三日月の園

菜凪亥

第一章 翻弄

第1話 高校デビュー……?


 三日月涙は注目されるのが苦手な男子高校生である。


 しかし、天ノ橋高校の入学式の日に彼は早速目立っていた。最初は彼と同じ中学から入学した生徒が噂をし、次に入学試験の時に彼との学力を競っていた生徒が認識し、イケメンだと囃し立てる女子生徒たちが物陰から彼のことを見つめている。終いには教員たちも涙の中学時代の絵に書いたように優秀な活動歴を見て、頭のそばにハートマークを浮かべていた。


 当の本人はそのことに対して何一つ良い気分にならなかった。周りの人からすれば、自分は理想的な人間に見えているのだろうという自覚はある。けれど涙にとっては運動神経が普通である代わりに、学才を与えられただけという認識でいる。


 教室の廊下側から二列目の後ろから三番目の席で涙は一枚の紙と向き合っていた。紙の表題には『自己紹介カード』と書いてあり、自分の名前はもちろんのこと、出身中学や好物を答えるといった項目が続いていた。趣味の項目のところにだけシャーペンを押し付けたまま数分固まっている状態である。


「なぁ陽、趣味の欄なんて書いた?」


「俺は安定に『走ること』って書いた。何、書けてないのかよ」


 だってさぁ、という涙のことを笑っている少年――日比谷陽は涙の幼馴染である。


 彼も学校の勉強に関しては涙と張り合えるレベルにあり、彼もまたルックスの良さから男女問わず目をつけられている存在である。幼少期から様々なメジャースポーツを経験し、中学時代には陸上のトラック競技で全国入賞する体育会系でもある。陽は涙ほどの嫌悪はしていないが、影でコソコソと噂されていることに対しては涙と同じ境遇だ。


「無難なのでいいんだよ。『ロボット工学』って書かないならさ、『読書』とか、……『料理』って書いたら女子人気出ちゃうか?」


「真面目に考えてくれているのは嬉しいんだけど、揶揄っているようにも聞こえるからヤだな」


「すまんすまん。でもそんなに難しく考えなくてもいいと思うけどな。お前の場合は考えすぎると変な方向に飛躍するからさ」


 陽の助言もあって、涙は渋い顔をしながら枠の中に『音楽鑑賞(邦ロック)』と書いた。それを見ていた陽は「聴くの?」と訊ね、書いた本人は「テレビに出ないような人たちのしか聴いてない」と返した。


 概ね、三日月涙は世渡りが下手であり、陽が居ることでそれなりの人間に見えていることは陽だけが理解している。


***


 教室にスラッとしていて少し筋肉質の男性教師が入ってきて、生徒たちを元の席に座るように促す。すると、涙の一つ前の席が空席になった。そういえば今朝もこの席には誰も座らなかった。席順が出席番号順ではないため、この席に座る生徒のことが何もわからないまま半日が過ぎていた。


「体育館でも自己紹介しましたが改めて。一年八組を担任します、那須和人です。担当教科は保健体育、部活顧問は陸上部――先日もハーフマラソンを走ってました。『出来ることを驕らない、出来ないことにイジケない』。僕は皆さんが楽しく運動出来るように指導していきたいと思ってます。よろしくおねがいします」


 那須は生徒の表情を一通り見たあとで涙の前の空席を指摘した。手元の名簿を確認して「マーティン・リベリア君はいないんですか」と口を窄める。那須は小さく笑う。涙の後ろの席の女子生徒が那須の仕草に対して「かわいい」等とコソコソと笑っていた。


 那須は「じゃあ」と言い、生徒一人ひとりに自己紹介を促した。紙に書いた内容をベースに自由に話す。最初の生徒はテンプレート通りだったが、途中から自己流にアレンジしてトークする生徒がいたり、名前と「よろしくおねがいします」で終わらせる生徒もいた。


「日比谷陽です。華都第二中出身、好きな食べ物はアスパラの豚巻きフライです。中学までいろんなスポーツをやってきました。走ることが好きです。好きな教科は体育……って言いたいところですが、今は受験の時にめっちゃ勉強した化学が気に入ってます。――あぁ、入学式で前に立って喋るのめっちゃ緊張しました。一年間よろしくお願いします」


 陽の緊張感がまったくない挨拶に周囲から拍手が起きた。本人は当然のような素振りも見せず、涙にアイコンタクトを送る。


 数人の間の後に涙の順番が回ってきた。


 重い腰を上げて立ち上がったところで、教室のドアがけたたましい音を立てて一気に注目を集めた。涙は立ちすくんだままドアで垂れ下がっている金髪を視界から外さなかった。


 ゆっくりと息を整えた金髪が顔を上げた。九〇年代の若手映画スターのような顔立ちで空色の瞳、身長は180に届かないぐらいあるだろうか。


「遅れてすみません。マーティン・リベリアです」


「待ってたぞ。そこの空席に座りなさい」


 那須が指差した先をマーティンが追う。空席の後ろで立っている少年と目が合った。金髪少年が笑う。黒髪の少年も微笑んだ。


 マーティンが自分の席に着くと涙に「これなんの時間なの?」と訊ねた。涙は「セルフイントロダクションの時間だよ」と返した。


「三日月涙です。華都第二中学出身。好きな食べ物はコーヒーゼリーです。好きな教科は数学と音楽です。僕の好きなことは、……その、」


 涙は前を向くのをやめて、紙を見つめた。絞り出すようにして書いた『音楽鑑賞(邦ロック)』がどうしても言えなかった。初めて会った人たちに多少の嘘をついても問題はない。けれど、自分に対する嘘は拭えない。その狭間の葛藤だった。


「僕は邦ロックを聴くのが好きです。好きな人がいたら是非お話したいです。よろしくお願いします」


 涙は全身の力が抜けたように席に座った。前の席に座っている金髪がキラキラした目で拍手をしてくる。教室の静けさに負けた。否、目立ちすぎないという点を攻略したと思えば勝った気もした。冷静に分析できる余裕があるだけまだマシだと切り替えた。


 出席番号の最後がどうやらマーティンのようだった。


「何言えばイイんだろう。ボクの名前はマーティン・リベリアです。マーティって呼んでくれると嬉しいです。イギリスから来ました。半年前から留学してます。あと言えばいいことってなにかな。日本語は日本の小説を読んで勉強しました。日本料理は天ぷらが好きです! 玉ねぎの天ぷら、甘くてサクサクで――ふふっ、思い出したら食べたくなっちゃった。ミナサン、ヨロシクお願いします」


 マーティは場の空気を一気に掴んだ。天真爛漫でずっと楽しそうにしていた。教卓の那須も彼が遅刻してきたことを弄りながら次の話を始めた。


「配った資料は必ず保護者の人にも確認してもらって、サインをして持ってきてくれ」


「日本の学校もこういうのあるんだね」


 那須の説明を聞きながら、マーティが一回一回感心の言葉をこぼしていく。



 それが独り言ではなく、交流のためのトークであることに彼の後ろの席の少年が気づいたのは、クラス組織を決める時間になってからだった。


「ねぇ、クラスソシキってなに?」


「え……、あぁ学校の運営のためにクラスから代表を出す……って感じかな」


「へぇ。……あ! やっと返してくれた! ずっと聞こえてないって思ってたからさ〜。なんて名前だっけ」


「三日月涙です」


「じゃあルイって呼ぶね。――ルイはさ、なにかやるの?」


「いや、僕はいいかな。あんまりそういうの得意じゃないし」


 マーティは少しつまらなさそうな表情を浮かべて、涙の机に頬杖をついたまま黒板を振り返った。興味はアリそうだが、中身がわからない以上手を出さないのが彼の流儀のようだ。


 一方の涙は周りからの視線が痛かった。同じクラスに中学時代の素性を知っている人間が多く、シャボン玉のようにフワフワした状態で涙の情報が飛んでいたからだ。


 三日月涙は中学時代、副生徒会長をしていた事がある。しかしそのきっかけは向上心から湧いたものではなく、ただ暇を埋めたかったからという理由であった。中学時代に部活に所属しない代わりに一年生の頃から生徒会役員として活動していた。学外活動で多くのボランティアをこなし、学校行事の運営は計画的にこなし、彼に任せれば120%の成果で返ってくるという噂まで立った。一切隙のない完璧さが評価されるばかりで、涙は大変うんざりしていた。


 クラスの空気感がどんどんと硬直していくのを那須が食い止めた。自由に歩き回って交流してもいいから決めてくれと懇願した。その指示が下されて真っ先に席を立ったのは陽だった。


「よっ、入学初日から遅刻してくるなんてキャラ濃いな。日比谷陽だ」


「マーティって呼んで。ヨウって呼ぶね」


 二人は英国式の握手をして交流を開始した。


「陽はなにかするの?」


「俺は何もしないよ。頼まれたらやろうかなぁって感じ。涙もか?」


 涙は顔と手を横に振った。これは完全拒否の仕草であることは異国人のマーティにも伝わった。


「中学時代の二の舞だけは勘弁して」


「お互い、高校デビューなんて柄じゃないもんな」


「二人はずっと一緒なんだね。息ぴったりだ」


「まぁ、ちっちゃいときから友達だからな。涙は一人で居るとすーぐ自分の世界に入っちゃうから、俺が居ないとな」


「そういう陽こそ、一人で迷い始めたらすぐ僕のところに来るじゃないか。中三の合唱祭の君のパニクり様は一生忘れないからな」


 涙は頬を緩めた。涙が副会長だったときの会長は陽だった。この二人は昔からニコイチで、お互いの弱点を埋め合う仲なのである。


「迷ってたけど、今回は……な。やる気のある人間にやらせたほうが有意義だろ」


「ねぇ、二人とも、ボク風紀委員ってやつやってみたいんだけど、何をするんだろう」


 やる気のある人間が目の前に居たことに身を引いた二人が驚いていた。マーティは涙の手を掴んでブンブン振りながら幼子のように「ねぇ教えてよ〜」と困り果てた。


「マーティ、風紀委員は大変だよ。ねぇ陽」


「大変すぎる。下手すりゃ目の敵だ」


「メノカタキ……」

 煌めく星のようかと思えば萎れた花になった。その様子を目の当たりにしていた月と太陽は口パクで「どうする?」「やるの?」「でも枠MAX2つだけど?」――


「そっちじゃないよ! もうひとつ右の二枠だよ!」


 涙は思わず声を荒げたことに対して手のひらで額を叩いた。教室に居た全員に聞かれた以上は諦めるしかないと腹を括った。


「俺が委員長しようか」


「いいや、僕が委員長になるよ。サポートしてくれると嬉しいな」


 陽は親友の背中を撫でた。注目されるのは苦手だが、能力を活かさない自分の性格はもっと苦手だからだ。


 涙は教卓に向かい、白いチョークを手に持って『委員長:三日月涙』『副委員長:日比谷陽』『風紀委員(1):マーティン・リベリア』と力強い字で書き終えた。彼は満足げに書いたあとで自分の噂を他言していたクラスメイトたちに向けて空気中に溶け込む冷気のような声量で「これで良いんだろ」と吐き捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る