ギャルになった地味OL

「これでよし!」


 アスカ指定の機材を全て集め終えた寿美子は、額にじんわりと浮かんだ汗をシャツの袖で拭うと、二人の驚き、そして喜ぶ顔を想像しながらひとりほくそ笑む。


 これまで何をしても期待されることのなかった寿美子は、褒められることもなかった。けれど、あの二人はきっと自分を褒めてくれる——そう信じている。


 
 その期待に胸を弾ませつつ、早く二人の元へ戻ろうと作業音につられて集まってきた邪魔なゾンビたちを、カートで軽く押しのける。


 しかし進み出そうとした寿美子は視線を感じ、その足を止めた。

「……ん?」

 今度は気のせいではなく、視線の先に顔を向けると、電柱の影に背丈の低い老人がひとり立っているのが見えた。一体いつからいたのだろうか。


 ヨレヨレの茶色いシャツを羽織り、よく日に焼けた黒い顔の半分は真っ白い髭に覆われている。全体的に薄汚れたその姿は、悪くいえば浮浪者のようにも見えた。

 だが、その目は濁っておらず、生気がみなぎっている。ゾンビではない。紛れもなく、生きた人間だ。


 寿美子は瞬時にその老人に興味を抱いた。

 普段なら電柱の影から覗かれるなんて気味が悪いと思うだろう。だが、目の前にゾンビがいるにもかかわらず、何事もなく平然とそこに立っている。この異常な状況を共有できる存在かもしれない。


「……おじいさんも、ゾンビに襲われないんですね」

「やっぱりあんたもそうか!」

 寿美子は静かに話しかけると、すぐに高くかすれた声が返ってくる。

 彼も自分と同じ存在に警戒を解いたのか、目尻に深いシワを作り人懐っこい笑顔を見せた。


 もしかしたらこの人は何かを知っているかもしれない。このゾンビに襲われない奇妙な現象の理由を。そう期待しながら、寿美子はさらに一歩踏み出した。


「……はい。でも、どうしてなのかは全然わからないんです。おじいさんは何か知ってるんですか?」


 寿美子の問いかけに、老人は「そうかそうか」と笑顔のまま、何度も納得するようにうなずいた。その様子に、寿美子は思わず期待してしまう。きっと何か知っているのではないか、と。


 だが、老人は肩をすくめて苦笑した。

「わしも、さっぱりわからん」

 その言葉に、寿美子は思わず肩を落とす。期待はあっさりと打ち砕かれた。老人も、この現象の理由は知らないらしい。


「あんたもわしと同じで安心したよ。わしゃゲンジってもんだ」

 世間話でもするかのような軽い雰囲気に、寿美子の警戒心も自然と緩んだ。

「寿美子です」

 だが、次にゲンジが話を切り出した瞬間、彼の表情は急に陰りを帯びた。

「実は聞きたいことがあるんだが」

「何でしょうか……?」

 その表情に、寿美子も少し緊張が走った。

「この辺で『ノストラ教団』とかいう連中を見たことはないか?」


 その言葉は寿美子の予想を大きく裏切るものだった。眉をひそめ、寿美子はその奇妙な名前を反芻する。

「ノストラ教団?」


 それはサーヤの「クロアゲハ」や「ホワイトスノー」のような別のギャル集団だろうか。その二組の存在だって、寿美子が知ったのはつい最近のことだ。もしかしたら、まだ別の集団もいるのかもしれないが、それは寿美子にはわからなかった。


「……それは一体なんですか?」

 寿美子の問いに、ゲンジは「詳しくはわからないが」と前置きし、白い眉を寄せながら語り出した。

「ゾンビが現れた直後のことだ。わしらが住んどった墨田区界隈に、黒いローブを着て顔を隠した怪しい連中がうろつき始めてな――」


 ゲンジによれば、その『ノストラ教団』という集団は、寿美子やゲンジのようにゾンビに襲われない人間を拉致しているらしい。


「拉致……!」

 物騒な言葉に、寿美子は息をのむ。

「ああ、わしの仲間が連れ去られたが、帰ってこんかった」

「その教団の目的は……?」

「それはわからん。わしも逃げるのに必死でな。あちこちに身を隠してるうちに気づけば渋谷だ」

 ゲンジはそう言うと、今までの険しい道のりを思い出しているかのような目をした。


 寿美子は緊張をほぐすように息を吐き、慎重に言葉を選んだ。

「渋谷には……まだそのノストラ教団はいないと思います。少なくとも、私はそんな怪しい人たちを見たことはないです」

「だが、わしらみたいな人間を奴らは狙ってるってことは確かだ。用が済んだらさっさとどこかに身を隠したほうがいい」

 ゲンジの顔からは人懐こい笑顔はとっくに消え、険しい表情で寿美子を見据える。


「……気をつけます」

 人一倍目立つことはない寿美子だが、そのことは肝に命じておくことにした。

 だが、ゲンジの次の一言に寿美子は戦慄する。


「目立つようなことをしなければ、直ぐに見つかることはないと思うがな」

 一瞬、寿美子の脳裏にサーヤやアスカの顔が浮かぶ。近いうちに行われるダンスバトル。目立つなという方が無理だ。

 もし彼女たちに何かあれば――そう考えるだけで背筋が寒くなる。


「あの……」

「なんじゃ?」

「ゾンビに襲われる普通の人は、大丈夫なんでしょうか?」

「仲間の心配か? それなら心配ない。狙われとるのは、あくまでわしらみたいな人間じゃ」


 その言葉に、寿美子はほっと胸をなでおろす。サーヤやアスカに危険がないなら、あとは自分が気をつければいいだけだ。


 ゲンジは再び人懐っこい笑顔を浮かべる。

「じゃあな、寿美子さん。連中にはくれぐれも気をつけてな」

 そう言って、ゲンジは寿美子に背を向ける。

「あ、行っちゃうんですか?」

 ひとりで去ろうとするゲンジ。その姿に寿美子は少し不安を覚える。サーヤたちに相談すれば、ここでの安全な場所の情報だって教えてもらえるかもしれないのに――。


「群れるのは苦手なんでな」

 振り返りもせず、淡々とそう答えるゲンジ。彼はまるでただの気まぐれで忠告をしただけのように、そのまま去っていく。


 寿美子は彼の哀愁漂う後ろ姿を見送りながら、心にわだかまる不安を押し込めるように小さく手を振った。

 ゲンジの姿が遠くに消えていく。


「……私も行かなくちゃ」

 寿美子は小さく呟くと、気持ちを切り替えた。きっとサーヤたちは心配しているだろう。静かな道に、カートの軋む音だけが響く。

 ゲンジの忠告が不安の余韻となって胸に残りながらも、寿美子は歩き出した。


 拠点であるマンションが見えると、サーヤたちは寿美子の帰りを待っていたようで、ベランダから手を振る二人の姿があった。そのことが嬉しくあり、寿美子も手を振りかえす。まるで英雄の凱旋のようなそんな誇らしい気分だった。


 ◇◇◇


「ほんとスゲーよ!」

 アスカは満面の笑みが浮かび、瞳がキラキラと輝いていた。


「マジ全部ある!」

 部屋の隅に並べられた機材を見た瞬間、アスカはワナワナと震えだす。次の瞬間、古びたレコードに飛びつき、その頬を擦り付けた。


「もう一生会えないと思った!」

 レコードを抱えたまま涙ぐむアスカの姿を見て、寿美子の胸にじんわりと達成感が広がる。全ての苦労が、この笑顔で報われた気がした。


 だが、束の間の安堵を破るように、サーヤが寿美子の肩をガッチリ掴んだ。

「よし!これからスミはダンスの練習だ!」

「え?!」

 思わず寿美子の口から間の抜けた声が漏れる。脳内は一気に混乱した。

 そんなの聞いてない。「これが終わればお役御免」――そう思っていたのに、まさかこんな展開が待っていようとは。


 寿美子はサーヤの勢いに気圧されながらも必死に抵抗を試みた。

「いや、私、ダンスなんて……! 体育祭のフォークダンスくらいしかやったことないし……」

 困惑し、拒絶するように身を引くが、サーヤはそれを認める様子はない。


「あはは、それでちょー充分だよ! あとはサーヤが教えてあげるし!」

 サーヤが豪快に笑い飛ばす。彼女の明るい声が部屋中に響く中、寿美子は頭を抱えた。

 サーヤのように弾けたノリなんて、自分には絶対無理だ。ゾンビとは言え人前で踊るなんて、そんな恥ずかしい事は出来ない。


 ――それに。脳裏にゲンジの言葉がよぎる。

「派手な行動はしない方がいい」

 忠告の重みが心にのしかかる。無理だ、無理だ――寿美子の心の中で否定の声が繰り返された。

 しかし、目の前でキラキラと輝くサーヤの目を見ていると、その言葉を口にする勇気はどうしても湧いてこない。


「だってもう『クロアゲハ』の仲間だし!それに踊るのサーヤだけじゃ地味じゃね?」

 俯いたせいでズレたメガネを持ち上げる。

 サーヤは金髪をふわふわさせ、当然という顔でこちらを笑顔で見ている。


「仲間……」

 寿美子にとって魅力的な言葉が響くと、先ほどまでのネガティブ思考が溶けて、頬も自然と緩み出す。

 そんな想いに浸っている寿美子に向け、サーヤは急に厳しい表情を向ける。

「え?なんですか?」

「あと仲間ならそのダッサイ服はちょーナシ!」

「だよねー」とアスカ。

「カリスマ店員のサーヤが最っ高のギャルにプロデュースしてあげるから!」

「ギャル……に?」


 驚く寿美子を完全に置き去りにして、どういう服が似合うかなどの話で二人は盛り上がり始めていった。


 ◇◇◇


「なんかメガネギャルって、ちょーエロくない?」

「エロいエロい」

「え……そうですか」

「そうそう。ギャップっていうか?」


 鏡の前の寿美子は完全な別人になっていた。

 派手めなメイクと、色の多い服。

 後ろにひっつめた髪は解かれ、少し明るい茶色に染められていた。

 しかし、普段履かない短いスカートがどうも落ち着かず、ソワソワとしてしまう。


「似合ってるから自信持てって!」

「そうそう、サーヤコーデだし!」

 二人は寿美子を連れ回し、楽しそうにあれこれと服を選んだ。

 最初は恥ずかしさと驚きで目を丸くし、戸惑っていた寿美子も、次第にそのペースに乗っていく。


 まるで着せ替え人形になったかのように、次々と服を着替えさせられる。もちろん、寿美子が絶対選ばないであろう派手で奇抜な服ばかりだ。

「これちょー良くない?」

 それにサーヤは丈が短いものばかりを持って来る。最近の流行りはこういうものなのだろうか。
 何もわからない寿美子は小さな抵抗しかできなかった。

「え、こんなの私にはちょっと……大胆というか……」

 
「いいから着てみろって!」


 半ば無理矢理ではあるが、アスカの言葉に押されるように、寿美子は恥ずかしげに服を試着する。


 最初は、自分がどれも似合わないのではないかと不安だった。

 地味な自分が、こういう服を着るなんてありえないと感じていた。


 でも、試着室の鏡で見た自分の姿は、思ったよりも悪くない。

 少しずつ、何かが変わっていくような気がした。

 
 友達とショッピング。しかも渋谷で。

 寿美子が今まで経験したことのない輝いた時間だった。

 二人に引っ張られて歩く誰もいない店内は、まるで異世界に迷い込んだような気分だったが、寿美子はその楽しさを、徐々に心の中に吸い込んでいった。


 自分が変わっていくのが分かる。

 かつては地味で目立たない存在だった寿美子は、鏡の前にもういなかった。


「周りになんか言われても、自分は自分で決めるんだよ。もっと自身を持って」後ろにそっと立ったサーヤは笑った。


 自分でも驚くほど、サーヤのその言葉が心に響いていた。

 今なら自分も変われる──そんな気がした。

 彼女達のように強くて自由で、誰にでも堂々と自分を出せるような人になれるのだろうか。


「でも、私も変わりたい……」寿美子は小さく呟き、決心が固まるのを感じた。

 戸惑いながらも、その思いは確かなものだった。サーヤが導いてくれるなら、きっと自分も変わることができる。

 その気持ちが、今まで感じたことのない力強さで胸の奥に広がっていった。

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