第31話 「千鶴ちゃんは強いね」

 りゆ先輩は続ける。

 「でも、向坂さきさか小森こもりは引き戻されなかった。なんかへんな表現だけどさ。あいつら、その「引き戻される現実」っていうのを最初から知らないんだからさ。ドラムメジャーはバトンを適当に振って適当に歩いていればいい、カラーガードはポンポンを適当に振って適当に歩いていればいい。それがやつらの現実なんだから。でも、わたしは知ってた。それで、あいつらはわたしを臆病者扱い。わたしだけじゃなくて、「マーチングバンドってこういうもの」って少しでも知ってるメンバーと、最初から知らないメンバーで、すぐにみんな心は離れていって。そして、そのバラバラになっていくみんなの不安を食い物にして、グンズが次の部長の座を狙った。ひどいやつだよ」

 否定はしないけど。

 たしかにひどいやつだ。

 でも、まちにはまち子で、やりたいことがあったのだ。

 そして、それは、もうできない。

 小さい体で大きいフラッグを自在に操るにはバランスをコントロールしなければいけない。それはカラーガードなんかやったことのない千鶴にもわかる。

 そのバランスをコントロールする力が、もう、まち子には、ない。

 体には備わっているのかも知れないが、まち子の気もちが、その体の柔軟さを抑えこんでしまっている。

 ところで。

 「グンズが次の部長の座を狙った」のが「ひどい」のなら。

 りゆ先輩は。

 「じゃ、次は大鹿おおが部長でいいんですね?」

 当然、そういう結論になるはずだ。

 「あ、そうそう。忘れるところだった」

 何その反応?

 「千鶴ちゃんがメッセージくれないんで、大鹿ちゃん、イライラしてたよ。大鹿ちゃんがキレる前にメッセージ送っといて」

 なんだそれは?

 早智枝さちえは「キレる」というタイプではないと思う。ただずっと不機嫌なだけだ。

 いや。その前に。

 何そのうきうきした声……?

 でも、昨日よりは、千鶴は先輩に率直になれた。

 「ま、いいですけど」

 言う。

 「でも、早智枝がわたしに副部長を、っていうのなら、早智枝からわたしに連絡するものじゃないですか?」

 先輩はまた「大鹿ちゃん怖い」を繰り返すだろうか?

 「そうだよね」

 笑う。

 ……昨日と反応違いすぎないですか、先輩?

 「でも、怖くて言えないよね。大鹿ちゃんには。そう思ってても」

 けっきょく、それ?

 「ま、いいですけど。送っときますけど」

 ふうっ、と息をついて、笑う。

 先輩も友だちのように笑顔を返してきた。

 だいたい、早智枝は同じコースなのだ。授業の前とか後とか、何度も顔を合わせているのに、なぜ直接千鶴に言わない?

 それはいいとして。

 というより、早智枝というのはそういう子だから、それはしようがないとして。

 千鶴は考える。

 昨日のだいたい同じ時間、先輩は独りだった。だれにも、千鶴にも心を許せないで、孤立していた。

 いまは違う。

 少なくとも、千鶴とは心を許しあえた。

 千鶴が郡頭こうずまち子にひどいことをされるのを心配して第三和室まで来て。

 自分のこと、OGの陰謀のこと、いろいろと話してくれた。

 「千鶴ちゃんは強いね」

 先輩は言う。足取りまで軽くなっていて、千鶴を追い抜いている。

 強くないと思う。

 中学校からオーケストラでトロンボーンを吹いていて、しかもかなり背伸びした演奏をしてきて、トロンボーン吹きに相応の自信があったから。

 それに、もし、千鶴が首席奏者で、パートのリーダーとして上部かんべ先生とか松沢まつざわ専務とかいうひとたちに圧力をかけられたら、猪俣いのまた部長や佐藤さとう副部長や義子よしこ先輩を守るという立場を貫くことができただろうか?

 無理だった。部長たちといっしょに退部する、というのがぎりぎりだっただろう。

 駅が近づき、先輩の心はどんどん軽くなっていく。

 千鶴にふと残酷な心が芽生えた。

 そうかんたんに先輩の心を解き放ってやっていいものか!

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