第36話 心


「ルールは簡単。あなたがこのビルから出られたらあなたの勝ち。捕まったら私の勝ち」


 建物に反響して若木の声が聞こえてくる。どうやらルール説明をしてくれたみたいだが、圧倒的に俺が不利だろう。彼女が獣人になったのは十中八九天恵の力であり、獣に近い特性を得たと考えられる。そうなると、ただの人では逃げ切れるのか不安になる。まず第一、俺が逃げられると思ってないからこの提案をしてきているはず。


 俺はなんとか階段を探し、一つ下の階に降りてみたが、階段はそこで途切れている。どうやら、階段は各階層ごとに別の場所にあるらしい。一気に降りられたら良かったのだが、こうなっては彼女に見つかる前に逃げられる可能性は大きく下がる。


 それに、さっき階段の窓から外を覗いてみたが、ここは七階ぐらいの高さだった。妖力も使えない今、飛び降りることは不可能だろう。


 周りにはほとんど何もなく、ここはどうやら田舎にある廃墟らしい。これでは大声を出して助けを呼ぶことも難しそうだ。


 やはり、逃げるためにはなんとかして彼女を足止めする必要がある。ただ、刀も持たず、妖力も使えず、手錠によって満足に動けない今の俺では倒して足止めをするのは難しい。


 やっぱりなんとかして逃げるしかないのか?


 なにか使えるものはないかと広い廃墟の一室で辺りを見回していると、目の前の地面に大きなヒビが入っているのに気づいた。これ、危ないな。崩れたらひとたまりも────


「────見つけた」


「しまっ……ガッ!!?」


 見つけたという声とともに、振り返る間もなく地面に組み伏せられ、手錠のついた両手を頭の上で強く押さえつけられる俺。目の前には、獣人もとい、若木かのじょがいる。


「少し動くのが早すぎないかッ!?」


「獲物が逃げたら襲いたくなるのが狩人」


 おいおい、獣人が狩人ってどういうことだよ。まぁ、ここは別にそんなファンタジーの世界じゃないんだが。


「離せッ!!」


 必死で抵抗するものの、全く動かない腕。それほどまでに彼女とは力の差があるのだ。足をバタつかせてみたものの、同じように上から足で押さえつけられ、四肢が完全に拘束される。


「どうしよう。捕まえた後のこと考えてなかった。あ、でも、食べたい、あなたのこと。美味しそう」


「……おい待て、それだけはダメだろッ!?」


 牙をむき出しにして恍惚とした表情で俺を見ている。これは、狩人というか、獣だろう。いや、見た目からしてそうなのだが……ってか、こんなこと言ってる暇はない。


 刃物のように鋭い爪で俺の服を裂き、俺の左肩があらわになる。そして、口元をゆっくりと近づけてきた。


「殺さないように、なんとか、セーブ、するから」


 いや、その感じからして我慢できる状態には見えない。なんとかしなきゃ、られる。


 押さえつけられている足をなんとか動かし、何度も地面に強く打ち付ける。硬いコンクリートの地面を蹴ったところで普通は何も起きない。、俺の予想が当たれば、多分上手くいく。再度押さえつけようとする彼女の足に抗って、俺はひたすら地面を足で蹴り落とす。


「何をしてるの?暴れても無駄だって、分からない?」


 不思議そうな目で俺を見ている彼女だが、俺が何故これをしているか予想がついていないようだ。


 俺自身、これが成功するとは思えない。ただ、これしか方法がない。


 それから二、三回ほど地面を蹴ると、突然ガガガッと大きな音が地面から聞こえてくる。どうやら無事に上手くいったみたいだ。


「────!?」


 若木が驚いたのも束の間、すぐさま地面に入っていたヒビが広がり、その一部が崩れ落ちる。そして、俺達もそのまま一緒に落下した俺達は、


「キャアアア!!!!!」


「さて、どうなるかは賭けだ」


 崩れる地面とともに、俺達は下の階に転落する。そして、崩壊が周りにも伝播し、瓦礫が上から降り落ちた。


「ゲホッゲホッ。危ねぇ、死ぬところだった。」 


 奇跡的に俺に瓦礫が落ちてくることはなく、全くの無傷だった。しかし、周囲には瓦礫が降り注ぎ、地面に降り積もっている。


「あいつはどうなった?」


 自分は無傷だが、これに巻き込まれた若木がどうなったのかを確認した紅城は、近くの瓦礫の下で獣人の彼女を発見した。


「────チッ、私の負け」


 そう言ってこちらを睨んだ彼女の下には血溜まりができていた。それも、決して小さくはない。


「……お前、血が」


「瓦礫に挟まって、無傷なわけない。ウグッ、ゴボッ、ゴボッ」


 崩れた瓦礫が体の上に落ち、全身に怪我を負った他、両足が折れてしまった若木。いかに獣人でも、数十キロはあろうコンクリートの破片を喰らって流石に無傷というわけにはいかず、負った傷も相まってその場から動くことができなかった。


 苦しそうな様子でずっともがいているが、


 このまま何も処置が行われなければ出血死する可能性や、圧迫されている体のせいで、血流がうまくいかず、体のどこかが壊死する可能性だってある。


 自分の危機的状況を回避するためにした選択で、今まさに目の前で苦しむ人ができてしまった。


 それを理解した紅城は、少しも迷うことなく彼女に近づいた。


「ハァ、仕方ない。頼むから抵抗しないでくれよ?」


 流石に見捨てられないよなぁ。人を殺す覚悟なんて俺にはないし、そんなものは俺に必要ない。


「何で私を助ける?」


「別に。目の前で苦しんでる人をほっとけないだけ。てか、こうなったのは俺のせいなんだし」


「私があなたを襲おうとしたからこうなった。だから、自業自得って思わないの?」


「そんな状態で、お前動けるわけ無いだろ。まぁ、襲われたことに関して思うことはあるが、死にそうなやつを見過ごすのは俺にはできない」


「例え敵でも?」


「よほど俺が恨みを持ってない限りはそうだな。ただ、俺の周囲のやつとかを傷つけてたら分かんないけど、少なくとも今回のは俺だけが被害者。だから、別に助けるよ」


「助けた後、私はあなたを襲うわよ?」


「……好きにしろ、助けてもらいたくてやったわけじゃない」


「……意味が分からない」


 彼女はそう言うと、天恵を使うのを止め、獣人から人に戻った。どうやら戦う気がなくなったらしい。ひとまずこれで逃げられるだろう。


「この世には、意味が分からないことが多いってことだよ。一番大切なのは、理屈じゃなくて、何がしたいかっていう自分のだ。ん、じゃあ瓦礫退けたから俺は行くぞ」


 彼女の上にあった瓦礫を全て排除した俺は、その場を後にしようとする。


 ────そして、目の前に一人の男がいた。


 俺はその男を知っていた。そしてそいつは狂った声で言う。


「────こっから逃げられると、思ッてんのかァ?」


「お前は、【白虎】!!!」


 あぁ、最悪だ。さっき彼女が言ってたじゃないか、【白虎】からの命令で俺をこうやって誘拐した、と。ならば、こうやって【白虎】がこの場に来てもおかしくない。むしろ、その可能性を頭に入れて俺は行動するべきだった。


「ッたく、何でテメェは大人しくしてらんねェんだよォ。仕方ねェ、殺すかァ」


 【十三階段】のときとは違って会話を交わすことなく、【白虎】は俺に殺意を向ける。生憎、今の俺は刀も妖力もない。初撃すら今の俺には対応は不可能である。


 ただ、何もしなければ次の瞬間には俺の首が飛ぶ。


 思考を巡らせる合間に、【白虎】が地面を蹴った。そして、一瞬のうちに高速で近づいて、俺を刀の間合いに捉える。


「まずッ────」


 斬られるッ!!


 何も策はない。そんなものを考える余裕すらなかった。僅かな時間すら、俺には残っていなかった。


 迫る刀が俺の胴体を斜めに斬り裂く寸前、俺の間にが割って入った。


「────何で庇う、


 天恵を発動し、恐るべき速度で紅城との間に入り込んだ白狼に【白虎】は聞く。若木は獣人の状態だが、それでも先程の傷は癒えておらず、未だ危機的状況。そんな中で紅城を庇う理由などないはずだった。


「私のが、したかったから」


「そォかよ、じャあ死ね」


 【白虎】は躊躇なく刀を振り下ろした。そして、生暖かい液体が俺の顔にべったりとかかる。


 鉄の匂いがした。


 俺が反応する頃には全てが終わっていた。

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