第9話 困ったもの

 葵を研究棟の入り口まで送ると、西澤は自宅に向かって歩きながら、今夜は葵の事を考えていた。総合診療医なんぞを続けていると、つい患者のことを分析する癖がついてしまう。葵は患者ではないのだが、何となく患者を相手にしているような錯覚に時々陥る。

 葵というのはなかなか興味深い人物だ。

(教授は非常に優秀な研究者で、集中力がすさまじいし、頭も猛烈良いと言っていたが、それに関しては全く反論の余地がないな。ちょっと一緒に仕事をしてみればすぐ分かる。

 仕事に対する姿勢もすこぶる熱心で真摯しんしだ。というより、むしろ熱心過ぎる。本当に自分の体力をまるきり無視して仕事に没頭している。あれじゃあ教授が心配するのも無理ないな。

 一度ぶっ倒れたというのに全くりてないし、だいたい『入院させられた』なんて言ってる時点で、全然反省してないのは見え見えだ。どうせ『引きずって行かれた』のはここの救急外来あたりだろうから、いくら教授が頼んだからといって、そう簡単に入院なんてさせられる訳がない。きっと最初の検査数値が余程悪かったんだ。

 一体全体なんだって体を壊すほど研究に没頭するんだろう? まあ今は治験者の命がかかってるから、仕方がない面もあるが…… 別に出世欲が強いようにも見えないし、荻野教授のように研究が楽しくてしょうがないというのともちょっと違う気がする…… まるでこの研究に命をかけてるみたいだ。困ったものだな)   

 と西澤は思った。

(でも研究者としての姿勢は別にして、実は本来の性格はまるっきり違うようにも見える。むしろ天然に近いというか、結構天真てんしん爛漫らんまんでユニークだ。

 裏表がなくて、自分を全く取り繕わない。人が自分をどう思おうが知ったこっちゃないというか、もっと大事なことが世の中には沢山あって、そんなことにはいちいち構ってられないという態度だ。とにかく珍しいタイプだな。たまに幼さが見え隠れするんだが、からかって子ども扱いするとすぐムキになる。そんなところと有能な研究者との落差が激しくて、時々こっちの意識がついていかない)

 だが分かるのはそこまでで、その先の事がさっぱり見えてこない。やたらに大食いなのは分かったが、それ以外のプライバシーは全てあの色のついた眼鏡の奥に隠れてしまっている。

(そもそもあの見た目ヤクザの眼鏡は何のためなんだ? 極端に強い光を嫌う目の病気は幾つかあるが、もし仮に目の状態があまり良くないなら、過酷かこくな条件で日がな一日顕微鏡をのぞき込むような仕事に好んで就くものだろうか? もしかして顔に何か強いコンプレックスがあるとか?

 それに若い身空で何であんな浮浪者みたいな恰好をしてるんだろう。髪型もひどいし、白衣を着てるからそんなには目立たないが、服装も年がら年中同じようなものを着ている。実験で汚れやすいとしても、あそこまでひどい格好をする必要もないだろうに。

 そういえば給料前だとレストランで食べる金がないとか言ってたな。あれだけ仕事ばかりしていて、オシャレにもおよそ興味がないのに、いったい何にそんなに金を使うんだろう。あれじゃあ自分の時間なんて持てるはずもないのに。それにいくら大食らいだからといって、食べ物にそれ程贅沢ぜいたくしてるようにも見えないし……)

 結局知らない事が多すぎて、全く不毛な推測をするのがばからしくなり、西澤は考えるのをやめた。とにかく一緒にプロジェクトをやる分には、別にぼろな格好でも一向に差し支えない。まあ良い仕事仲間ではある。今の所はそれで十分だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る