選択肢【ガヨ】御者台に乗って移動する。不器用な二人は、気の利いた会話はーーまだできない。

「俺が御者をする。隣に座れ」

 ガヨがトニーの荷物を取って御者台に乗せ、そのまま乗り込んだ。トニーも続いて御者台に乗り込む。

 ガヨは先頭を歩く集団に、イヤーカフの通信石を使って指示を細かく出している。トニーはそれを見守るしかできないが、きびぎびと情報をまとめて命令を下す姿には仕事への情熱を感じさせる。

 ふいにガヨが振り返った。

 かっちりと目が合い、二人は互いに見つめ合ったまま黙ってしまう。

「……行くぞ。手綱を握れ」

 やはり、二人とも気の利いた会話は苦手だった。

 


 防護壁を超え砦を出ると、簡易的な防具を身に着けて剣を携えた者や、弓を背に携えた者、ローブを着た魔法職者などが固まっていた。彼らが今回、試験を受ける傭兵たちだ。

 武装した集団の間を馬車が割って進んでいく。しんがりの騎馬兵がすすむと、その後ろをぞろぞろと傭兵がついてきた。


 傭兵たちが無事についてきていることを確認すると、ガヨはトニーに向き直った。

「これから馬の扱いや馬車の構造や直し方を教える。覚えろ」

 注意点をまとめた画面をタブレットに表示させたが、トニーは答えず、ぼうっと何かを見ている。

 ガヨがその目線の先を追うと、長身の大男が目に入った。今回試験を受ける傭兵の一人だ。彼は団長であるルガーより大きく恵まれた筋肉を携えている。

「気になるか。黒髪の大男」

 ガヨの発言にトニーはハッと顔を上げた。

 何か考え込んでいるようだったので、ガヨはそのまま待つことにした。

「彼の瞳の色は?」

 ようやく口を開いたかと思えば、トニーは意味のわからない質問をした。確かに、個人データには瞳の色も記載されているし、ガヨは試験管の立場でもあったのでデータにはアクセスできるがーー。

「盲目だと聞いている。カタファが目玉が潰れていると確認した。どうしてそんなことを聞く?」

「コーソム修道院で会ったことがある。ただ……」

 トニーは言い淀んだが、きょろきょろと周りを見回した後、距離を詰めてガヨの真隣に座った。背を少し伸ばし、手のひらを口元に当てて近づいてくる。ガヨもトニーの意図に気づいて少しかがんで耳を傾けた。膝が触れ合ったが、互いに気にしなかった。

「俺がコーソムを出る直前……九ヶ月前、あいつが修道院に来た。当時も盲目だった。だが俺が彼の目に触れたら、治って……それで神秘の力があると分かった」

 そこまで言うと、トニーは体を離した。

「そのあとすぐに姿を消したから、てっきりどこかに行ったのかと思っていた。だから、なぜまた盲目になっているのかわからない」

 ガヨも御者台から大きく振り返り、黒髪の男を見下ろした。男は実際に今も目に痛々しいほどの包帯を巻いている。

 結論から言えば、再度失明したとしか考えられないが、トニーはずいぶんと気にしているようだった。前のめりになっているトニーの肩をガヨは叩く。振り返ったトニーの緑色の目が不安で揺らいでいるようにガヨは感じた。

「気にしなくてもいいだろう。一年近く経っているし、傭兵として戦闘しているうちに不運な怪我をしたのかもしれない」

「……かもな」

 浅い背もたれにもたれ、トニーは小さく溜息をつく。不安と緊張の塊はガヨとトニーの間に漂った。


「治したいか?」

「……」

「お前にとって大切な人物なら、治してやればいい」

 ガヨが言葉をかけるもトニーは黙ったままだった。

 神秘の力には反動があるとカタファから聞いていたが、その大いなる力の行使権は本人にあるのだから、トニーの意思が尊重されるべきであるとガヨは考えている。

 ーー大前提として騎士団の不利にならないという条件が付くがーーガヨは、無口で警戒心の強いトニーが大男を気にかけているのを意外に思った。


 口を閉ざしたままトニーの心情は一旦無視して、ガヨは馬の御し方や馬車の修理に関して説明することにした。今日、御者台に乗せたのはトニーに馬や御者のなんたるかと教えるためだから、早々に目的を果たしたかったし、何かしているほうがトニーの気も紛れると思ったからだ。何事もなかったように振る舞うガヨに対してトニーは最初は戸惑っていたようだが、少しすれば話を熱心に聞いていたし、相槌を打ち、たまに質問を返してきたり、小さな紙にメモを取ったりして、落ち着きを取り戻したようだった。



 目的地のセレンの湖までは歩き続ければ二日で着く距離だ。

 途中、大きな川の流れるほとりで馬に休憩を取らせることにした。 


 御者台を降りたトニーがぐっと背を伸ばす。ガヨもかがんで膝裏を伸ばしたり、肩を伸ばしたり凝り固まった体をほぐした。他の団員や傭兵たちは川沿いに少人数のグループを形成しながらたむろしている。

「水」

 トニーがカップをガヨに差し出した。魔法職の者が川の水を煮沸して冷ましたものを配っており、トニーはガヨの分までカップを取ってきていた。ガヨは礼を言って受け取り水を口に含んだ。トニーはカップを傾けて一気に水を飲む。ガヨのカップに水が入っていることを確認すると、トニーは自身のカップを持って廃棄場所である川の方に向かって歩き出した。

 修道服のセーラ襟がはためく。トニーとジブの騎士団制服はまだ用意されていない。傭兵上がりがすぐに辞めては制服も無駄になるからと、セーラー襟の紋章だけを差し替えているだけだった。


 翻ったセーラー襟。入団当時は修道院の紋章だったな、とほんやりと思った時、ガヨはあることを思い出した。

「ルガー団長はここ一年で何回もコーソム修道院に行っていたはずだ」

 トニーは振り返った。少し驚いたような表情でガヨの元に戻ってきた。

「何故、コーソムに?」

「司教に呼ばれていた。コーソムは国境だ。防衛線を保つために辺境伯を含めて話し合いがあったと聞いている。その時お前はルガー団長に会ったか?」

「いや、会ってない」

 ガヨの問いかけにトニーは短く答えて黙り込む。緑色の瞳を逸らし、何かを始めたようだった。


 こうなると彼は極端に反応が薄くなる。ガヨがこの数カ月で得たトニーの性格の一つだった。


 ーーこれもいい機会か。

 ガヨもしばしば頭をよぎっていた疑念について、考えることにした。


 疑念とはルガーの、ジブとトニーに対する必要以上の暴力性だ。

 最初はジブに執着があるのだと思った。戦闘に優れているが生意気なところのあるジブを効率的に従わせるため、トニーに暴力を加える。実際、ジブの行動原理の多くはトニーであったので、ジブを焚き付けるのには最適だった。

 だがあまりにもトニーに必要以上に暴力を振るうことが多いのではないか? 現に今回も、発言したのはジブ一人だというのにトニーも部屋に残るように言われていた。


 もしかしたらルガーはトニーを目の敵にしているのかもしれない。

 そもそもルガーはすでにトニーの存在を知っていた可能性が考えられた。ルガーは第三騎士団の団長として政治的立場がそれなりにあると聞いている。実質的な国の戦力を纏める立場ともあればそれは頷けることだった。

 そしてトニーによれば力を顕現させたのは約九カ月前。その時、ルガーはコーソム修道院にいた。仮に顕現したその場にいなかったとしても、報告を受けていてもおかしくない。

 ガヨは緩く拳を作り自身の口に当てた。

 あの時、ルガーがコーソム修道院に赴いた理由も、もしかしたら偶発的なものではなもしれない。

 ーー確信を持てる段階にはまだ至っていない。すべて、ただの憶測に過ぎなかった。


「ガヨ」

 トニーの抑揚の少ない声が突然聞こえて、ガヨは顔を上げた。平凡な緑色の瞳とばちりと目が合う。瞬き少なく覗き込まれると、思考の底まで窺われているように思えて、ガヨは思わずその瞳を隠そうと手のひらをトニーの顔に向けて伸ばした。


 ガヨの手の影がトニーの顔面に落ちた時、彼は体を硬直させた。

「……!」

 僅かに右足が後ろにずれて逃げの体勢になった。だがそれは、これ以上の反応を見せまいと意図して体をこわばらせているように見えた。

「っ……。ガヨ、出発の時間じゃないのか」

 自身の首を指先で撫でながら、トニーは絞り出すように声を出していた。ガヨと目が合っているが、瞳はここにいない誰かを見ているように思える。


 出発の直前まで、トニーはジブとともにルガーの居残りを喰らっていた。おそらくそこで何かがあったのだろうと容易に想像できた。

「ああ、そうだな。行こう」

 ガヨはトニーの横を通り抜けながら、彼の背中を強めに叩いた。ばしんという音とともに、今度はトニーの瞳がしっかりとガヨを捉えた。その目は痛みに苛立ち、やや恨みがましそうだったことは気にしないことにした。

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