第2話 ボーイ・ミーツ・ヘッドギア(1)

 ――先輩。これ、すげえどうでもいい話なんですけど、聞いてくれますか。


 たぶんあれはですね、俺が小一か小二の頃だったと思うんです。うちのクラスでですね、ダンゴ作るのが流行ってたんですよ。ダンゴ。

 ……いや、ダンゴって言っても、食う方のダンゴじゃなくて。土こねて作る方のダンゴです。泥ダンゴ。

 その泥ダンゴをですね、当時の俺たち、死ぬっほど真面目に作ってたんですね。

 まず砂の粒子の粗いのと、細かい土を混ぜて錬って、また砂をかけて、乾燥させながら磨くんですよ。最後はつるっつるの、ガッチガチなやつができあがりますよ。ボーリングの球みたいにするんです。

 で、もちろん土と砂の配分とか、混ぜるならどこの土とどこの砂がいいとか、そういうのは全部トップシークレットになります。俺はもう家とか授業中でも、窓のところに作りかけのダンゴ並べて、一日中ダンゴのこと考えて暮らしてましたよ。ダンゴ命ですよ。七歳の青春ですよ。頼むから馬鹿とか言わないでくださいよ。全部ガキの頃の話なんですから。

 ……まあ予防線はそれぐらいにして。続きを話しましょうかね。

 とにかくそんな時分だったんですね。俺たちの間で、『妖怪赤屋敷』のことが話題になったのは。


 妖怪って言っても、ゲームの方じゃなくて、ようは町外れにある薄汚い洋館ですよ。

 そこの敷地の土が、この辺りによくある黒土じゃなくて、下のローム層がそのまま出た赤土だったんですね。ほんと、血の色みたいな真っ赤な地面だったんですよ。だから妖怪『赤』屋敷。


 土とダンゴ情報で頭がいっぱいだった俺たちにとっちゃ、すげー重要な情報です。

 夏が終わる頃には、その噂で持ちきりでしたね。『西羽にしはね川の向こうにある妖怪赤屋敷には、妖怪博士とその実験体が住んでいる。庭には妖怪博士が実験で殺した死体を埋めてるから、それでいつでも土が赤いんだ(断定)!』って。


 でも実は俺、そうやってクラスの奴らが赤屋敷のことをかぎつけてくるよりも前に、そこの土には目を付けていて、中に潜りこんでたりしてたんですよ。ええ自慢と思ってくださってけっこうですよ。ダンゴ命のダンゴ戦士でしたから。

 そんな経緯もあったもんで、連中が噂する妖怪博士と実験体ってのが、なんのことはない普通の人間だってのも、知ってたんです。

 特に実験体の方なんて、あの頃の俺の何十倍も泣き虫の甘ったれで、物知らずの子供ですよ。フツーのフツーです。これは嘘じゃない。

 そんな子供が好奇心旺盛のクラスの奴らに見つかったら、どうなると思います? まずオモチャにされるのが目に見えるじゃないですか。

 俺はそんなの見たくなかったから、奴らがイタズラ半分で屋敷に入りこもうってのなら、なんとかして追い返してやろうと思ったんです。

 当時でも信用できそうな連れのダチと一緒に、連中が来そうな柵の前に落とし穴を掘って、草かぶって待ったんです。時間……そうですね。十時間ぐらいそこにいましたかね。

 穴にかかったのは、なんでかセールスマンと、巡回中の警官のおっさんだったんですけど。

 おっさんたち、落ちながら叫びましたよ。



「んぎゃあああああああああああああああああああああああああああ」


 猫崎ねこざきユヅル、愛称ネコルは叫んだ。

 しかしその切ない悲鳴は、目の前の大事な人の心に届かないのだ。


「あだ、あだ、あだだだだだだだっ」

「……まああ。すごおい、ネコル君。迫真の演技……」

「演技じゃないすよ、噛みつかれてんのがわかんないすか先輩!」


 本当に。


 ネコルが着ている学生服の裾や、頭頂部の癖っ毛は、わらわらと集まり続けるウサギやモルモット、ヤギたちの餌食になってしまっている。総勢十二匹による、ウサ・モル・ヤギ祭だ。

 ここは私立風涼ふうりよう高校の校舎裏。その片隅には一本の大きな樫の木があり、下にはベニヤとトタンで囲った飼育小屋が並んでいる。

 樫の周りを簡易な柵で区切った運動場は、人一人が逃げ回るにも狭すぎた。奴らの狙いはこちらが握るエサでありおやつであり、それを捨ててもなおまだあるだろうと襲ってくるから始末が悪い。


「く、くんな」


 ネコルが言っても寄ってくる。強い意志をもって寄り切ってくる。くんくんくんくん。無垢な鼻と純な瞳が束になって襲ってくる。


られる!)


 こちらが真剣になって助けを求めているというのに、飼育小屋の中にいる久遠ひさえ霧香きりかは、おっとりのんびり掃除用のホースをかまえたままなのだ。


「ふふ。大丈夫よう、ネコル君。ちょっとみんなお腹が減りすぎて、訳わかんなくなっちゃってるだけだから」

「こいつらほんとに草食動物なんすか!? 目がギラってますよ!」

「草食よ? ちなみに上から順に重歯目、げっ歯目、ウシ目」


 にっこり。


 ──三年A組、久遠霧香先輩のほほえみは、万物の毒を中和して、その場にたたずむ全人類の腰を砕けさせる魔力があると思う。

 少なくとも、ネコルは弱い。非常に弱い。

 そのお嬢様らしいふんわりふわふわの髪に弱い。ほっそりとしているくせに出るとこ出ているスタイルに弱い。やわらかい綿毛のような声にも弱い。彼女が生物部なんて壮絶に地味な部活に一人で入って、捨て犬だの捨てウサギだの捨てカブトムシだのの世話に明け暮れていると知っていても、入部してしまったぐらいには弱い。

 そう。思えば捨て猫にまとわりつかれて難儀していたネコルを、猫ごと助けて面倒みてくれたのが、そもそものはじまりなのだ。

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