第3話 印獣

「あなた、ケガはない?」

「……はい、そこはかとなくは」

「OK、じゃあゆっくりこの場から去りなさい」


 女性は一瞬言葉の意味を計りかねたような「?」という表情を浮かべたが、漫画みたいな「あっ」と言う表情に、ポンと手を叩いて、抜き足差し足のようなスタイルで場を去って行った。「そこはかとなくは」という言葉遣いが正しいかも今はどうでもいい。印獣を刺激しないように、私の邪魔をしないように、このフィールドから退場してもらえればそれでいい。


 印獣はいわゆるこの世界にはびこるモンスターだ。常に街を跋扈しているわけではなく、基本的に街は平和なものなのだが、なんの条件か不明の中、突如としてポップアップすることがある。見た目は種類によって様々だが、動物に近い容姿をしており、今目の前にいるのは、犬型という分類にあたる。


 ただ、一般的に犬と聞いてイメージするものとはサイズが大きく違い、ハイエースぐらいはある。さらに皮膚や毛というファニーなコーティングは一切なく、筋肉組織丸出し。筋肉組織自体が暑さ寒さや物理的な接触に耐えうるように進化して黒ずみ、硬質化したような色彩・形状をしている。そして一番目立つのが眼の部分。ボーリング球くらいの大きさの1つ目で、半球ほどが顔面から飛び出ている状態。まあ、全体を総括して感情的な伝え方をすると、ズバリ気持ち悪いのだ。


 さて、まずは印獣の注意をこちらに向けよう。前述の通りの見た目なので、ひどく気は進まない。できれば目が会うことは避けたいが、まずはヘイトを買う必要がある。距離は約20メートル。私は印獣がポップしたときに道路をえぐったアスファルトの欠片を拾い、大きく振りかぶってそれを投げつけた。


 幸か不幸か、印獣の大事なところである大きな眼に直撃する。キッとこちらに首を向ける印獣。生物というよりは無機質なロボットに近い存在感ではあるが、怒りの感情を感じずにはいられない。あくまで注意を引き付けるだけで、怒らせようとは思っていなかったのだが、どうやら今日は、めざましテレビの占いランキング最下位だった可能性が高い。


 印獣はグッと身を低くして、「グルル……」と小さくうめき声をあげた。それと同時に――消えた。いや、地面を蹴りものすごい速さでこちらへ突撃してきている。私に向かって点が迫り、意識が追いついたときには眼前の巨大な点が視界を奪っていた。この直線の動きを捉えるのは……無理だ。


「やば――」


 大きく開かれた口。鋭い歯。ガードはダメ。腕が持っていかれる。とっさに背をのけぞらせやり過ごすことに成功するが、通常の反応を超えた動作に、勢い余って地面に倒れ込む。強かに背中を強打し、呼吸が止まる。私の上を巨体が通過していく。このまま行かせてしまうと、着地後容易に態勢を立て直し、こちらへ向けて再始動される。無防備に横たわる私は、そこで人生終了となる。


 そうさせないためにも真上に足を突き出し印獣の下腹部を蹴り飛ばす。ダメージはない。だが、わずかに態勢を崩してやった。印獣は空中で身体を捻りながら正しく着地しようと軌道修正を試みるが間に合わず、不格好に地面を転げた。


 今のうちにこちらは構えを――ところが身体がうまく動かない。呼吸が強制的に止まり、脳からの指揮系統が伝わらない。呼吸と動作というのは密接に関わっているということを痛感させられる。こんなピンチに知りたかなかった。


 獣をベースにしているだけあり、印獣の態勢は野生的な反射ですぐに立て直された。もうこちらへ踏み込める状態にある。これは終わったか? 生存パターンを可能な限り頭の中で検索するが、どうやってもヒットせず、もはや神に祈ることしか残っていない。最終手段にして、「しかしなにもおこらなかった」のやつ。でも何もしないより……マシなのか?


「グルル……」


 印獣が唸る。そして、白煙に包まれる!? これは――


「大丈夫だった? フレア」

「遅い、リリータ。懲戒解雇ね」

「そりゃ厳しい」


 リリータが来てくれた。これでなんとかなる。よかった。


END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る