
それはある意味、度会ヒカリ・カスタムの終焉を意味していた。
あの都市型作戦兵器がどれだけ高性能の機能を維持していても、あの装置が現存するとわかったかぎり、絶対に『負ける』のだ。
「……それは……ありがとうございます……」
――こうなったら仕方がない。やむを得ないさ。
通話が終了する。
なんだろう。自分は今さらになって、惜しいと思っているのだろうか。
いつだって奔放に動き続けていた彼女の監視対象。その特異な行動には制限というものがなく、こちらは昼も夜も関係なかった。
ただ機械が機械らしく、その稼働を止める。それだけのことのはずなのに。
それなのに残念だと思っている?
彼女は言葉少なに携帯をしまい、唯一残った班の車に近寄った。
中ではまだ、『度会ヒカリ』の部屋から採れる音声を採取し続けていた。
『……まろ……じ? まろじ? どこです、まろじ……ああ、そこにいましたか。ごはんにしましょう』
なあに? これは。
都市型作戦兵器がペットを飼って、餌をやろうと可愛がっている矛盾を、どう説明すればいいのか。
「……少しずつ、戻ってはきているんですけどね」
「でも、もう終わりよ」
「そうですか──残念です」
疲労の中でつぶやく仲間の声が、ひどく胸に染みた。
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