第4話 ノンアル乾杯!
もう通わないと決めた制服に袖を通し、約束した場所へ向かう。これは決して学校への未練ではない。ただの世間への擬態だ。同年代の平日の夕方は、大方制服姿だろう。変に目立つより混ざり合ってしまった方が、視線を買うこともなく気楽であろうと考えた。
目的地に到着すると、すでに相手は来ているようで、駅の壁面に背中をもたれさせ、ぼーっと空を眺めている。
以前と同じセーラー服、髪飾り、リュック。少し違うのは、水色のジャージを着て、左手にビニール袋を持っていること。ジャージは彼女の体型よりも大きく袖がダボついている。蛍に限らず、女子はどうして大体が自分に見合ったサイズを着ていないのか。疑問だ。
「よっ」
「…………」
声を掛けるより先に蛍は僕を捉え、ビニール袋を持っていない方の手を軽く挙げて挨拶をした。
身体を捻って僕へと向き直ると、さっきまで見えていないかった右側の顔が、はっきりと全部見える。
――もうひとつ。以前と変わったものがあった。
「今日はちょっと冷えるね」
袖から少しだけ覗いた指先を擦り合わせながら、蛍は世間話を振ってくる。
そうだね、くらいの返事はできたはずだった。けれど、僕は彼女の顔にある、存在感のある『それ』に気を取られてしまい、声が出なかった。
「? どうしたの?」
「顔……」
声を絞り出し、伝えたいことを述べる。しかし僕の意図は伝わらず、――伝わっていたがわざと逸らされたのかもしれない――蛍は「いつもより可愛い?」といつものように冗談めかして笑う。
彼女にとって触れてほしくないことなのかもしれない。僕が関与しても何か変えられることはない。
だけど、彼女の身に起こったことを確かめずにはいられなかった。
「目の下……何かあった?」
――彼女の右目の下に、痛々しくガーゼが貼られていたのだ。
僕の指摘に対して蛍は「あー、これ」と特段何でもなさそうな声を上げて頬を触る。
「家族から心配されちゃって」
何でもないことのようにケラケラと笑いながら、直接的な言葉は使わないにせよ家族から受けた傷だと蛍は話した。
「それって――」
「お母さんがね、夜勤のある仕事なの。だから自分がいない夜の心配をしてGPSで行き先管理してたんだって。そしたら、この間の夜スマホの電源切ったせいでGPSも途絶えたらしくて。何かの事件に巻き込まれたんじゃないかって心配しちゃったみたいで」
僕の心配を制するように、蛍は事情を説明する。
電源を付けたら着信が山のように来ていたとか、だけど遠くに行ったことがバレるなら電源はオフにしていて正解だったかとか。普段と変わらない様子で――しかし僕の口を挟ませない勢いで――彼女は話を続けた。
特別な出来事ではない、これはただの『日常』だとでも言うように、彼女は語る。だからこそ、痛ましかった。
蛍にとっての日常に言葉を詰まらせていると、「楓くんは?」と何事もなかったかを確認される。僕にはそんなふうに干渉してくる家族はいない。だから問題なかったとだけ返すと
「そっか、それなら良かった」
蛍は本当に安心した顔を浮かべる。そして「男の子って親からバシバシやられてるイメージだったから安心したよ」とシャドーボクシングの真似をしながら笑った。右目の下にガーゼを貼ったままの顔で。
自分を心配するより、僕の心配をしている。それが間違っているような気がして、胸の奥がざわついた。
「そんなに黙って見つめられると恥ずかしいんだけど」
黙って蛍のことを見ているばかりの僕をからかうように発言すると両頬に手を添える。患部を隠すように。
「ごめん。……僕が誘いに乗らなければ」
こんなことにはならなかったのに。後悔をしても、たらればを口にしても、現状が変わることはない。それでも吐き出さずにはいられなかった。
「何で楓くんが謝るの? 私がしたいことに付き合ってくれただけじゃん」
しかしやっぱり僕の心配は届かない。何もなかったかのように笑顔で躱される。
それに、これもコミュニケーションでしょ、と患部を隠していた手を撫でるように動かした。
「……うちの親、愛が重いタイプでさ」
少し間を置くと、傷を優しく撫でるのをやめゆっくりと口を開く。あの時と同じ声色で。
「今まで、二人に分散されてた愛が」
そういい、蛍はそれぞれの手で丸を作る。そしてそれを中央へと引き寄せ、両手で一つの丸へと変形させる。
「一つになって、私に降り注ぐんだ」
作った丸を蛍はまるで宝物でも抱くみたいに見つめる。その表情は悲しげにも愛しげにも見えた。
そして数秒の沈黙の後、満足したように顔を上げいつもの様子へと戻った。
「だから私がいなくなるかもって心配になっちゃったんだと思う。私がわるいのは事実だしこうなっても仕方ないよ」
どんなに理由があったとしてもガーゼで覆わないといけないくらいの怪我を負わせるのは、本当に愛なのだろうか。
「……ちゃんと手当した?」
「手当?」
「前言われた。綺麗に治すために手当てをしたいって」
勇気のない僕が唯一踏み込めることはこれだった。
以前怪我をしたときに名前も顔も思い出せない同級生に保健室で言われた言葉。過去に言われた言葉を引用して伝えるのは、自分の感情でないようで薄っぺらい気がしたが、適切な言葉がこれしか見つからなかった。
「楓くんが言うと説得力あるね」
揶揄うように自身の口元をトントンと人差し指で叩く。指摘された口元を指で触るとざらざらとし、治りかけの瘡蓋の存在を思い出した。蛍と会った日に作った傷だ。
「ありがとう。でも初めてじゃないから。治療はバッチリだよ」
処置をしたことに安心しつつ、『初めてではない』という言葉にひっかかりを覚える。この歳になるまで何度も同じ出来事が起こってきたということだろうか。
「はい。この話はおしまい! 怖い顔もおしまい!」
ぱんっと手を叩き、話題を終わらせる合図をする。
「心配してくれるのは嬉しいけど、楓くんが心配しても傷は治らないし、私の親は変わらない。だから、いつも通りの楓くんがいい」
「…………」
蛍の言葉を飲み込めずに返事ができずにいるが、彼女は次の流れへ変えていく。
「ということで、今日の本題!」
そう言うと蛍は腕を上げ、手首に引っかけたビニール袋を見せつけるように揺らす。透けたビニールから五百ミリリットルの缶が二本見えた。
「これ飲も?」
パステルカラーに瑞々しく描かれたフルーツ。そしてシュワシュワと炭酸を強調するように注がれたグラスの絵。普段飲むようなジュースでは目にすることが少ないようなおしゃれなパッケージであった。
「……お酒?」
「惜しい」
袋から缶を取り出し僕の方へと缶を差し出す。缶を持つ手の人差し指で数字を指し
「ノンアル」
と得意顔で言った。
* * *
待ち合わせ場所から少し移動したところにある大きな公園へ移動した後、僕たちは広場の片隅にある石製のベンチに腰を掛けた。
平日の夜に公園を利用する人は少なく、またしても貸切状態だった。
「この間は本当にありがとうございました。これ、その時のお金ね」
「……本当に返ってきた」
「私を何だと思ってるの」
ベンチへと座り、まず渡されたのはこの間の帰りの交通費だった。丁寧に茶封筒へと入れられたお金を中身は特に見ずにリュックの中へとしまう。
「それで今日の本題!」
先ほど袋に戻した缶を再び取り出す。今度は二本。
パッケージの違う缶をそれぞれの手で持ち上げ、顔の横に並べた。
「ブドウとイチゴ、どっちがいい?」
どちらでも、と選択を放棄しようとしたところで「どっちでもいいは無しだからね」と釘を刺される。本当にどちらでも良かったが、仕方がないので目に付いた方を選ぶ。
「イチゴ」
「やった、私ブドウが良かったんだ」
それなら最初から僕の意見を聞かずに選べば良かったのに、と思いながらも缶を受け取る。外の気温よりもひんやりとしていた。
「ずっと気になってたんだよね。お酒って大人の生きる源みたいじゃん? それでなんとなく、ダメもとでセルフレジ通してみたらいけてさー」
蛍の話を聞きながら缶のプルタブを上げる。プシュッと炭酸飲料でよく聞く音が放たれ、飲み口に微かな水滴が飛んだ。蛍も缶を開けようとするが得意ではないのか、人差し指を曲げては不満そうな顔を浮かべていた。
僕が開けるよとブドウのイラストが描かれた缶を受け取ると、再び爽やかな音を立てた。
「かんぱーい!」
蛍が明るい声で大袈裟に缶を持ち上げ絵に描いたような乾杯のポーズをする。僕
もその意図には乗っかり控えめに缶を上げた。二人同じタイミングで口を付けると、気持ちがいいくらいに静かになり、ごくごくと飲み物を嚥下する音だけが聞こえてくる。
ノンアルコールとはいえ、味はお酒に寄せているとよく聞く。どんな味かと身構えていたが、想像よりも飲みやすく美味しい炭酸飲料だった。それは蛍も同じ感想だったようで「普通にジュース?」と首を傾げていた。
「ちょっと苦みがある炭酸って感じだよね? 苦くない方が美味しいかも」
「苦みがアルコールの味なんじゃないの? 無くしたらそれはただのジュース」
「あはは、本当だ。私、子供舌なのかも」
「蛍にはまだ早かったかもね」
「あと三年したら美味しく感じるのかな? 味覚変わるとは思えないんだけど」
「蛍はずっとこのままな気がする」
「若々しくてずっと…………あー……、いいや。恥ずかし」
また今回も自惚れたことを言うと思いきや言葉を途中で止める。調子の良い性格からの発言なのだと思っていたが、学校で周囲に溶け込むための演出だったのだろうか。実は思っているよりも、数センチ大人なのかもしれない。
微細な変化を見せる蛍に興味が沸く。
「ねぇねぇ制服でノンアルってさ、遠くから見たら飲酒してるように見えちゃうかな?」
変わっていくかと思いきや、わるい顔をしてくだらない質問を僕へと投げかけてきた。実際は数センチ程度の背伸びだったのかもしれない。
「見えるかもね。通報されるかもしれない」
「ノンアルなのに。騙されちゃうんだ」
「もし通報を受けた警察に話しかけられたら?」
「「逃げよう」」
予想していた言葉を口にすると蛍の声と重なった。
くだらないことなのに、その面白さに堪えきれず声を出して笑うと「何で笑うのー」と楽しそうな顔をして蛍も笑う。予想通りにことが進んだのに対して面白さを感じたと伝えると
「楓くんってノンアルでも酔っぱらっちゃうタイプ?」
なんて見当違いなことを言ってきた。
「どこが。態度も喋り方も正常と変わらないけど」
「だって笑ってるもん。この間なんてずーーーっとこんな顔してた」
再現をするように眉間の辺りをそれぞれの手で吊り上げつつ、口角を下げ仏頂面を作り上げる。それは少し大げさだ。
「別に。僕は笑っちゃいけないの?」
「笑っちゃいけないことはないけどー。普通に笑えるんだって思って」
「普通に笑える。いつもつまらないだけ」
「ふーん」
「にやにやして何」
飲み物へもう一口、口を付ける。やっぱりただのイチゴソーダで、酔いを誘う要素なんて一つもない。
「これは大人になったら本当に酔っぱらわないのか、確認しないとだね」
本物のお酒を飲んだときにどうなっちゃうのか、と。
「……大人になったら僕のことなんて忘れてるよ」
今日は帰りの電車賃を返すという名目で約束をしたが、きっと次の約束はないだろう。蛍との接点はこれだけで、僕と会う用事なんて他にはない。
しかし彼女はきょとんとした顔で僕の予想を裏切る発言をした。
「会うよ。来週も一か月後も、来年も」
「来週も?」
「うん、楓くんとは週一で会う。毎週会うのを積み重ねていけば、気づいたら二十歳。よって忘れません」
「……何で、僕なんかと」
「楓くんと一緒にいるのは楽しいから!」
笑顔でそういうと、持っていた缶を僕へとぶつけ再び乾杯をする。
「楓くんは私のお気に入りなの。簡単には離さないよ」
「……そう」
なんと返せば良いか分からず、乾杯された缶に再び口を付ける。外は涼しい気温のにノンアルサワーはもうぬるくなっていた。
「友達にもそういうこと言えばいいじゃん」
「言いたいよー。でも言えない。ずっと仲良くしたいって思ってるのは私だけかもしれないし」
「嬉しいと思うけど。こういうのって言葉にしないと伝わらないんじゃないの」
「……楓くんは嬉しい?」
両手でブドウサワーの缶を包み、上目遣いで僕を見る。
指先をきゅっと缶へ押しつけ、カランカランと軽い金属の音を響かせた。
「私と何年もいれる確約があって」
「しら……」
答えにくい質問のときは返事を誤魔化すと決めているため、いつもの躱す返事を口に出そうとする。
しかし数分前の自分の言葉が反芻し口は止まった。彼女が友人へもう一歩踏み込んでも良いものかと考えてる蛍に対し、僕が「知らない」と返事をしたら、蛍はまた一人で悩み窮屈な日々を送ることになる。
自分の首を絞めるというのはこういう状況のことを言うのか。
……いや、蛍が学校でどう過ごそうと僕には関係ないが。が――。
「わ、わる……悪くは、ないと……思い、マス」
正直に伝える自分は気持ち悪くてカタコトになってしまう。そしてそんなカタコトで喋る自分もさらに気持ち悪い。
「…………! いっぱい一緒にいようね」
思ったように話は進まなかった。友人との距離感を改善する気持ちになったかは分からない。
でもまぁ、笑顔な蛍が見れたから成果があったから、醜態を曝した甲斐はあったのかもしれない。
「あ、来週の予定立てよ。私、楓くんと行きたいところがあって」
「別にどこでもいいよ」
「映画、イルミネーション、ケーキバイキング、犬カフェ!」
「言った順に行こう」
「……あんまり惹かれる場所なかった?」
本当に誘ってくれたことに頭がいっぱいになり、肝心の返事が雑になっていた。
ひとつ前の会話を思い出し、話を広げる。
「映画、何が見たい?」
「ミステリー!」
「恋愛とかじゃないんだ」
てっきり彼女は恋愛とか学園ものとか青春系を好むと思っていた。
「付き合ってない男女で恋愛ものを見るのはしんどいよ。それに私、先が読めない話が一番好き」
「へー……、意外」
「頭良さそう? 頭良いからね」
蛍の発言をスルーしながらも彼女の親の夜勤のスケジュールを確認して、来週会う日程を決める。
蛍には門限とかあるのだろうか。今日は早めに帰そう。もう彼女が傷つかないように。
「映画の候補は連絡するね」
「うん。待ってる」
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