第16話 ネコザキユヅル・メモリアル(3)

 その日の授業は、四時間目が自習だった。昼休みがはじまる直前になったあたりで、ルーシー・西村・ストラットフォードが、教室中にプリントを配りはじめた。


「――はいみんなー、独断と偏見で当番割り振ったから、ちゃきちゃき準備してね! さぼったら死刑よ!」


 いったい何事かと思えば、月末の市民展示会の担当表のようだった。

 クラス一同、ついにこの当番がやってきたかという気分だった。

 いわゆる垣ノ立市民展示会は、十年ほど前から隔月で開かれている市民参加型の展覧会のことだ。市のカルチャースクールに通うおじさんおばさんの作品が蠣館会館のロビーに展示される他は、近隣の文化系クラブも出品することもある。それはまったくかまわないのだが、なぜか当日の入場ゲートを風涼高校が作成するという、変な伝統がある。


「こないだ球技大会おわったばっかなのにー!」

「だーるーいー」

「文句言わない! 早めに終わらせれば、残りは楽に過ごせるんだから。夏休みや冬休みにゲート作りに登校したい? したくないでしょ?」


 文句をたれるクラスメイトに、ルーシーがざくざくと正論をぶつけている。そういう問題ではないのだよとネコルも言いたい。

 風涼のクラス編成は各学年六クラスで、順繰りに担当すれば隔月の一年を回せる。おかげで栄えあるゲート作成の当番は、不慣れな一年生でもなければ受験に追い立てられる三年生でもない、ネコルたちのような二年生の役と決まっていた。


(俺はなんだ……運搬係とゴミ係か)


 ネコルは机に突っ伏したままプリントを天井に向け、自分の名前を見つける。

 資材の搬入や裁断は男子。その後の色塗りや細かな装飾は、主に女子の仕事らしい。そして運ぶのはまた男子だ。


「いーい、ネコル? 寝てないでちゃんと参加しなさいよ」


 上からぱっとプリントを引き抜かれた。ルーシーがこちらを見下ろしている。

 今日はいつものサイドテールじゃなくて、ゆるい編み込みだ。金色のそれが、ラプンツエルの三つ編みのようにつかめそうだった。


「………………面倒とか言ったら?」

「殺す」

「つーか、どっかの誰かの面倒みるのでマジメに眠いんだけど」

「ひっ、人のせいにしないでよっ。仕方ないじゃない」

「眠い。寝る」

「うそ。さぼりの口実にしてるだけのくせに。実はけっこう楽しかったりするくせに」


 なんだその言いがかりは。

 とっさに言い返そうとするが、


「へー、ヒカリちゃん、飾り付け係になったんだねえ!」


 凪のひときわ明るい声にかき消された。やつはヒカリに話しかけていた。

 にこにこ笑っている凪を、机から立ち上がったばかりのヒカリが、例のごとく人形立ちで見つめている。


「そうです。祐子やみちるたちと一緒なのです」

「小日向さんと半田さんだね」

「そうとも言います。お花を作ります」


 がんばってねと凪は続けた。


「これからさ、お昼とかどうするの?」

「……お昼……」

「そう。昼ご飯だよ。いつも教室からいなくなっちゃうし。どこか食べにいってるの?」

「違う」

「そっか。じゃ、よかったら僕と一緒に食べない? お弁当作ってきたんだよ」


 うきゃあああああ! とすさまじい悲鳴が外野からあがった。

 主に女子からだった。


「なにっ、凪君てば、お弁当作ってきたの?」

「あの伝説の?」

「やー、見たい見たい。ていうか味見したい! 超したい!」

「あはははー。なら味見と言わずに、みんなで食べようよ。いっぱい作ってきたから」


 そう言って凪が自分の机から持ってきたのは、どこのデパートのお節料理ですかという風呂敷包みの重箱で、また女子連に悲鳴をあげさせた。


「……昨日、遅くまで台所に明かりがついてたと思ったら……」


 ルーシーが、目をしばたかせて呆然とつぶやいている。彼女と凪の家は、隣同士なのだ。

 さして親しくない相手には、見た目通りの人当たりのいい態度をとる凪である。そのおかげで勘違いなファンを作ったりもする奴なのだが、こんなところで点数を稼いでどうするつもりなのだろう。


「おーい。ネコルもルーシーも食べるよね?」

「あ、う、うん」

「いいっていうなら……」


 お互いうなずく。なし崩しに机を寄せることになる。

 わからない。本気でわからないぞ海老原凪。


「はいっ。じゃあ、ぱぱーん!」


 凪の号令のもと、しゅるりと風呂敷の結び目がほどかれ、重箱の蓋が開けられる。

 ネコルたちは息を飲んだ。

 本格的な純和風料理だ。

 漆塗りの一段目は、鮮やかな野菜の煮物とエビの焼き物。二段目に豆腐と生麩の田楽。出汁巻き卵に大根と人参の生酢。三段目に五目稲荷がぎっしりかつ繊細に詰められている。


「インスタントだけどお味噌汁もあるよー」

「や。やー。なにこれ。お店の? お店のじゃなくて?」


 女子が目の色を変えている。ネコルもひさしぶりの凝りように、かなりたまげてしまった。この男本気である。

 そして、実際に食べてみれば二度びっくりだ。本当においしい。ネコルとしてはそれぐらいの感想しか出てこないが、見るべきところはそれだけではないらしい。


「匠の技よ、この飾り切り……お芋の面取り一つにも手を抜かない……」

「カロリー計算も完璧……」

「お願いっ。やっぱり凪くん料理部に来て! 今なら役員待遇! 厚遇しちゃうから!」

「むしろお嫁に来て!」


 僕は高いよう、と凪はのんきに軽口を叩いている。

 伝説。たしかに凪の料理は伝説的なのだろう。ふだんはめったにその腕を見せることはないが、去年の風涼の文化祭で、クラスのカレー屋を改革したのは凪である。

 市販のルーを使うかと思いきや、スパイスから本格的なインドカレーのレシピを持ち込んで、ナンや飲み物のラッシーにも手抜かりはなく、伝説の男の心意気を見たとまことしやかにささやかれているぐらいだ。


「──どう、ヒカリちゃん、おいしい?」


 凪があらためてたずねていた。

 そして舌鼓を打つ輪の中で一人、黙々と取り皿に盛られた五目稲荷を食べている女、度会ヒカリ。

 なぜだろう。なんとなく、超器用なロボットアームに箸をもたせてみましたというお遊び感を感じてしまうのは。

 ヒカリは、黙って首を横四十五度の角度に傾けた。


「おいしいとはなんでしょう。ナギ」

「深淵な問題だねえ。気に入ってくれたらうれしいって意味なんだけど」


 ヒカリはそのまま、完全に硬直してしまった。

 フリーズ。フリーズ。いつまでもフリーズ。電源でも切れたのか?


「……あらためて訊くけど、ご飯は食べるんだよね? ヒカリちゃん」


 だんだんと、場の雰囲気がおかしくなっていくのがわかった。

 もしかしたら凪は、それを確かめたくて、こんな弁当なんぞを用意して持ってきたのかもしれない。

 度会ヒカリは人間か否か。本当にロボットなのか──。


「……これは、ギタイです」

「擬態? 虫とかの?」

「そうです。人間型に備えられた基本機能のひとつなのです。栄養をとるふりをする。ギタイです」


 ヒカリがかちかちかちと、右手で箸を動かしてみせた。相変わらず首は横に傾いたままだし、口の端には稲荷寿司のご飯粒がついたままだったが、まったく冗談のつもりではないらしい。


「食べた食物は、どこに行くのかな?」

「貯蔵タンクです。あとでまとめてチューブをつないで、外に排出します」


 ――うっ。

 もろに吹き出す人間もいた。

『チューブ……』と今食べている出汁巻き卵と咀嚼後の形状を思い浮かべて、食欲をなくしている人間もいた。主に俺だ。


「見ますか?」

「やめろ――――――――――――――――っ!」

「まず背中のハッチを開ききききききキ」

 ヒカリが箸を置いて、おもむろに自分のブラウスの裾をつかみ、ヘソどころかブラのラインまでまくり上げようとするので、あわててツノをつかんで止めてやった。

「百聞ハ一見ニシカズ?」

「ことわざよりも常識を優先だ! T・P・O! T・P・O!」

甲状腺ペルオキシダーゼTPO――」

「タイム(時)! プレイス(場所)!、オケージョングぁ!」 

「ネコル?」


 ちょっと。最後の『場合』の所で、舌を八重歯で噛んだだけだ。お前に知らせるいわれはない!

 口をおさえて必死に耐えるネコルを、ヒカリはまた首を傾けて見ていた。


「なにが起きてるのでしょうか? ナギ」

「えーっと。ネコルが切ない目に、かな……」

「セツナイ」


 くそこのポンコツ。いつか絶対分解してやると心に誓う。

 だがそんなネコルの頭を、ヒカリは身を乗り出して抱き寄せてきた。


「大丈夫。元気を出してネコル」


 ふんわりと。固まるネコルの頭をなでている。

 耳もとで囁かれる少し舌足らずのソプラノと抱擁は、一瞬でこちらから言葉を奪う。思考も奪う。真っ白に。

 ネコルは、あわててヒカリの腕の中から、体を引き抜いた。教室の中だというのに、露骨なほど椅子を後ろに引いてしまった。


「……お、お前に言われる筋合いはないだろ、ポンコツ」

「ネコルが元気になりました。良かったです」


 ヒカリは平常運転だった。

 そのまま、あらためて箸を持ち直す。またもくもくと凪の作った五目稲荷を食べはじめている。

 舌を噛んだ痛みよりもなによりも、いきなり女の子に抱きしめられた驚きの方が大きかったなんて。もちろんそんなこと口にはしない。絶対にしない。

 頭の端で、ふわりと微笑む霧香の顔が浮かんだ。

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