泡の境界線
千代田 白緋
第1話
あるオフィスの片隅。男はパソコンで企画書を眺めていた。手製のシュークリームを口に投げ込み、はみ出たクリームで口元を汚す。さて、この男、仕事が非常に出来るわけでもなく、それでいて、いないといないでなぜか仕事が上手く回らないという、立ち位置にいる。そんな平賀は退屈だった。毎朝、着たくもないがそれ以外着るものもないという酷く消極的な理由でスーツを身にまとい、乗りたくもない満員電車でつぶされる日々を過ごしていた。かといって、転職市場に舞い戻り、自分の価値を再度問う行為などは望んでいない。ただ毎日を平凡だと感じていること以外は至って会社に不満もない。若い頃のように、大きなプロジェクトに関わりたいという熱意の炎はどっかの喫煙所に灰と共に捨ててきたらしい。
ある程度、企画書を眺め尽くした時、同期の山上から、社内SNSで連絡がきた。
「ねえ、この間の社内コンペ募集の内容見た?」
山上は同期の中でも仕事のできる側の人間だ。一度、社内コンペで彼女の案を通したことがあった。さてはあの時の脳内麻薬を今回のコンペでも摂取できるかと思って、寄ってきたな。そう彼女の腹の内を想像しながら、文面を打つ。
「見るも何も、あの内容を社内周知したの俺だけど」
「え、そうだったの?知らなかったわ」
全く、見え透いた冗談を言う。社内コンペティションという社内での能力査定大会。自分が有能であることの証明。断頭台。その舞台に上がらなくていいのは役得でしかない。
「なんか良い案でも浮かんだ?」
「浮かんでも、言うわけないでしょ?あんたも敵になるかもだし」
「敵って。これまた、言葉が強い。まあ、その点は安心してくんな。いつも通りコンペの企画、周知したうちの部署の人間は参加できない決まりだ」
「まあ、企画内容を先に知ってるあんたらが参加出来たら、不公平よね。ちなみに、いい案が浮かんだのは確かよ。でも、まだ決定打に欠けるというか、輪郭がぼやけているというか、なんというか。まあそんな感じだから、今日の仕事終わり、いつものバーでよろしく」
彼女のはっきりとした物言いと有無を言わせず相手のスケジュールを押さえてくるあたり、主導権を握ってほしい俺としては大変助かる。
「了解」
そう返信すると俺はパソコンに表示された今回のコンペ内容が書かれた企画書を再度確認した。
テーマ:『新しい石鹸体験を生み出す商品案の募集』
何とも曖昧で0から1を生み出せという内容。これに対して、製品開発部、専門分野「分解」の山上はどうアプローチをかけてくるのか。今日はできる限り定時であがろう。そう、心に誓った。
仕事が非常に出来るわけでもなく、それでいて、いないといないでなぜか仕事が上手く回らない。それは俺が汚れ役を引き受けているからだ。表も裏も。
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