第2話

11月とは思えないほど冷たい細雨が静かに降り続く夜11時過ぎ、宇宙おおそら天命てんめいは細身の煙草をくゆらせながら、大きな窓越しに雨に煙る街を眺めていた。


そのとき、静かに「とん、とん」とドアを叩く音が響いた。


「常務、椿様についてご報告があります。お入りしてもよろしいでしょうか?」


「お入り」


四角い銀縁の眼鏡をかけ、まるで陶器人形のように表情の読めない秘書、たちばな正英まさひでが丁重に一礼して部屋へ入ってきた。


「本日も椿様を追っていた者がおりましたが、ガードが追い払いました。椿様には気づかれないよう、慎重に対処しております」


「ふう……で、何者だった?」


「テーパード書店に新しく入ったアルバイトの者でした。おそらく店長の指示を無視して、独断で動いたものと思われます。高橋店長は普段から、椿様に近づかないようスタッフに厳しく注意しているとのことです。今回も問題が起きないよう事情を説明し、謝礼も渡してありますので、ご安心ください」


「了解。お疲れ。そろそろ帰ろうか」


「かしこまりました」


天命は煙草を神経質に指で潰しながら火を消し、橘からコートを受け取って羽織り、静かにドアを出た。高級感漂う黒いセダンの中、煌びやかな夜の街並みを眺めながら、彼は3年前に出会った冬心の、今にも崩れそうな泣き顔を思い出していた。


パニック発作に襲われ、細い体を震わせながら苦しんでいた冬心。

従弟である宇宙おおそら明星めいせいの暴走によって、尊厳を踏みにじられた可憐なオメガ。


会長の祖父から直接電話が入り、ピース大学付属病院の救急室へ迅速に向かい、マスコミの騒ぎが起きないよう速やかに対処するよう指示された。さらに、ピースグループ専属の弁護士も派遣され、事態は切迫していた。


天命は祖父の迅速な指示によって、マスコミも警察もまだ動いていないことに安堵しながら、救急室へと足を踏み入れた。 その安堵は、彼の内に潜む自己中心的な思考からくるものだった。


息を荒げ、震える細い体を涙で濡らした美しいオメガの姿を目にした瞬間、天命の胸の奥底で怒りが爆発した。奥歯を強く噛みしめ、なんとか感情を抑え込んだ。


担当医は、肛門に深刻な損傷があり、外科的処置と薬の投与を行ったと説明した。加えて、精神的なショックによるパニック発作も確認され、しばらくは入院が必要だと告げた。


天命はオメガ専門の医師に精神面のケアも依頼し、静かに救急室を後にした。


廊下で待っていた弁護士、小野が、準備していた書類を天命に差し出した。天命は「要求されることはすべて応じろ。金ならいくらでも出す」と指示し、冬心のためにできる限りの支援をするつもりだった。


小野の背後の椅子には、鼻をすすりながら涙を流す少女が座っていた。

明星の幼馴染、花高はなたか香織かおり。幼稚園以来の再会だったが、丸い童顔と両頬のえくぼを見て、天命はすぐに彼女だと気づいた。


小さい頃は平均より背が低かったが、今では167センチほどに成長し、金髪にカールパーマをかけたお洒落な女子高校生になっていた。


指輪、靴、鞄はすべて有名ブランドの高級品。裕福な家庭の娘らしい佇まいだった。極劣性オメガである香織は、大手製薬会社、花高の愛娘でもあった。


ピース私立高等学校では制服の規定はあるものの、ヘアスタイルやアクセサリーなどの自由が認められており、学業だけでなく多様なプログラムを通じて個性と多様性を尊重するオープンマインドな教育に力を注いでいた。


そのため、卒業生の中には世界的に活躍する著名なセレブリティも多く輩出されていた。


天命は優しく声をかけ、事件の経緯をそっと尋ねた。香織は涙をこぼしながら、震える声で少しずつ語り始めた。


入学式の前から、ピース私立高等学校に50年ぶりとなる極優性オメガが入学するという噂が広まっていた。しかもその人物は、全学年の成績優秀者奨学金を獲得し、首席として入学するという前例のない存在だった。


実際の入学式では、新入生代表として挨拶を行った冬心の姿を見て、全校生徒がその並外れた美貌に心を奪われた。3年生の明星と香織も、「めちゃくちゃ綺麗だな」と頷き合っていた。


3月の入学式後、1年1組の椿つばき冬心とうごは、首席入学者らしく勉学に秀でているだけでなく、体育・音楽・美術にも優れた才能を発揮していた。


謙虚で明るく、優しい心を持つ高雅なオメガとして、クラスメートのみならず、学年を越えて多くの生徒から愛されていた。


優秀な人材が集まるピース私立高等学校でも、男性の極優性オメガは極めて珍しく、今回の入学は実に50年ぶりだった。現在、形質者の減少は社会的なイシューとなっており、世界人口のうち形質者は10%未満。その中でもオメガはわずか4%しか存在しない。


さらに、極優性オメガは世界にただ一人、椿冬心のみが確認されていた。その希少性と安全性を守るため、日本政府は彼の個人情報を厳重に管理し、オメガの人権尊重に関する法律も改正して、唯一無二の存在を保護していた。


5月の体育祭では、徒競走・リレー・ダンスで圧倒的な勝利を収め、大活躍を見せた冬心。6月には全国高校生美術大会に出場し、見事優勝。


そして7月の校内音楽フェスティバルでは、華麗なピアノ演奏と美しい歌声で、学校の“伝説の女神”と称されるほどの存在となった。


その人気ぶりから、多くの生徒が冬心に告白したが、すべて丁寧に断られた。


そのため、校内では「すでに番がいるらしい」という噂が広まり、生徒会会長の明星も告白したが、見事に振られてしまった。


7月19日金曜日、1学期の終業式の日。香織は、明星とその仲間たちの様子がおかしいと感じて、ずっと彼らを見張っていた。


終業式のあと、明星と3人の仲間たちは「用事がある」と言って先に帰ったが、そわそわした様子に違和感を覚えた香織は、自分の勘を信じて、密かに彼らを尾行した。


学校から歩いて15分ほどの場所にあるローヤル王国タワーマンションに4人が入っていくのを見て、「内山んちに行ってゲームでもして遊ぶのだろう」と思い、そのまま帰るつもりだった。


だが、蒸し暑さに負けて、香織はマンション前の日陰のベンチで、少し休むことにした。しばらくスマホをいじりながら音楽を聴いていたが、そろそろ帰ろうと立ち上がったとき、冬心がローヤル王国タワーマンションの敷地内に入ってくるのを見かけて、驚いた。


香織は、お腹の奥がびりっと引き締まるような不快な違和感を覚え、思わず冬心の姿を目で追っていた。


セキュリティの関係で自分では中に入れないかもしれないと思った香織は、冬心に声をかけて一緒に入れてもらった。香織は「友達が体調を崩して欠席してるから、知らせずにサプライズで見舞いに行きたいの。協力してくれる?」と伝えると、冬心は快く了承し、一緒にエントランスを通過した。


同じ学校の制服を着ており、同じオメガであることもあって、冬心も香織の顔くらいは覚えていたようで、2人は自然に会話しながら同じエレベーターに乗った。


そして32階へ向かう途中、香織が何気なく「どうしてここに来たの?」と尋ねたところ、思いがけない返答が返ってきて驚いた。


冬心は、「水曜日に生徒会の会長から、9月の英語劇のセリフ修正を手伝ってほしいって言われて」と話した。 香織は、冬心が英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、韓国語も堪能だからだろうと思った。


けれど、ふと昨日のことを思い出した。たしか内山が、「台本はもう完成してるから、あとはセリフ覚えるだけって感じ」と言っていたのだ。


その瞬間、香織は何かがおかしいと感じた。


同じく32階でエレベーターを降りたあと、香織は3203号室へ向かう冬心に別れの挨拶をして、反対方向へと歩き出した。


モヤモヤした気持ちが晴れない香織は、まず内山に電話をかけたが出なかった。

次に大高にかけてみたが、またしてもつながらず、焦りが募っていった。


そこで今度は近藤と明星にも電話をしてみたが、2人とも応答はなかった。


廊下をうろうろしながらどうすべきか悩んでいた香織だったが、「一応、何か行動しないと」と判断し、意を決して3203号室に向かった。深く息を吸い、インターホンを押すと、少し間をおいて内山の慌てた声が聞こえた。


「香織じゃん、何だよ?」


その声に対して、香織はなぜか衝動的に、「警察連れてきたから、ドア開けて!」と叫んでしまった。


中では突然慌てたような騒がしい声が飛び交っていたが、誰もドアを開けてくれなかった。そこで香織は「開けないと親に連絡するよ!」と大きな声で威嚇すると、すぐにドアが開いた。


「冬心!」と名前を呼びながら中に入ると、内山・大高・近藤の3人が「何もないから、もう出て行け」と制止してきた。


彼らとは幼稚園の頃からの幼なじみで、とても仲が良かった。いつも一緒に話し、遊んでいた大切な友達だった。それでも香織は引き下がらず、奥の内山の部屋へと進んでいった。


内山の部屋のドアを勢いよくバンッと開けると、冬心は裸で、口はテープでふさがれ、手足も布テープで縛られて泣いていた。


あまりにも悲惨な光景に、香織は言葉を失い、その場から動くこともできなかった。ベッドのそばの窓際には、明星が静かに煙草をくゆらせながら座っていた。


気を取り戻した香織は、震える手を必死に抑えながら、明星の父であり天命の叔父でもある人物に電話をかけ、状況を伝えた。その後、冬心の体を縛っていたテープを丁寧に解き、布団でそっと包み込んで、優しく抱きしめてあげた。


「もう、大丈夫だよ。安心してね。気づくのが遅くなって、ごめんね」


震える冬心を、香織はただ必死に抱きしめ、背中をそっと撫でてあげることしかできなかった。状況から深刻な被害を察し、証拠を守るためにも、それ以上はできるだけ体に触れず、そばに寄り添っていた。


やがて救急隊が到着し、冬心は担架で運ばれていった。香織も心配で、その後をついていった。明星、内山、大高、近藤の4人は何も言わず、ただ呆然とその様子を見つめていた……。


話を終えると、張り詰めていた感情が一気にあふれ出し、香織は堪えきれず声を上げて泣いた。天命はそんな香織を優しく抱きしめ、静かに言葉をかけた。


「賢明な子だね。よくやってくれてありがとう」


天命は、香織の一瞬の判断がピースグループの名声を守ることにもつながったと感じ、心から安堵した。昔から家族ぐるみの付き合いがあったからこそ、香織は110番や119番ではなく、叔父に連絡をくれたのだろう。


「本当に、優しくて賢い子だ……」


と、天命は改めて感心した。


天命は、香織の心身の状態も心配になり、医師を呼んで診てもらうよう手配した。


その後すぐに、橘に電話をかけた。


「調べたのか?」


「はい。ただいま情報を収集中です。かなり優秀な学生のようで、記録も多く……」


「いいから早くやってくれ」


「かしこまりました」


ーーーーーーーーーー


「常務、到着しました」


セダンのドアを開けながら、橘が静かに声をかけた。

天命はその声に、冬心の苦い記憶からふっと現実へ引き戻された。


ゆっくりと大きな体を動かしながら、天命はセダンから降りた。197センチの長身に、鍛錬された筋肉が乗った巨躯は、まるで映画に出てくるスーパーヒーローのように堂々としていた。


「お疲れさまでした。おやすみなさい」


橘の挨拶に、天命は軽く手を振り返すと、マンションのエントランスホールへと歩いていき、その姿は徐々に闇に溶けるように消えていった。


マンションはピースグループ所有のVVIP専用で、37階の最上階にある天命の家へは、専用のエレベーターで他の住民と一切顔を合わせずにアクセスできる。


白と黒の大理石で装飾された空間は、モダンながらも華美で、高級感あふれる贅沢な雰囲気に包まれていた。高い天井から吊るされた絢爛なシャンデリアは、金色に輝く宝石のように煌めいていた。


天命のマンションには部屋が7つ、浴室が3つあり、一人暮らしには広すぎるほどの空間だった。家事を手伝う阿部さんと佐藤さんのおかげで、微塵の汚れも感じさせない清潔感に満ちた美しい空間が保たれている。


浴室で熱いシャワーを浴びながら、天命はふと冬心の美しい顔を思い出した。 その瞬間、胸の奥に熱がこみ上げ、抑えきれない衝動が身体を突き動かす。 シャワーを終えた天命は、乱れた呼吸を整えながら、急いで秘書の橘に電話をかけた。


「オメガ、早く送ってくれ」


「かしこまりました。急ぎですので直ぐ調達可能なJ&Jエンターテイメントの女優のオメガを送り致します。ご了承ください」


今夜も天命は、本能のままに冬心の代わりを求めて、オメガをベッドに招くつもりだった。性欲旺盛なアルファの本能は、時に理性を押し流す。


オメガの相場は高額だが、肉体の相性においては申し分ない。謝礼は、一般企業の年収を軽く超える額を提示していた。満足させてくれた相手には、惜しまずチップも払った。


天命は、性交においても真剣だった。

恋もしたことがあった。だが長くは続かなかった。


三ヶ月も経てば、熱が冷めてしまった。相手は有名モデルや女優ばかりだったが、整った顔の奥に、何か決定的に欠けたものを感じていた。


化粧と整形で作り上げられた美は、彼の心を長く惹きつけることができなかった。それで、3年前に高校1年生の冬心を見た瞬間、一目惚れしまったのだ。


美しくて清爽で、純粋で、まるでおとぎ話のお姫様みたい……。


天命は、明星をどうしても許すことができなかった。


医師によると、冬心の体からは肛門内に微量の精液が検出されたが、それ以上に多量の出血と唾液が確認されたという。つまり、性交の途中で救出された可能性が高く、不幸中の幸いだったと話していた。


その後、明星は叔父に対し、自ら事件の詳細を白状した。

「好きすぎて…悪いことだと分かっていたけど、どうしても抑えられなかった」と語り、内山・大高・近藤らと共に、計画的にレイプを企てたことも明かした。


しかも、明星が最初の加害者であり、他の3人も順番に冬心を襲う予定だったという。あまりにも卑劣で残酷な内容に、話を聞いた天命は激しい怒りに駆られ、すぐにでも警察へ通報しようとした。


だが、祖父・叔父・父による強い説得により、天命の意志は折れてしまった。事件の加害者たちは、まだ高校三年生。だが肉体的にも精神的にも、もはや未熟とは言えない年齢だ。


天命の胸には、深い苦悩と怒りが残されたままだった。


しかし、裕福な家柄という盾によって、明星を含む4人の加害者たちは責任を問われることなく、アメリカへの留学という形で事件は事実上、幕引きとなった。


冬心は1ヶ月間入院し、徐々に元気を取り戻していたが、病院代以外の支援は頑なに断ったため、十分に助けてあげることができなかった。ピースグループの会長も面会に訪れ、深く頭を下げたが、冬心とその祖母は「もう大丈夫ですから、謝らないでください」と優しく対応してくれた。


天命は、冬心も祖母も本当に心の優しい人たちだと強く感じた。


近年、オメガに関する法律が厳しく改正されたため、この事件が明るみに出れば、いくら大手のピースグループといえども、対処のしようがなくなる。そこで、会長は慰謝料として5億円を提示したが、やはり丁寧に断られた。


冬心が心理治療担当の鈴木先生に心を開き、信頼していたことから、天命は鈴木先生を通じて冬心を支援した。


祖母の脊髄管狭窄症の手術も「国の補助だ」と嘘をついて費用を負担し、冬心が安心して暮らせるよう、オメガに安全な星空町の新しいアパートへの入居も手配した。家具や衣服なども、すべて鈴木先生を通して質の良いものを贈った。


鈴木先生も善良な人で、積極的に協力してくれている。冬心は気づいていないが、服はすべてブランド品であり、彼の好きな黒や茶色のコートも、イタリアやフランスの高級ブランドによる上質な逸品だった。


鈴木先生は「娘のお下がりだよ」と言って、冬心に新しい名品を渡している。だが、実際はすべて天命が購入したものだ。天命は冬心の服を選ぶのが楽しくて仕方がない。いつも彼の好みに合わせて、白・黒・グレー・ベージュ・ブラウン系の色を選んでいる。


コートなどは特別にオーダーメイドで仕立てることもあった。本当はもっと贈りたいのだが、冬心は多くを受け取ることを固く辞退するため、慎重に少しずつ渡していた。


冬心は極優性オメガのため、3ヶ月に一度、国が指定する形質者管轄病院での定期検診が義務づけられていた。しかし今回を機に、鈴木先生がその検診も担当することになった。


鈴木先生は、25年間アメリカの形質者支援病院で研究に従事した経歴があり、日本のピースグループが彼女をピース大学付属病院へスカウトした。ピースグループは莫大な資金を投じて、冬心が国の管轄病院ではなく、ピース大学付属病院で検診を受けられるよう手配した。だが、冬心自身はその事実をまったく知らない。


冬心が退院してから、天命は有能なガードを二人手配し、彼の安全を密かに守っていた。彼らは、冬心に近づこうとする者たちを遠ざけるのが任務だが、法律の範囲内で、できる限り穏やかに、親切に対応している。


冬心に近づいてくる男たちには、嘘の事情を説明したり、金銭で穏便に収めたりして、彼が関わることなく安全に、そして幸せに過ごせるよう、さまざまな手段で保護していた。


事件後、冬心は一層勉学に励み、日本全国の知能テスト大会で優勝を果たした。さらに世界大会でも頂点に立ち、その名は各国のメディアを賑わせた。


冬心のIQは高性能AIコンピュータを超える数値を記録し、測定不能との結果が出たことから、報道はさらに過熱。常に大きなマスクで顔を隠していたが、隠しきれない美貌と天才的な頭脳を持つ“奇跡の少年”として称賛された。


しかし、政府とピースグループによる継続的な圧力によって、やがてメディアも静かに離れていくこととなった。


その後、冬心は世界知能テスト大会への出場をすべて断ることにした。その知らせに、天命は胸を撫で下ろした。これ以上世間の注目を集めることなく、穏やかな日々を過ごせるのではと感じたからだ。


冬心は、かつて全国模試で3年間首席を守り抜き、大学入試でも全国1位の成績を収めた。ピースグループ財団は彼のために、大学4年間の学費を全額負担する特別奨学金制度を新たに設立し、冬心に授与した。


冬心はその申し出を素直に喜び、感謝を込めて受け入れた。


冬心のことを考えながら、天命はグラスにウイスキーを注ぎ、一気に喉へ流し込んだ。喉の奥が焼けつくような感覚が走り、後に残る重く渋い香りが鼻腔を刺激する。


そのとき、突然電話の着信音が静寂を破った。


「リンリン……」


受話器を取ると、橘の声が響いた。


「常務、オメガがマンションに到着しました」


「……わかった」


「では、失礼いたします」


暫くしてインターフォンが鳴った。 天命はリモコンで玄関のロックを解除する。


バタバタと軽やかな足音が近づき、スラリとした華奢な体つきの、妖艶な雰囲気を纏った20代ほどの黒髪のオメガが姿を現した。


今夜は、本能に揺さぶられる長い夜になる予感がする。窓の外では雨脚が激しさを増し、豪雨が唸るように降り注いでいる。その音は、天命と女が交わす野性の裸体を、まるで軽蔑するかのように泣いているようだった。




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