たくじん
鋏池穏美
一、
──ねぇ、たくじんって知ってる?
・・・
──ピンポーン。
──ピンポーン。
──ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。
──ピンポーン。
「開けて」
馬鹿みたいなインターホンの連打の後で、
「開けて、開けてよ」
扉が、叩かれ始めた。頭を抱えて聞こえない振りをしても、ドンドンと扉を叩く音が振動とともに鼓膜を揺らす。
「ねぇいるんでしょ? いるんでしょ、
ドンッ! と、ひときわ大きい音が響いた。それに続いてガチャガチャと鍵を差し込んで回そうとする音。鍵を、開けようとしている。もちろん合鍵なんて渡していないし、なんで紗々音が、鍵を。
急いでドアチェーンをかけ、再び頭を抱える。
警察にも相談した。相談して数日後、
もちろん紗々音と付き合ったつもりなんてない。旅先で出会った紗々音と、滞在中に何度かセックスしただけだ。あれで本気になるか? ただお互いに非日常を楽しんだだけじゃなかったのか? そもそも住所なんて教えていない。紗々音のストーカー行為が始まってから、二度、引っ越した。なんで、なんで、この住所が?
「やっぱりいた、悠人だ」
ドアチェーンのせいで少ししか開かない扉の隙間から、紗々音の顔が覗く。いつもの血色感のない人形のようなメイク。地雷系、と呼ぶんだったか、泣き腫らしたような赤い目元が、じっとこちらを見ている。造作は整っている。一般的に誰が見ても可愛いと思える顔で、抜群にスタイルもいい。だから抱いた。滞在中に、隅から隅まで堪能させてもらった。その際、リストカットの跡などはなかったはず。地雷系メイクやファッションなだけで、本当の「地雷」だったなんて思いもしない。
紗々音と出会ったのは、青森県下北半島の西部。奇異な形態の断崖や巨岩が連なる景勝地、
神ヶ浦村を訪ねたのは、友人の
旅先でする一期一会のセックスはやめられない。あれほど燃えるものはない、と言い切れるほどに燃える。それでまんまと神ヶ浦村を訪れ、紗々音に出会った。
「入れて」
紗々音がドアチェーンを掴み、ガチャガチャと揺らす。紗々音の指先のネイル、デフォルメされたおそらく僕の顔であろうキャラと目が合う。
「ごめ、ごめん。ちょっと今日用事があっ──」
僕の言葉を最後まで聞かず、「嘘だ」という紗々音の声が響いた。それと同時、扉の隙間からごついペンチのようなものが姿を現す。あれで、ドアチェーンを切る気だ。
「ちゃんと聞いてたから。今日はなんにも予定ないから、家でごろごろするって。お父さん、悠人をよろしく頼むって」
昨夜の電話での父さんとの会話だ。いや、それより紗々音は、父さんと会ったのか? 電話中、隣にでもいたのか? いやいや、もしかすれば盗聴、か? だけど今、紗々音が父さんに「よろしく頼む」って言われたって……。
「開いた」
困惑している間にドアチェーンが切断され、紗々音が玄関の中に。パーカーワンピースと言うのだろうか、フードにウサギの耳が付いたもので、陶器のような脚がすらりとさらけ出されている。髪は後ろで一本に縛ったポニーテールで、毛先がふわふわに巻かれている。
「なんで、嘘吐いたの?」
「い、いや……」
言い淀んでいると、紗々音に抱きつかれた。甘い、甘い香水の香りに、頭の奥が痺れる。
「こっち」
手を引かれるがままリビングまで向かい、気付けば紗々音とソファに座っていた。紗々音の柔らかい唇と舌が、首筋を舐る。
「き、昨日、僕の父さんと一緒、に?」
「うん。お父さんに挨拶してなかったから」
「父さん、電話ではそんなこと言ってなかったけど……」
「サプライズ、したかったの」
「へ、へぇ」
「お父さんに、よろしく頼まれちゃった」
「へ、へぇ」
「じゃあ、するね」
紗々音が僕のズボンのベルトに手をかけ、かちゃかちゃと外していく。
「す、するって、何を?」
「今日生理だから、口でするの」
「い、いいって! 僕は大丈夫だから!」
「大丈夫なの? それならいいけど」
言いながら紗々音が立ち上がり、パーカーワンピースの裾から手を突っ込み、もぞもぞと動かす。
「なに、してるんだ?」
「パンツ、脱ぐの。大丈夫なんでしょ? 生理でも」
「い、いや! そういう意味じゃないって!」
「そういえば、村から悠人が帰る日も生理だったね。忘れてた忘れてた。悠人が生理とか気にしないって、忘れてたよ。えへへ」
「だから違うって! 話を聞けよ!」
紗々音の肩を強く掴んで叫ぶと、どこかから「ほぅ──」と、不気味な声がした。室内、から聞こえたような気がする。かといって紗々音の声では絶対にない。
「今の声、紗々音も聞いたよな? どっかから女の声が──」
「声? ここにはわたしと悠人しかいないよ? それより、しよ? ね、しよ?」
「だからやめろって!」
話の通じない紗々音にイラついて、つい、強く押してしまった。倒れた紗々音が、目に涙を湛えて僕を見上げる。倒れて投げ出された肉感的な脚と、蠱惑的で縋るような顔。
「ごめ、ごめんなさい。おこ、怒らないでよ悠人」
ああくそ、相変わらず顔も体も抜群にいいんだよな。ストーカーされるのは気味が悪いけど、最後に抱いとくか? いやいや、ダメだダメだ。なんとなく惜しい気もしてはっきり言わなかったのがよくないんだ。ちゃんと、ちゃんとストーカーするなって言わないと。いや、でも最後に一発くらい──
「あの、あのね」
先に紗々音が口を開いた。
「悠人、溜まってると他の女の人にちょっかいかけるから、心配で。み、三日前も」
「三日、前……?」
「遊びだよね? 悠人、あんな女より紗々音の方が好きだよね? ね? わたしが遠くにいるから、あんな女で発散しちゃってたんだよね? そうだよね? ね?」
「なんで、なんで知って、るんだ?」
三日前なら
「あの女もただのセフレだからって言ってた。でも、でも、悠人には、わたし以外の女の人、触らないで、ほしい。わたしだけ、触って?」
莉緒に会ったの、か? そういえば、三日前から莉緒にいくらメッセージを送っても返事がない。既読は付くから見てはいると思うが、もしかすれば紗々音に脅されでもして──
「そ、そうだ紗々音。喉、乾いてないか?」
「ううん」
「そ、そうか。でもちょっと喉乾いちゃって、下の自販機で飲み物買ってきてもいい?」
「うん。じゃあ行こっか」
「ああいや、紗々音は部屋にいていいよ」
「やだ。一緒に行く」
「す、すぐに戻ってくるから。そ、それに紗々音、生理でちょっと辛いだろ? ベッドで横になってていいから、待ってて」
「やだ。一緒に行く」
「ま、待っててくれたら、戻ってからキス、するよ」
「やだ。するなら今して」
ダメだ。話が通じない。外で莉緒に電話でもしようと思ったけど──
「ごめ、ごめん。ちょっとトイレ、行ってくる」
「キスは?」
「う、うん」
紗々音に唇を重ねる。柔らかくて、甘くて。こんな地雷なんかじゃなければ、最高に具合のいい女なのにと思ってしまう。
「ほぅ──」
またどこかから女性の声がした。まるで何かに遮られているような、くぐもった声。さっきも思ったが、近い気がする。確実に、室内だ。
「飲んだげよっか?」
「な、なにを?」
「おしっこ。悠人の全部が好きなの。全部がほしいの。悠人のだったら飲みたい。食べたい。ほんとはね、悠人も食べちゃいたいの。でも食べたらいなくなっちゃうし、我慢してるの。爪、爪ならいいかな? 爪、伸びるもんね? ちょうだい、悠人の爪。先、先っぽでいいから。ほ、ほら、これ見て」
紗々音が大きなバッグからゴソゴソと袋を取り出し、僕の目の前へ。髪の毛、が入っている。
「これ、悠人の髪。この前、髪、切ったでしょ? 悠人の髪、分かるから、ゴミ袋から、取ってきたの。ゴミ、じゃ、ないのに。ゴミじゃないのに!」
ダンッ! と、紗々音が床を踏みつけた。頭、が、おかしいとしか言えない。ちょっとこれは異常、だ。これまでは面倒くさくてすぐに抱いていたが、もしかすれば抱かなかったから怒ったのか? それとも二度も逃げるように引っ越したから怒ってるのか? とにかく、下手に刺激しない方がいい気がする。
「こ、これ」
爪の先を切り、紗々音に渡す。もう一つと言われたので切って渡すと、一つは袋に入れ、一つは嬉しそうに口に含んだ。狂気的な紗々音の行動に、ぞわぞわと肌が粟立つ。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる」
「うん。分かった」
爪で満足したのか、紗々音が爪を入れた袋を眺めながら答えた。とにかくこの隙に──と、廊下に出て玄関に向かう。だが、開かない。びくともしない。焦ってドアノブをガチャガチャ回していると、リビングから「トイレそっちじゃないよー。玄関は開かないよー」と、紗々音の声が。
どういう、ことだろうか。紗々音が玄関を開けられないように? どうやって? 家に入ってくる際、紗々音が玄関に何か細工をしたような様子はなかった。その後はずっと僕と一緒にいた。わけが分からず困惑していると、「トイレ、嘘なのー? また、嘘吐くのー?」と、紗々音の声。
ひっ、と声を漏らしてしまう。とにかく、とにかく刺激しないようにしなければと、「玄関、鍵かけ忘れたかと思ってー。ト、トイレ行ってくるー」と大声でリビングの紗々音に伝えた。声が、震え、足も、震えてしまう。
「どうなってるんだよ……」
逃げ込んだトイレの中で、思わず呟いてしまう。これは警察にでも電話して、不法侵入で紗々音を逮捕してもらうか? いやいや、もし仮に痴話喧嘩──的な判断をされたとして、その後はどうする? さっきの紗々音の雰囲気、下手に刺激すれば僕は殺されるんじゃないか? いやいやでも、こんなのもう警察に──
そう思ったところで、もしかすれば莉緒は紗々音に殺されたんじゃ──と、嫌な考えが浮かぶ。紗々音のあの雰囲気なら、やりかねない。とりあえず、とりあえず莉緒の安否確認だけでもと、電話をかけた。かけた瞬間、いやいや先に警察だろ、と自分に突っ込んだが──
リビングから、莉緒の設定していた着信音が聞こえた。なんで、なんでリビングから。
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