南天家の顛末
遠影此方
第1話 前編
南天カナコが帰ってくる。
そのニュースを知ったのは高校のサッカー部の部活が昼に終わった帰り道、なんとなくで開いた携帯電話のメール欄にそう記してあった。
件名は一大事であることを隠そうとしているのか、それでも無遠慮に
「今日、帰ってきます。」
とだけ書かれていて本文はというとカナコがいる高校の授業が休校になったことでなくなったことと、深い事情は伏されていたがとにかく「街」の方からも恩赦が出て数日間だけ実家の方に帰ってよいということになったのだだという。
「相変わらず唐突な奴。」
感想はそんな物だった。帰ってくることが嬉しいとか、これまで居なくてせいせいしていたのにとか思い浮かんだことは言葉にはならなかった。ただ面倒ごとにならなければいいなとは思った。一度追放された人間が戻ってくることは異例だ。
「街」から「恩赦」が与えられた?
何を都合のいいことを言っているのか。カナコが輸送された「街」に敷かれているルールは絶対のはずでそこには虫一匹通り抜けられる穴はない。そういう了解の元に俺は、そして母も含めた南天家の人間は南天カナコを「街」送りにすることにしたんじゃなかったのか。いや、おばあちゃんだけは反対していたっけ。あの「街」はどこかきな臭い。いつかの滅びの匂いがする、とよくわからないことを言っていた。
「結局反対意見は押し流されるように封殺された。多数決こそ正義。うんうん。」
俺の家、つまり南天家は木造平屋建てだ。今時は都会では鉄筋コンクリート造りも珍しくはなくなったが、比較的田舎な我が地方では広い敷地を利用した建築が多い。我が家もその例に漏れないのだった。
「ただいま。」
玄関の引き戸を開いて、俺はそう声にした。特に誰かに向けて放った言葉ではない。誰かが戸の近くにいるという確信もなかった。強いて言うならこの言葉は自分に向けて放ったのだろう。帰宅を終えた自分から、家に帰ってきた自分へとシフトするための呪文のようなもの。カナコは「ルールだから」とその言葉を唱えるが、俺にとっては一つの信仰のようなものだった。それが無くては家に居てはいけないような、そんな恐怖を振り払うためのまじない。誰が了承しようとしまいと関係がないのはわかっている。
「お帰り。」
そんな言葉が返ってきたのは予想外というものだった。それは廊下を隔ててさらに向こうの磨りガラスの戸の先から放たれていて、その声から母親のものだとわかる。普段なら何も言わないはずなのに。そう思いつつも安堵している自分を確認する。もし返ってきた声がカナコのそれだったら、どうしようかという恐れがあったのだ。
俺は靴を脱ぎ、玄関に上がる。そこで磨りガラスの戸の向こうに母親ともう一人の人影があることを知る。まさか、もう来ているのか。
再会という出来事には必ず心構えが要る。持論だが、俺はそういうものがないと再会は出来ない性分なのだ。磨りガラスの向こうの影が動く。俺は心構えを早々に決めなくてはならなかった。
向こうが声をかけるよりも早く、俺は磨りガラスの戸に手を掛け、戸を開ける。
「あ。ケンイチ、久しぶり。」
数年振りに会ったカナコの姿は高校生のそれよりもより大人びて見えたが、まだ大人というには幼い印象を受けた。こちらに向けた笑みがぎこちない。まるでロボットが人間を真似て作った笑みのようで、表情筋を無理に動かして作ったような印象を受ける。
その感情には無理はない、と思う。彼女は今彼女を「ノケモノ」にして「街」へと追放した張本人と会っているのだから、敵意を向けてもいい相手のはずだ。数年前の彼女ならそうしただろう。だが今は笑みを浮かべている。なんとか和解しようという努力が見える。カナコは変わったということなのだろうか。
「カナコ。なんでお前がここにいるんだ。『街』は絶対じゃなかったのか。」
口をついて出た言葉は当然といえば当然の疑問だった。爪弾き者がどうして元の場所に戻っている?
その疑問に答えたのはカナコではなかった。カナコ自身も「その話をすると長くなるんだけどね」と前置きをして弁明しようとしていたが、母親の声がそれを遮ったのだ。
「『街』は変わった。そういうことね、カナコ。」
「そう。そういうこと。」
カナコは母親の声に賛同した。どうやらカナコは母親にすでに説明らしきものを済ませていたらしく、母親もその話を受け入れていたようだった。あの日、カナコを『街』に送るという選択をした時は、厳格にそれを実行していた母親とは思えない豹変振りで、俺は面食らった。
「いや、どういうことだよ。『街』のルールは絶対で、子供から大人への更生を厳格に実行する、そういう触れ込みだったはずじゃないか。母さんも母さんだ。一度よそ者になったカナコをどうして家に上げたんだ。二度と会わない、そういうことじゃなかったのか。」
母親は食器の洗い物をしていた手を止め、こちらの方へ向き直る。
「ケンイチ。見ての通りカナコはまだ半人前だ。それでも『街』はカナコを家へ帰すという選択をした。『街』の選択が何を意味しているのかはわからないが、選択がされた以上は我々は従うしかない。」
わかってくれるね、そう母親は念押しした。その二言目を封殺するような言葉の物言いは俺の次の言葉を出さなくさせるのには十分だった。
二度と会えない、会わないと思っていたのに。数年前にした覚悟がまるで呪いのように俺を蝕んでいるのを感じる。
俺は「自分の部屋に行く」と言い残すと、振り返り、母親とカナコがいる居間を後にしようとする。
「ケンイチ。」
カナコはまだ何か言うことがあるのか、俺に向けて声をかけたが、俺はそれには取り合わずに磨りガラスの戸を閉めるのだった。
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