第5話 紛らわしい「~したい」
ある全国紙の社説の冒頭に、次のような一文がありました。その社説のタイトルは、「少子化対策は総合的な見地で -出生数過去最低-」でした。
「多くの若者が『子供を持ちたい』と思える社会をどう作っていくか。国力を維持し、社会保障制度を持続させていくための方策を考えたい。」
※ 傍点は引用者による。
私が引っ掛かるのは、「方策を考えたい」の部分です。
これがごく普通の文章表現だったら、読者は、「方策を考えたい」のはこの文章の筆者であり、この文は「私はこの文章で、国力を維持し、社会保障制度を持続させていくための方策を考えたい」という主旨だと受け取るのではないでしょうか。
しかし、この文の後は、政府が発表した「2024年人口動態統計」の速報値について、内容をいくつか紹介したり、多少の分析を加えたりしているだけで、「方策」と呼ぶほどのものは出てきません。つまり、この「方策を考えたい」は、筆者自身が「考えたい」という願望・意志を持っていることを表すのではなさそうです。
そうすると、この「考えたい」は、新聞、それも社説独特の言い回しかもしれません。それは、「~すべきだ」「~する必要がある」「~しなければならない」などの意味で使われる「~したい」です。
この使い方については、「新聞を添削する!」第4話「『したい』って、誰が?」で一度取り上げました。
最近の社説から例を挙げると、次のとおりです。
「患者と医師をインターネットでつなぐ『オンライン診療』は、医師不足が深刻化している地方にとって、有効な対策になるはずだ。シニア世代にも使いやすくなるよう体制を整えたい。」
※ 傍点は引用者による。
今回取り上げた文章では特に、社説の冒頭部分に出てきたので、この「考えたい」が上記どちらの用法なのか判断できず、戸惑いました。素直に次のような書けば、論旨が明確になり、読む者を戸惑わせずに済むのではないでしょうか。
<多くの若者が『子供を持ちたい』と思える社会をどう作っていくか。国力を維持し、社会保障制度を持続させていくための方策を考えるべきだ。>
ところで、この社説は、おっしゃっていることは誠にごもっともなのですが、具体性に欠けるきらいがあります。そこで提言しているのは、若い世代の正社員を増やしていくこと、若者自身も人口減は自分たちの問題であることを認識すべきことくらいです。
そして、文章の最後は、「少子化が続いている様々な要因を分析し、総合的な見地から見直していく必要がある」と締めくくられています。
今さら、言わずもがなのことではないでしょうか。それに、「総合的」などと言うと一見立派そうですが、単に「いろいろな面から」という意味であり、実質的な中身はほとんどありません。こういうのは、政治家や役所の国会答弁によく出てきそうな言い回しです。
一流新聞なのにその主張・提言がこの程度では、とても歴代内閣の少子化対策(いや、無策と言うべきか)を批判できないのでは? しっかりせよ、新聞!
《続く》
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