第30話 ワタライヒカリレポート(3)

 まったくあいつらと来たら、肝心な時にこちらばかりをのけものにしてくれて!

 ルーシー・西村・ストラットフォードは、腹をたてていた。


「どうしてくれようかしらね!」


 C組で作ったゲートの設営を見届けると、すぐさま垣ノ立市内の自宅に帰還した。やるせなさを大爆発させつつ、二階の自分の部屋へと駆けあがる。


「ふん!」


 きつく結んでいた金髪をほどき、制服を上から脱ぎ散らかす。

 上から順に、脱いで脱いではいてはいて、そうして残ったのはキャミソールにショートパンツ一枚という、気の抜けきった部屋着スタイルだ。仁王立ちする六畳一間の部屋の中は、朝起きた時と、寸分変わらぬ位置で散らかっていた。

 萎える。猛烈に萎えてくる状況だ。


「……荒れてるねえ、天下の学級委員長さまが」


 ルーシーは、眉をはねあげ窓の向こうを睨みつけた。


「……なに覗いてんのよ」


 隣の敷地の二階には、『本家のぼっちゃん』こと従兄弟の海老原凪の部屋がある。年代物の柵にもたれかかって、凪が顔を出していた。


「カーテンぐらい引いてもいいんじゃないの? 仮にも女の子なんだしさ」


 仮にもは余計よ。

 およそ恥じらう気もないくせに、ぬけぬけとよく言うわとルーシーは思った。

 もつれてからまる髪をかきあげ、同じように窓枠に腰掛けてやる。家の軒下を吹き抜ける風は、少しだけ心地よかった。

 ルーシーが西村家の一員となったのは、まだ物心もろくにつかない三才の頃である。

 貧乏学者夫婦の養父母は、留学先の英国でルーシーの里親となり、そのまま日本に戻ってきた。

 その後は東京で講師や助教の仕事をしていたが、養母の故郷である垣ノ立市に大学ができると同時に、準教授待遇で引っ越してきた。ちょうどルーシーが九才になる時である。

 以来、海老原家と西村家は、垣根一つ挟んだだけの隣人にして、親戚筋という関係を続けている。

 向こうが本家でこちらが分家筋を象徴するように、住宅の敷地面積には格段の差があるが、突っ込んではいけない。(それでも隣は隣だ! 貴賤はないはず!)

 そしてこの、いつもニコニコ生意気で可愛げのない、大昔からの腐れ縁。今となっては猫崎ユヅル・愛称ネコルとの、貴重な接点となっている少年でもあった。


「……というかね、あんたたち、あたしに何か隠してない?」

「たちって、誰?」


 とぼけるなというのだ。


「ふざけないでよ。二人してこそこそしゃべってるの、知ってるんだから。いつも真剣に度会さんのこと見て気にしてるし。でないとネコルがあんな風になるわけないし──っ」


 つい口調が強くなってしまうのを、止めることができなかった。勝手に赤くなる頬を片方おさえ、ルーシーはぷいとそっぽをむいた。


「……珍しいねえ。ルーシーがそこまでムキになるなんて」

「ムキになってなんかないし」

「久遠霧香の時は、まだ平然としてたのにね」

「だからナギ! 勘ぐるのはやめてって!」

「まあ、あっちはいつか失恋しそうな感じが充分あるけどさー」


 どうしてこの子は、こうも口が悪いのか。


「だからルーシーも安心してたんだよね? どうせふられるんだろってさ」


 ねえ。本当に彼は、自分の親友の話題を口にしているのよね?


「……世の中にはね、一言でくくられたくない、繊細なキモチってものがあるのよ、ナギ……」

「大丈夫。くくれる相手は選んでいるつもり」


 ──だめだ。こいつと話していると、アタマが痛くなってくる。


「仮にそうだったとして、ナギは今のあたしに何かしてくれるわけ?」


 そうだ。度会――ヒカリ。彼女の存在を不安に思う自分に対して。

 今日の教室の中でも、凪はネコルと彼女の仲をつついて、面白がってからかっていた。横でこちらがどれだけはらはらしたか、わかるだろうか。高みの見物などはお呼びでないのだ。

 つい数日前まで、度会ヒカリは、教室に混乱をもたらす困った『装置』のようなものだったと思う。

 この街の外からやってきて、突飛な言動と行動でかき回して、ルーシーたちは困惑する。それはネコルもルーシーも一緒だったはずだ。

 ルーシーが幼なじみの特権を発揮して、彼女の面倒を見てやってと命じてからも、ネコルは変わらずヒカリのことを、叱って突き放していた。お気に入りの人形を可愛がるような小日向祐子よりも、立場的にはこちらに近いスタンスでいたはずなのだ。


(ううん、違う――)


 実はネコルも凪も、ルーシーが思っているよりずっと、度会ヒカリのことを知っている。そんな気がする。

 その証拠が、昨日の一件だ。

 体育教師の松旗に向かっていった時のネコルの行動力ときたら、今までの彼の性格からは考えられないものだった。脇目もふらず一直線。まるでお姫様とそれを守る騎士である。

 どうしてその騎士道精神が、憧れていた久遠霧香や、ずっと近くにいたルーシー・西村・ストラットフォードではなく、ぽっと出てきた『装置』のはずの度会ヒカリに発揮されたのか。答えがあるなら教えてほしい。

 この感情は、率直に言えば嫉妬に近い。けれどこのままでは、納得できないのだ。


「ほんと嫌になるわ……あんたたち、いつも肝心な時だけ男同士で固まるんだもの。あたしばっかりのけ者で……」


 勝手ににじんでくる涙を、拳でぬぐった。


「ティッシュ!」

「この距離でどうすればいいわけ」

「投げて」


 ボックスティッシュが飛んできた。受け取って膝元に抱える。


「……僕はねえ、ルーシー。ネコルとは幼稚園からの大事なダチンコだけど、親戚の君をないがしろにするつもりもないんだよ。イトコだしね」


 凪は気楽にそう言う。


「それに笑えるから?」

「そう笑えるから」


 金髪碧眼で、海の向こうから引き取られた子供にしては、家族関係に恵まれている方なのかもしれない。隣にいる、この凪も含めて。

 ちんと鼻をかむ。


「……じゃあ、全部教えて」

「えー。めんどくさいなあ」

「殺すわよ」

「殺されるのは嫌だなあ」

「早く」

「友情にヒビが入るよ」

「近所の親戚が大事なんじゃなかったの?」


 言わなかったら物投げるから。

 そうして海老原凪は、ティッシュを投げ返すかわりにダイエット用ダンベルを投げこもうとするイトコにせっつかれるまま、一つの昔話をするのだ。


「うーん……なんて言ったらいいのかな……僕もネコルも、この件に関してはよくわからないんだ。正解が見あたらないんだよ。なんせ僕らは七歳で、『ぴーちゃん』はいきなり僕らの前から消えちゃったんだからさ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る