第29話 また金回りの良い男を探さなくっちゃ!

「無理しちゃ駄目よ、ね」

閉店後の「アフター」で入った小さな酒場で茉莉は男を説得した。男は、近隣に出来た大手スーパーやコンビニに押されて、店を畳むことになった食品スーパーの若い社長だった。

「そりゃ、あなたに逢えなくなるのは辛いけど・・・」

俯いてそう言った茉莉の目から涙が零れ落ちた。上手い具合にほろりと落ちた涙だった。勘どころで涙を零すなど造作も無いことだった、手馴れたものだった。

「あれこれ算段して苦労して集めたお金を使ってまで、来てくれなくて良いの。そんなあなたを見るのはとても辛いし、奥さんや子供さんにも申し訳ないわ」

それとなく家庭のことを思い出させようとしたが、それは上手く通じなかったようで、男は暗い目で茉莉をじっと見た。

「俺は真剣だった、遊びじゃなかったよ」

「勿論、私も、よ。唯の遊びなんかじゃなかった。お客とキャバ嬢の仲でも、あっ、この人だ!って思うことはあるのよ。あなたと初めて逢った時、胸がどきどきしたのを今でも覚えているわ」

「・・・・・」

「だから、あなたのことは大事にしたいの。仕事も家庭も捨てさせるような野暮なことはしたくないの」

「・・・・・」

「また盛り返してお金が出来たら来て頂戴、ね。私は待っているから」

「お前、俺に金が無くなったんで、態よく追っ払う心算じゃないのか?」

懐が寒くなった男は疑い深く言った。

「何を馬鹿なことを言っているのよ!」

茉莉は鋭く言い返した後で、男の手をそっと握った。

こんな愁嘆場は何度も踏んでいる、訳も無いことだった。

 男と別れた後、茉莉は、上手く切れてくれると良いが、と思った。

金の無くなった男には、もう興味は無かった。そのことを解からずに帰って行った男の後姿が煩わしかった。男が初めて茉莉の前に姿を現した時には、男の店は繁盛していて覇振りが良かった。茉莉がその金を貢がせつぎ込ませて吸い上げた。もう用の無い男だった。が、用の無い男でも別れ際が大事だった。金を使い果たして愛想尽かしを喰った男が逆上して刃物沙汰になったりしては面倒だった。後腐れ無くけりを付ける必要があった。

 また金回りの良い男を探さなくっちゃ!

この世界では、多少の無理を言っても気前良く金をつぎ込んでくれる馴染客を掴まえることが大事なのだ。やっと工面した二万や三万の金を持って駆け込んでくる男達は、客とは言えない。金を持たない男には興味が無かった。惚れた、はれたということには、茉莉はもう気を惹かれなかった。

 

 数日後茉莉は、店で手洗いに立った洗面所の入口で、三十代半ばの長身の男に出くわした。

「あらっ、部長さん、こんばんわ」

茉莉は艶っぽい声で挨拶すると、男の眼をじっと見たまま、全身で精一杯の姿を作った。

男は、やあぁ、という顔付きで少し恥にかんだが、その眼は暫し茉莉を凝視していた。

洗面所に入りながら、茉莉は声を立てずに笑った。ちょっとからかっただけなのに、可愛いじゃないの、あの人、と思った。男は大手上場企業の役員で創業者の孫だった。今は未だ部長クラスだが、その内に常務、副社長と上がって行って、いずれ将来は社長の椅子に座るだろう。接待でしょっちゅう店にやって来て、茉莉も二、三度その席に着いたことがあった。

 ところが茉莉が洗面所から出て来ると、入口で同輩の明美が待っていた。明美は二十三歳で、胸が大きく腰の括れた素晴しい肉体を持った今が旬のキャバ嬢だった。

「ちょっと、あんた」

明美はいきなり喧嘩腰だった。

「妙な真似はしないでよ」

「何のこと?」

茉莉はしらばっくれた。

「ちっ、解かっているくせに。他人の大事な客に色眼を使って、ちょっかいなんか出さないでよ。まったく油断も隙も有りゃしない」

「私はちょっと挨拶しただけよ、そんなこと、別にわたしの勝手でしょ」

茉莉は嘯いた。新米の若いキャバ嬢の物言いに腹が立った。

「そんなに大事なお客なら首に縄つけて引っ張っとくと良いよ!」

「何だって、この泥棒猫が!」

明美がいきなり掴み掛かって来た。

腕を掴んだ明美の手を外すと、茉莉は思いっ切り明美の頬をひっぱ叩いた。

「こらっ、お前たち其処で何やっているんだ!」

黒服が慌てて此方へやって来た。

 

 翌日、客の乗ったタクシーを見送った茉莉が店の方へ踵を返すと、丁度、昨日の部長が車から降りて店へやって来るところだった。雨がしとしと降り続いている。茉莉は直ぐに男に傘を差しかけた。

「やあ、君か、有難う」

「丁度良かったわ。部長さんと相合傘だなんて、わたし幸せだわ」

茉莉は濡れないように出来るだけ身体を寄せて歩いた。男が身体を少し固くするのが解った。

歩きながら茉莉が訊ねた。

「でも、今日は明美ちゃんは非番よ」

「ああ、解かってる。今日は君に会いに来たんだ、宜しく」

「まあ、わたしに?とっても嬉しい、有難う」

 店に入った二人は奥の小さなボックスに横に並んで腰掛けた。其処はキャバ嬢たちがデートボックスと呼んでいる二人用の仄暗い席だった。

茉莉は素知らぬ振りで身体をくっつけて座った。

酒とドリンクと摘みが運ばれて来て、二人だけの時間が流れ出した。

が、男はそれほど擦れてはいなかった。手さえ握ろうとしない。初心な男だ、と茉莉は思った。

茉莉はぴったりと身体を寄せると、男の手を掴んで自分の胸の上に宛がった。

「部長さんと注しで気分良く飲んだものだから、ほら、こんなに酔っ払って胸がドキドキしているわ」

男の手は茉莉の胸の上で、一度ぴくりと引っ込められそうになったが、やがて恐る恐る乳房を掴んで来た。するままにさせながら茉莉は黙って男の眼をじっと覗き込んだ。男も眼を逸らさずに茉莉の眼を凝視した。乳房を握る手に力が籠もった。茉莉には自信があった。もう半分手に入れたようなものだった。金に不自由しない新しい男が手に入るのだ。

茉莉は甘え声で囁いた。

「明美ちゃんには内緒よ、ね」

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