二章 終わらずの町

目覚め

「――えっーと、ここは?」


 身動きの取りづらさを感じ、思わず目をやると体のあちこちが包帯に包まれていた。状況が呑み込めない傷だらけの男――六十夜いざよい 双葉ふたばは開いた口が塞がらずにいた。

 記憶を辿ると、フタバは高額バイトに騙され、逃げているときに不思議な石に話しかけられ、全く身に覚えのない世界に飛ばされてしまう。非科学的な出来ことであるが、魔法を扱う少女に出会い、人外の魔獣と激闘を繰り広げ、そして――


「おれ死んだよな?」


 薄っすらとした記憶であるが、アラクネの凶尾に貫かれ、燃え盛る教会の中で彼女の魔法の影響である黒い人影に変貌する途中で意識を失ったのが最後だ。回想するだけでゲームオーバーである。しかし、目覚めたここが元の世界かと言われれば、そうではないようだ。

 窓際には丁寧に整えられた薬棚が並び、瓶や箱にはひとつひとつラベルが貼られている。整然と並ぶ器具類はどれも手入れが行き届き、刃は銀のように光を反射していた。天井には半球型のランタンが取り付けられており、柔らかな灯りが部屋全体を包み込んでいる。


 重たく軋む鋼鉄の扉が、ゆっくりと押し開けられた。外の騒がしさが一瞬だけ吹き込み、医務室らしきこの部屋に白衣を纏った女性が現れた。黒の団服に真っ白な白衣を羽織った金髪の女性は目の下に大きなクマを作り、病的な雰囲気を醸し出しているが端正な顔つきをしている。


「ようやく目を覚ましたか。おはよう―フタバ君と言ったかな?」


「は、はい。すいません……ここは?」


「ここは医務室だよ、君は患者だ。レイン=ミリアーナ、ここで医者をやっている」


 レインは多くは語らず端的に答える。煙草に火をつけながら、椅子に腰掛けて生気のない瞳でフタバを見た。無言のまま視線を送られる状況に気まずさを抱かずにはいられなく、フタバは不意に目線そらした。

 ふと視線を送った先――医務室の扉が少し開いているその隙間からこちらを覗く人影が見える。猟奇的なまでにこちらを見つめる瞳――淡い水色の目に双葉は見覚えがあった。


「いつまでそこで見えてるんだユーリ。入ってきなさい」


「……気付いていたのね」


「逆に気付かないと思っていたことに驚きだわ」


「むう」


 のそりと医務室に入ってきた絶世の美女。カルカモナ村で行動を共にした魔法を扱う星霊族の少女、ユーリ。確か、アラクネの元に向かう前に別れた以来の再会だが、かなり懐かしさを感じる。しかし、ここにユーリがいるということは、いよいよこの場所がどこか分からなくなる。


「おいおい、まさかここって……?」


 痛む全身を歯を食いしばって、、備え付けられている丸形の小窓から外を覗く。

 窓から覗く外の世界は地上では決して見ることのできない、果てしない空の海であった。雲海が緩やかに流れ、まるで銀の波が風にそよいでいるようだった。風の流れに沿ってゆっくりと動く雲の帯が、まるで巨大な蛇のようにうねりながら水平線の向こうへと続いている。

 陽の光は高い位置から斜めに降り注ぎ、雲海が下方を撫でるように動いているの見る限り、ここは空の上ということになる。


 記憶の端にあったユーリの言葉を思い出す。空賊、指名手配、反帝国派。ユーリの声で再生される言葉の数々はかなり物騒なものばかり。

 つまりここは――


無空の蛇ヨルムンガンドの飛空艇ってことか……」



    ~~~~~~~~~~~~~~



 船内のブリッジへと向かったレインは魔導水晶板とにらめっこするアックスを見つける。背面の外の景色を透かす魔導水晶版は次に向かう空路を映し出していた。その背中に言葉を投げかける。


「彼目覚めたわよ。五体満足、かすり傷もなし。姿は見る影もなし」


「……何者だ?あいつは」


「さあね。ユーリが言うにはらしいし、何よりから来たとも言ってる」


「気味が悪い奴だ」


 アックスは苛立ち気に煙草に火をつける。

 一ヶ月前に帝国の襲撃を受け、ユーリとアックスらは分断されてしまい、ユーリは単身カルカモナ村で身を潜めることになった。帝国の追跡を巻きつつ、ユーリからの信号でようやく合流することになった無空の蛇のメンバーであったが、思いがけない拾得物を得る。


 それはユーリがカルカモナ村で出会ったという、何の変哲もない男。何処にでもいそうな平凡な見た目にいかにも非力そうな体格。意識は失っていたが、服がボロボロなだけではまったくなかった。ユーリの話によると、カルカモナ村に巣食う魔獣相手に立ち向かった無謀者。どんな力量を持った奴かと思えば、蓋を開けば魔力がないだのこの世界の人間じゃないだと、意味の分からないことばかり。

 とりあえず怪我人ということでこのニーズヘッグ号に置いてはいるが、正直のところ追い出したいのがアックスの本心であった。


「俺らの目標は聖都イズペアで”案内人”と落ち合い、そしてギンヌンガ・ガップを目指す。その道中にフタバあいつは不要だ」


「非常な男ねぇ。怪我は治っているにしてもいきなり放り出すのは可哀そうよ」


「とにかく物資の補給もしないといけねぇ。あいつは次の街でお別れだ」


「……お嬢が納得するかしら?」


 レインは手すりに寄りかかりながらため息をつく。手元のフタバの詳細が書かれたカルテを再び眺める。何一つ特筆することのないフタバの基本情報であるが、引っかかるのはその魔力量。本来、人族は他の種族より魔力量は少ない傾向にあるが、のは異質すぎる。赤子でさえ微量ながらの魔力を備えているというのに。


「それに彼のは目を見張るものがあるわ。ユーリの言葉が真実ならね」

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