第8話 愛の縄張り

こうして毎週のように俺は百合の身体に薔薇を刻んでいった。

1週間経つと薔薇は黒ずんで痣となり、うっすらと消えていつしか見えなくなってしまう。消えてなくなる前に俺は新しい薔薇を咲かせた。


胸や首、内もも…咲かせる場所や数はその時々で変えていき新たな蕾を開かせた。

「百合…好きだよ…百合…」と呼びながら夢中で何か所もつけていった。



薔薇は色によって花言葉が違う。

赤は情熱、白は「純潔」、ピンクは「愛の誓い」そして黒は「永遠の愛」「貴方はあくまで私のもの」「決して滅びることのない愛」だ。


純潔で真っ白な百合に、俺は薔薇をつける。薔薇は時間が経つと黒になり決して滅びることのない愛へと変わる。そして「百合、貴方はあくまで私のもの」なんだ

。俺は滅びることがないよう百合の身体に薔薇を咲かせ続けた。



百合は着る服を気にするようになっていたが、特段嫌がるようなことは言わなかった。少しずつ開花しているのだと思い次の段階へと進める準備をした。


俺の言葉や行動を純粋に喜び、行為に関しても恥ずかしがりはするが嫌がらずに従う百合はマゾの気がある。

目隠しだけでなく、両手首を固定するためのバンドやおもちゃの手錠、それ以外の道具も揃えていった。もし万が一のことがあっても、他の男とのセックスでは満足できず、物足りなくなって帰ってくるように俺は百合の身体を開発し欲望の沼に引きずり込もうとした。身も心も俺で染めてやろうと思った。



そんな時に事件は起こった。

この日も俺は両胸と内ももの5か所にキスマークを付けた。

服を着る時に「温泉が好きなのにキスマークがあったら行けない。」と百合が嘆いた。



「もし何かあった時に、このキスマークが合ったら百合は俺の物だって相手が諦めるかもしれないだろ。温泉に行きたかったら俺と貸し切りにいけばいいじゃないか」

特別なことを言ったつもりはなかったが、百合は違った。



「ねぇ……今、なんて言ったの?…私のキスマークを見たら相手が諦める?それって、私が誰かの前で服を脱がないと分からないことだよね?」百合から涙が流れていた。


「え……そうじゃなくて…百合?」


「そうじゃなくて何?こんな胸や内ももにあるキスマークなんて普段の生活で誰が気づくの?見える場所じゃないでしょ?」


言葉選びを間違えた…。しかし、もう遅い。百合は哀しみで顔を歪め泣き続けている。


「もうやだ……」


「えっ?ちょっと…百合???」


「私、付き合ってからまさ君にいっぱい色んなことしてもらって幸せだった。でも最近のスマホのチェックもやましいことしていないのに見られるのは嫌だった。だけどまさ君のことが好きだし、まさ君も私のことを好きでいてくれている。お母さんのこともあって、まさ君は人よりもちょっと心配性なだけで愛情表現の一つだと思っていた。」


「………。」


「でも…今のは違う。相手が諦めるかもしれないって、私が誰かの前で裸になっている姿を想像していたってことでしょ?」


「違うんだ。百合が誰かについていくとか浮気をすると思ったわけじゃなくて、お酒に酔ったり体調が悪くなったりした時に誠実な男ばかりではない。その時に守る手段としてつけていたんだ。百合のためなんだ」


「私のため?…いつも一次会で帰っていたのに?お酒で酔いつぶれたこともないよね?」

百合は泣きながら俺を睨めてつけていた。


「私…まさ君のことが怖いよ。信じてもらえなかったのも悲しいし、このキスマークだって愛情表現じゃなくてただの動物のマーキングだよ」



百合に言われ、俺も少し納得した。

確かに百合は俺のものだ、誰にも渡したくない一心でつけていた。俺は百合を独占したかった。どこにも行ってしまわないように俺の中に閉じ込めておきたかった。


キスマークを見つければ相手は他の男の存在に気付くだろう。百合は俺の物だと見せつけるためだった。それは動物達が自分の縄張りを荒らされないようにつけるマーキングと変わらないのかもしれない。そして、そのきっかけは電車を変えようとしない百合への嫉妬や執着だったのかもしれない。



ただ、それでも俺は百合が拒む理由が分からなかった。

俺は百合を他の男から守るためにやったことで、拒絶される理由はない。



その後も百合と話をしたが心を開いてもらえなかった。


「まさ君は、越智君が私に興味があるとか、私が他の人の前で服を脱ぐとか勝手な妄想をしている。そして、その妄想でキスマークを付けたりスマホのチェックや行動を監視している。それは愛情じゃなくて縛り付けているだけだよ…。私、もうまさ君のことが怖い…」

百合は号泣して嗚咽交じりにそう言った。


「俺は百合のことが好きだ。百合を守るためだったんだよ。百合のことを想ってだよ。百合のことが好きで誰にも渡したくないし渡さないためのお守りみたいなものだったんだだから、嫌だ、別れたくない。俺が側にいて支えるから」5歳の頃、俺が母親に直接言えなかった言葉を百合に伝えたが響かなかった。



そして、雨の日に迎えに行っても、駅前で飲みものを用意して待っていても、やっていることは同じなのに「尽くす」ではなく「ストーカー」みたいと怖がられた。

「俺は百合の事を愛しているし、俺以上に百合のことを考えている男はほかにいない。だから結婚しよう」薔薇の花を用意し渡したこともあった。



しかし、百合は「もう、まさ君の気持ちには応えられない…」と走ってその場を逃げるように去って行った。そのうち、帰宅時間を変えたり、別の改札から帰宅したのか俺は逢えない日が続いた。



別れたくない俺ともう逢いたくないという百合。SNSで傷心している俺の投稿を見た共通の友人たちが心配して間を取り持ってくれた。


1か月の冷却期間を設ける。その間、連絡もしないしきても返事しない。勝手に迎えに行ったり、逢おうとしない。そうすればお互いの大切さがわかるかもしれない。

友人たちは俺にも、そして百合にも説得をし渋々だったがお互い了承をした。



俺はいてもたってもいられなかった。禁煙をしている人はこんな気分なのだろうか。禁断症状のように百合のことが頭から離れない。仕事中でもふと手が休まると百合のことを思い出してしまう。落ち着かなくて指でトントントントンと机でリズムをとって気持ちを静めた。ほかのことに集中できなかった。



百合と付き合って4年、連絡は1日もかかしたことがなかった。

それが1か月も連絡を控えるなんて…気が狂っておかしくなりそうだ。

でも約束を破ったら百合とはもう逢えなくなるかもしれない。俺は必死で耐えた。



「この期間で百合の気持ちが変わるかもしれない…百合には連絡しない…耐えろ、耐えるんだ俺…」呪文のように何度も何度も頭の中で繰り返していた。



そして、もうすぐ約束の1か月になる。あと2日で冷却期間が終わる。俺は心待ちにしていた。


『これでやっと百合に会える…会ったら何をして何を話そうか…なんて百合に言おうか。百合はどんな思いでこの期間を過ごしていただろうか。百合もこんなに間が空くことは初めてだ。もしかしたら気が変わっているかもしれない…』

楽しみでしょうがなかった。



家につき玄関のカギを開け扉を開くと郵便物ではない小さな金属音がした。

不思議に思い手を伸ばすと、百合に渡したはずの鍵が入っている。百合がこの部屋に入ったというのか…慌てて靴を脱ぎ部屋中を探したが百合の姿はどこにもない。

代わりにあったはずの部屋着やポーチが無くなっていた。



荷物だけ取りに来て帰ったのか…百合がいないことや合鍵をポストに入れて去ったことに落胆していると、洗面所の鏡に反射した俺の顔が映った。


そして、オレンジのボトルに入ったオイルクレンジングもある。朝家を出る時はこんなものはなかった。そもそもクレンジングなんか必要がない。荷物を取りに来たはずの百合が何故……。




その時、俺はすべてを悟った。




違う、これは百合からのメッセージだ。


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