第3話 冬服の二人が帰る
「あとは、あ、
言われて、
ぼうっとしていたらしい。
集中力が切れている。
たしかにもう何も言ってもむだだ。
「この曲、最初から最後まで、一日に最低十回は聴いて。聴くだけでいいから。ながら聴きでいいから。それで曲全体を頭に入れて。それだけで吹きやすさが違うからね」
言って、
「はい」
美友も上目づかいだ。
血色のよくない唇を結んでいる。たぶん「曲ぐらいもう頭に入っています」と言いたいのだろう。
ここで「そんなの頭に入ってるうちにならないから」などと指摘したら逆効果なのは最近になってようやくわかってきた。
最後に三人で合わす、というのも、ここまで二人の気が散っていると、やっても意味がない。二人の一年生の「練習はいや」という気分が倍増するだけだろう。
だから
「じゃ、終わりにしようか」
と言うと、二人の一年生の表情が明るくなった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
顔の表情は明るくなったけれど、声はそうでもない。何かがまだ引っかかっている。
このあと
「そうそう、忘れてたけど……」
と何か指摘されるのが怖いのだ。一学期にはよくそういうことをやり……。
……何の効果もなかった!
だから、二学期からはやめているのだが、それもこの一年生たちには伝わっていない。
それで、千鶴はできるだけ「満面の笑み」で
「ありがとうございました」
と頭を下げた。
二人はやっとほっと息をつく。
美友も朝実も、千鶴が赤ペンを入れたパート譜を自分のファイルにしまって、さっさと帰り支度を始めた。
美友が、トロンボーンを置いたまま、頭の後ろに両手をやっている。練習中にずれてしまった髪留めを直しているらしい。
楽器より先に、髪か。
しかも、髪の油が楽器につくと、
でも「女の子ってそういうもの」と思って、いいことにする。
この二人はもう冬の制服を着ている。
ここの学校は、いつから夏服でいつから冬服、という指定はないので、たとえ真冬に夏服を着ていても何も言われない。逆に夏でも冬服を着ている生徒はちらほらといる。日焼けを気にするのか、夏服で透けるのがいやなのか、冷房で冷えることへの対策なのかは知らない。
そんなのだから、とくに暑い季節と寒い季節の変わり目のいまは、夏服を着ている子と冬服の子が入り混じっている。
美友と朝実は、その紺色の長袖の制服の下に、大人びてきたその体の線を隠しているんだろうな。
千鶴はまだ長袖の夏服だ。
高校二年生にもなって、隠すような、大人っぽい体は持っていない。小さい女の子のような、起伏に乏しい体が、その白い夏服の下にある。
それだけ。
なんとかしなきゃ、と思っても、なんともなるものではない。
冬服の二人の一年生は、楽器一式を片づけると、二人並んで大げさに
「失礼します」
と敬礼して出て行った。
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