第二話 名前

 定吉が長屋門を抜けて式台から玄関へ入ると、井村家本家から小間使いとして付いてきたお春(おはる)が出迎える。お春は今年で14になる娘で、井村家へ奉公に来ている。


「あら定吉様今日はお早いお帰りで…?その包みは?」

「おお、お春。うちの新しい家族だよ」


 羽織の包みを開くと子猫は「くうくう」寝息を立てており、起きる気配がない。


「わぁ!かわいい!どこで貰ってきたんですか?」

「いや…雨の中泥だらけで倒れていたんでな?拾って綺麗にして…源さんに『お前の子だ』って言われてな…あ、そうだお春、うちに鰹節はあるかい?」

「鰹節…ですか?台所へ行ってお園(おその)さんに聞いてきますね!」

「頼んだよ」


 自分の書斎に入って羽織を広げてやる。まだ「くうくう」寝ている姿に思わず笑みがこぼれる。『武士は三年に片えくぼ』などという言葉があるが、かわいい子猫の前ではもはやどうでもいい。


「……ん?今俺はこの子猫をかわいいと思った…?」


 どうやら定吉自身もまだ出会って間もない子猫のことがだんだんと愛おしくなってきているようである。今こうして無意識にも優しく子猫をなでている自分が不思議でならない。そしてあることを思い出した。


「…あ、名前…」


 そう、名前。定吉は漆塗りの筆箱から筆と紙と硯と炭棒を取り出し机に向かう。


「さてどうしたものか…」


 手始めに『たま』『まる』『とら』としたためてみる。が、いまいちこれだと思うものが無い。

 では次にと『白虎』『雷電』『風神丸』………これは違う。

 『権之助』『饅頭』『桃太郎』『猫殿』『もち』『虎丸』『団子』『茶色』『きなこ』『猫之丞』『信長』『むぎ』『信玄』『若』『こがね丸』『俵』…………。これも違う。


 『家康』……不敬すぎる。絶対駄目だ。


「……いかん…名前…何がいいんだ…?」


 あれこれ悩んでいると、横から「みぃ」と子猫が定吉の足を登って机に前足をかける。そんな子猫を抱きかかえて頭を撫でてやる。


「起きたのか、なぁ、お前はどんな名前がいいんだ?」

「みぃ!」

「『みぃ』…みぃかぁ…だがもうちょっとこう…無いか?」

「んみぃ!」

「ははっ…一緒じゃねぇか」


 すると後ろから少ししわがれた声で「旦那様」と呼ぶ声がする。


「ん、お園さんか、構わないよ」

「失礼します」


 書斎の戸が開かれると白髪頭の老婆が深々と頭を下げていた。


「よしてよお園さん、頭上げてよ。毎回言ってるじゃないかそれに旦那様だなんて…」

「いえ、そういうわけにはまいりません。旦那様が生まれてから世話係としてお仕えしてから二十五年!昔こそ坊ちゃん呼びではございましたが今はこのお屋敷の一国一城の主。旦那様もご自覚なさいますよう…」

「分かった、分かったから…」

「時に旦那様。その子猫様のお名前を悩まれているご様子…ここはこの園にお任せくださいませんか?」

「何か妙案があるの?」

「えぇ、この候補を書かれた紙、いただいてまいります。さて、居間へまいりましょう」


 子猫を抱えたまま少し腰の曲がった園と共に居間へ行くと、先ほど定吉が書いた名前の候補の紙を床に一枚一枚並べていく。


「さて、では旦那様。子猫様を床に降ろしてあげてください。そして子猫様が向かわれた紙に書いてある名前が、この子の名前にするのです」

「な、なるほどな…よし子猫、ほら、どれがいいんだ?」


 床に降り立った子猫は「み!」と鳴くとぽてぽてと歩きだす。その先の紙には…


『家康』


「!?おおお、お園さん!?『家康』公の名の紙も混ざってないかい!?」

「あらまぁ…ほんとうですねぇ」

「何をのんきな!こ、子猫!進むな!『家康』だけは駄目だ!」

「みぃ?」


 定吉の必死さに気づいたかどうかは分からないが、方向転換し別の紙の上にごろんと寝転がる。その紙には…


『桃太郎』


「『桃太郎』、か…うーん、まぁ悪くはないんだが…この子が選んだのなら…」

「お待ちください!あれを!!」


 見ると子猫は2つの紙のちょうど半分の位置に寝転がっている。子猫の尻の部分は『桃太郎』、もう一方の頭の部分は…


『茶色』


「……『桃太郎』と『茶色』…あいや、頭が『茶色』で後ろが『桃太郎』か…」


 ふむ、と腕を組み考える。いくら何でも『井村 茶色 桃太郎』ではしっくりこない。では、これを組み合わせるならば?


「『茶太郎』(ちゃたろう)……よし!子猫!お前の名前は『茶太郎』だ!」


 それを聞いた子猫、いや茶太郎は「んみぁ!」と嬉しそうに鳴いた。

 こうして茶太郎は井村家に迎えられることとなった。

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