たぶん、きっと、転生したっぽい

あまくに みか

第1話 「監禁だ」

「やあ、天才くん」


 目隠しを外され、差し込んできた陽の光におれは目を細めた。


「会えてうれしいよ」


 窓際に立っていた少女が振り返る。逆光で顔はよく見えない。少女が一歩、また一歩と軽やかな音をたてて近づいてくる。窓からのぞいていた太陽が、ちょうど少女の頭部で隠れた時、おれは愕然とした。


 目の前に立っている少女が、この国の三大財閥の一つである、シェラード家の娘セリーナだったからだ。


「喜べ、少年。今この瞬間から、君はわたくしの秘書だ!」


 そう言い放って、高笑いするセリーナ。おれは情けなくも口をポカンと開けたまま、なんの因縁かわからない運命を激しく呪った。


 秘書。

 また秘書。

 この人生でも、秘書。






 たぶん、きっと、いや、確実に転生した。


 おれは前世の記憶を十七歳になった今でも、まるで地続きのようにはっきりと覚えている。

 星田玲央、二十八歳。独身。彼女なし。

 職業、秘書。


 死因は恐らく過労死だと思う。重たい体を引きずって帰宅した、何の変わりようもないあの日。何かを口にしてとりあえず腹を満たし、倒れるように布団に潜った。あの時のシーツの冷たさ。枕元に投げ出されたスマホの固い音。今でも全部鮮明に思い出せる。


 そして目が覚めたら、こちらの世界で「アキ」という名の少年としての人生が始まっていたのだ。


「おーい、天才くん?」

 セリーナの顔がすぐ目の前にあって、おれの意識は今に戻ってくる。

「あの」

 おれは決意を固めて、顔を上げた。


「秘書、イヤです」

「え?」

「秘書、ダメ、ゼッタイ」

「ど、どうして。お金いっぱいあげるよ?」

「健康はお金には変えられません」

「可愛いわたくしの秘書になれるのよ?」

「可愛いには……釣られません」

「愛らしいわたくしと、四六時中一緒にいられるのに?」

「グッ……。いえ、秘書にはトラウマが……」


 もう秘書などという、胃が痛くなるような仕事は断固としてやりたくない。

 いくら目の前のセリーナが可愛くてもだ。


「だいたい、おれはまだ十七歳です。社会を知りません。もっと優秀で秘書に適した人材がいるでしょう?」


「君がいいんだ!」


 突然セリーナが叫んだ。迫力におれは怯む。セリーナの瞳が熱をおびたように潤んでいた。


「だって、どいつもこいつも、みーんな同じなんだ」


 とても小さな声でセリーナはそうつぶやいた。大人びているようで拗ねた子どものような、印象に残る声色だった。


「セリーナさ——」


 おれはなぐさめようと、手を伸ばそうとした。その手をセリーナが思いっきりひっぱった。バランスを崩して前のめりになったおれの顔を、セリーナがつかむ。互いのおでこがぶっかった。


 どういう状況だ。


「君はとてつもない記憶力を持っていると言うじゃないか! 優秀だという君を信じて、あの手この手で誘拐してきたんじゃないか! 秘書になってくれないと困る!」


 とてつもない記憶力、というがおれは自分が天才だなんて一度も思ったことはない。秘書時代、いやでも身についた芸当というべきかもしれない。


 なぜなら秘書は、経営者周辺の人間関係から取引先の顔、役職名を全て記憶しておく必要があるからだ。その芸当を保持したまま転生してしまったのだ。周囲の大人たちからしたら、細かいことまで記憶している特異な子どもに見えたにちがいない。


「君がどうしても拒むと言うなら、仕方がない」


 セリーナがつかんでいたおれの顔を放す。腕を組んでおれをにらみつけた。


「監禁だ」

「はあ?」

「わたくしが君に一番して欲しいことがわかったら、解放してあげる」

「一番して欲しいこと?」

「君は天才なんだ、それくらいわかるだろう?」


 セリーナが鼻で笑う。なんだかちょっと腹がたってきた。


「秘書は主人の望むことをするのが仕事です。すぐに出ていってやりますよ、こんなとこ」


 おれの目とセリーナの目から見えない火花が散る。

 その時だった。


「我が婚約者!」

 セリーナの自室の扉が大きく開け放たれた。

「会いたかった!」


 ゆるくウェーブした金髪を揺らしながら侵入してきた人物は、三大財閥の一つである、ウェスト家のカペラだった。実物を見るのは初めてだったが、なんだか商社のデキる営業みたいな風貌の男だ。


「カペラ」

 セリーナは先ほどまでの険悪な様子と違って、かわいらしく小首をかしげてみせている。


「困った人」

 近づいてくるカペラからセリーナは腕を組んで、体ごとそっぽを向いた。


「勝手にいらっしゃるなんて、あんまりです。わたくしにも時間というものがありますのよ。秘書を通してくださらないと」


「秘書を通してもいつも忙しいの一点張り。だからこうして、秘書が変わるこの瞬間を待っていたのだよ」


 セリーナは眉をあげてカペラを見る。


「まあ、賢いのね!」


「新しい秘書が来る日ならば、セリーナの予定は白紙にちかいはず。そして、その予想は的中した。お茶でもいかがですか?」


「そうですね。せっかくこうしてお会いできたのですから」


 セリーナが手招きして、おれを側に呼び寄せた。

「もっと近くに」と小声でせかされること二回。彼女の息が頬にあたるくらいの距離まで近づいて、ようやくセリーナはおれに指示を出した。


「君がお茶をいれて。それから、給仕も君が。この意味がわかるね?」


 いや、わかるはずがない。三大財閥のことは頭に入っていても、セリーナという人物も、カペラという人物も実際会うのは初めてなのだから。


 おれの「わかりませんけれど」という表情に、セリーナは勝ち誇ったように鼻で笑った。


「たのんだよ、天・才・く・ん」


 そう囁くとセリーナはにこやかな笑顔を作り、カペラの腕をとって席につくようにすすめはじめた。


 おれはセリーナに試されている。


 ただ茶を出せば正解という訳ではなさそうだ。

 セリーナの自室を出て、おれは指示を反芻していた。


 ──君がお茶をいれて。それから、給仕も君が。


 なぜセリーナが「君」を二度繰り返して言ったのか。考えるべき点はそこだ。


 セリーナは自室に秘書のおれ以外、誰も入れて欲しくない。

 なぜ。

 婚約者のカペラと二人きりになりたいから? というか、セリーナとカペラが婚約という話は世間に公表されていない。カペラが「我が婚約者」と言わなければ知らなかった事実だ。

 なぜ。

 それに、セリーナは何度か「忙しい」という理由で面会を断っているようだった。

 なぜ。

 会いたくないから? それとも──。



「あの、すみません」


 おれはそばを通りかかった、侍女っぽい格好の女性に声をかける。


「ここに月光茶はありますか?」

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