第27話 それぞれの決着

 ベッラとスピーナが邂逅した二つ隣の部屋では、ルクスとファミュラスが張り詰めた空気の中、互いに剣を前方に向けて構えていた。窓から差し込む月明りによって、それぞれの姿ははっきりと見えており、光の反射で剣が光っていた。静寂に支配された夜の中、ルクスの上がった息の音だけが聞こえていた。対し、ファミュラスは人間ではないという事もあってか、息一つ乱れておらず、表情も何一つ変わっていなかった。

 ルクスは走り出し、剣を携えながら距離を詰める。それに応じたファミュラスは持っていた長剣を彼に向けて振るった。ルクスはその一撃を受け止める為、持っていた剣を盾にする。力比べではファミュラスに勝てず、彼の身体は後ろへと下がってしまい、結果としてファミュラスに一撃すらも与える事が出来ない。それまでそれを何度か繰り返していた。

「全く、貴方も諦めが悪い。私と貴方とでは、得物の攻撃範囲がまるで違う。それにどうして気が付かないのですか?」

「……」

「いいえそうではありませんね、すみません。本当はそんな事はお分かりでいらっしゃいますか。それでもこうするしかありませんか」

「くっ……」

 ルクスは歯噛みした。まるで彼の手の内を分かり切っているような口振りに苛立ちを覚えた。

「さて、ここで再びご提案させて頂きましょう。先程私は貴方を殺すと宣言いたしました。ですが、私はお嬢様の御意思も尊重したいのです。どうでしょう、貴方がお嬢様の物になると今一度ここで仰れば、私はこれ以上貴方を傷付けません。勿論ベッラさんにも手出しは致しません。どうしますか?」

「……」

 ルクスは眼を瞑り、深く考える。確かに、今の自分が持つ得物では相手の元に届く前に払われてしまう。決定的な一撃を放つ事が出来ない。しかし、自分がもしも相手の提案を受け入れてしまったらどうだろうか。ベッラは今度こそ、本当の一人になってしまい路頭に迷う事になる。スピーナだって、彼女を突き動かしているのが彼女自身の独占欲だとしたら、自分の事を迎え入れたとしてもそんなに彼女の関心が自分に向くとは思えない。つまり、ここで提案を受け入れてしまったら誰も幸せになどならないだろう。となれば、彼の答えは一つだった。

「嫌だね」

 彼は短く、そう宣言した。

「ここで僕があなたの提案を受け入れる訳にはいかない。これ以上不幸になる人間を増やす訳にはいかないんです」

「そうですか、分かりました」

 ファミュラスは深いため息を吐くと、持っていた長剣を真っ直ぐに構えた。

「では、貴方にはやはりここで死んで頂きます」

 次の瞬間、ファミュラスは走り出し、ルクスを仕留められる間合いまで一気に距離を詰める。そして手にした長剣をルクスに向けて横薙ぎに振るう。

「くそっ!」

 その一撃に対し、ルクスは剣を下から上に払う事で難を逃れる。ところが、彼がそこで一度距離を離そうと後ろに跳んだ所で、何かが彼の右腕に突き刺さる。それはファミュラスが長剣を振った直後に投げていた二本のナイフだった。

「ぐああああああああああああああ!」

 あまりの痛みに、ルクスは悲痛な声を上げ、その場で膝を付く。

「おや、蘇った身とはいえ痛覚はありますか。それは良い事を知りました」

 ファミュラスはその様子を鼻で笑いながら観察していた。

「くっ!」

 ルクスは歯を食いしばって痛みに耐えながら、腕に刺さったナイフを一本、また一本と引き抜き、地面へと放り投げる。そんな彼の服の袖には血が滲んでいた。その後、腕を振り回し、調子を確かめる。確かに痛みはあるが、まだ動かす事は出来ていた。

「やれやれ、貴方も往生際が悪いですね。大人しく動かずにいてくれたらすぐに楽になれますのに」

 ファミュラスは呆れた様に手を振る。しかしその目は油断している様子も無く、鋭くルクスを捉えていた。

「そう簡単にやられるもんか。ただでさえ一度死んでいるんだ。これ以上死んでたまるか」

 ルクスは立ち上がり、剣を前方に構え、剣を介して相手を見据える。改めて見るとファミュラスは彼よりも背が高く、得物も彼が持つ物よりも大きい。その状況において彼が不利だという事は一目瞭然だった。それでも、彼はその目に闘志を燃やしていた。

(思い出せ、ベッラが言っていた事を。魔動人形には一般的には動力となる核が存在する。それはスピーナが生み出したあの人形達にも言える事だと言っていた。だとしたら、作りは違っても同じ魔動人形であるファミュラスさんも、核が身体の何処かにあるはずだ。それさえ仕留める事が出来れば、勝機はある)

 思考を巡らせながら、ルクスは相手の身体をじっと見つめる。ファミュラスの見た目は背が高い事以外は普通の人間そのものだった。

(普通の人間を模して作られているとしたら、その核の場所は……)

 そこまで考えると、ルクスは一度深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。

「覚悟はお決まりですか?」

 ルクスに向かってファミュラスがそう言った姿は、まるで彼の優位性を誇示するかのようだった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ルクスは叫びながら、剣を前に突き出してファミュラス目掛けて突進する。対し、ファミュラスは先程と同じように長剣で彼の剣を弾き返そうとした。しかし、そうはいかなかった。ルクスはファミュラスが振るった長剣に自分の剣が接触する直前、空気を抱くようにして剣を回したのである。そのため、ルクスの剣が長剣を絡め取り、彼の剣が弾かれる事は無かった。その勢いのまま、ルクスは自分の肘を長剣にぶつけた。するとファミュラスは手首の負荷に耐え切れずに長剣を手放してしまった。

「なっ……!?」

 ファミュラスが驚きの声を上げ、すぐさまナイフを持つ為に懐に手を伸ばそうとするが、気付いた時には遅かった。崩れた態勢を正し、剣を構え直したルクスが、それをファミュラスの胸に向かって突き出す。次の瞬間、ルクスの剣がファミュラスの胸の部分、普通の人間で言うところの心臓部に突き刺さったのだった。その時、ルクスは剣先に何か硬いものが当たった感触を感じた。

「があっ……!」

 ファミュラスは空気を吐き出すような声を上げ、真後ろに倒れた。そして、彼は起き上がろうとするが、その余力が無いのか、首だけが上がった。

「……」

 暫くの沈黙の後、ファミュラスは口を開いた。

「ルクスさん。私は間違っていたのでしょうか?」

「……さあね。でも、あなたがスピーナに尽くしたいという純粋な思いは、間違っていなかったと思うよ」

「そうですか……」

 ファミュラスは口角を上げた。その後、彼は頭も地面に付け、動かなくなった。それから彼が言葉を発する事は無かった。そして彼の姿は藁や木材で出来た人形のものに変わっていった。恐らく、元々人間の様な容姿に見える様に魔術が施されていたのだろうとルクスは思った。

「違う形で出会っていたら、この関係も変わったのかな?」

 ルクスはファミュラスの死を惜しみながらも、彼の亡骸の傍に彼が持っていた長剣を突き刺した。




 スピーナは上階から二階に螺旋階段を下っていく途中だった。ベッラの姿をその目で良く捉え、彼女を確実に始末出来るようにする為であった。スピーナが手を翳すと、床に幾何学模様が浮かび上がり、そこから格納していた魔動人形が現れた。それらはベッラに向かっていくが、彼女は虚空に手を伸ばし、同じく円を現出させると、そこから火の玉や槍を生み出し、それらによって人形達を迎撃していく。彼女の手によって生み出された火球や槍は、人形達の核のある胸を一直線に貫き、無力化していった。スピーナは未だに彼女に傷一つ負わせる事が出来ずにいた。

「何で、上手くいきませんの!?」

 スピーナは躍起になって、魔術を行使する。直後、先程までは数体だった魔動人形の数が十数体に増えていた。

「……」

 しかしベッラは冷静だった。相手の数が増えた途端、攻撃が来る前に魔術でそれらを仕留めた。その結果、その数は半分程度となった。

「やってくれますわね……!ならば」

 スピーナは再び魔術を使おうと手を伸ばす。その時だった。彼女はベッラに夢中で、自分の足元に意識が向かなかった。彼女は足を滑らせて、階段を転げ落ちた。そして彼女の身体は、螺旋階段の手すりの下をくぐり抜けて、二階へと落ちてしまいそうになった。

「危ない!」

 その瞬間、ベッラは反射的に手を彼女の方に伸ばした。すると、落下しかけたスピーナの身体は空中にふわりと浮かび、ゆっくりと下降していった。それはベッラの浮遊魔術だった。ベッラは床に足を付けたスピーナの元に駆け寄り、背中を擦った。

「大丈夫かしら?」

「どうして……」

 スピーナは困惑した様な声色で呟いた。

「ん?」

「どうしてワタクシを助けましたの。ワタクシはアナタを殺そうとしましたのに!?」

「……別に。ただ、ルクスだったらこうしたと思ったからこうしただけよ」

 ベッラは泣きそうになっているスピーナに、持っていたハンカチを手渡す。スピーナはそれを受け取り、涙を拭いた。その間も魔動人形達はベッラに向かって来ていたが、スピーナが指を鳴らすと、人形達はその場で動かなくなった。

「それに貴方に私を殺す理由があっても、私には貴方を殺す理由が無いもの」

「そんなの、無茶苦茶ですわ!」

「あら、散々無茶苦茶な事を言ってきて、してきたのは何処の誰かしら?」

「それは……」

 スピーナは言葉を詰まらせ、俯いた。それを見たベッラはため息を吐いた後、彼女に微笑みかけた。

「でももう良いわ。済んだ事だもの。これからは精々我が儘を言わずに慎ましく生きていく事ね」

「アナタはこんなワタクシを許すと仰るの?」

「許すわよ。でも、無かった事には出来ないかもしれないわね。もしかしたら、騎士団が貴方を追求するかもしれない。そこまで私には責任を負えないわ」

「そのくらい、覚悟の上ですわ」

 スピーナはベッラの顔を見つめた。その目には、先程までの深い憎しみの念は無いように見えた。

「それにしても、なるほど。ルクスがアナタに惹かれた理由も、今なら何となく分かりますわ。死んで記憶を失ってもなおアナタの傍に居た理由も」

「あら、彼が死んでいると知っていたの?」

「ええ。前に彼と再会した時、彼の胸に頭を当てたら鼓動が感じられませんでしたから」

「そう……」

「仕方ありませんから、暫くはアナタにルクスの事は預けますわ。でもいつかは振り向かせてみせますわ。アナタの命は奪わずに」

「そう。でも、それは出来ないかもしれないわよ。私も貴方も」

「何故ですの?」

 問われ、ベッラは遠い目をした。彼が以前、彼女に言った言葉を思い返していた。

「彼が以前言っていたの。死者と生者は」

 そう言いかけた時だった。

「お取込み中悪いけれど、お邪魔させてもらうよ」

 と、青年の声がした。彼女達が声のした方に目を向けると、隣の部屋から出て来たルクスが右腕を押さえながら壁に体重を預けているのが見えた。

「あら貴方、居たの?」

「そりゃあ居るでしょう。君よりも前にここに来たんだから。というか、君も知っているだろう?」

「そうね」

 彼の姿を見て安堵したからか、ベッラはいつも通りの口調で返した。

「アナタが戻って来たという事は、ファミュラスは?ファミュラスはどうしましたの!?」

 声を荒げるスピーナに、ルクスは顎で別の部屋を指した。

「気になるのなら見に行ってあげて」

 その言葉の通り、ルクスを先頭にしてベッラとスピーナは二つ隣の部屋に移動する。そこには、ファミュラスだったものが倒れてあるだけだった。変わり果てた従者の姿を見て、スピーナはその傍に駆け寄った。

「ファミュラス、ファミュラス!」

 懸命に声を掛けるが、それが声に応じる事は無かった。少女はその場で泣き崩れた。

「そんな、先程まで傍に居てくれましたのに……」

「これが『死』だよ」

 と、ルクスがよろめきながらスピーナに近づいて言った。

「どうしようもなく理不尽に、しかし平等に誰にでも襲い掛かる。でもそれは誰かの、何かのせいによって早く訪れてしまう時がある。それが来た時には、全て無くなってしまう。残された者が悲しみに暮れる。それが死なんだ。だから、簡単に人の命を奪うだなんてしてはいけないんだよ」

 ルクスはスピーナにそう告げる。スピーナはそれをうんうんと頷きながら聞いていた。

「それに君は、僕に執着する前に君の傍にあったものに目を向けた事があるかい?もしかしたら、これから手に入れたいものよりもずっと大切なものは、身近にあったかもしれないよ」

 その言葉で、スピーナは更に涙を流した。ルクスはそれを複雑な心境で見つめていた。その時、彼の視界に何かが映り込んだ。ファミュラスの亡骸の胸の辺り、つまりは彼が貫いた胸の所に何かが光っているのが見えたのだ。

「スピーナ、それは?」

 ルクスが指で指し示す。スピーナはそれを手に取った。それは、一部が欠けた大きな青い宝石だった。

「これは、サファイアですわね。ぺルグランデ王国の中でも採掘が盛んなもので、我が家が栄える要因になった宝石ですわ」

「青いサファイアの石言葉は、確か『誠実』と『慈愛』ね」

「誠実と慈愛……。恐らく、私にそれを持ち合わせた立派な女性になるようにとお父様が願いを込めてファミュラスの核にしてくださったのね。今となってはとても皮肉な事ね」

 スピーナは力の無い笑みを溢す。

「今からでも間に合うよ」

「え?」

「確かに過去は変えられない。これまで君がしてきた事は、変わらずに残る。けれど、これからの事は変えられるはずだ。だから、今からでも遅くは無い。君はやり直せると思うよ」

「今からでも……」

 スピーナは再び、ファミュラスの核だったサファイアをじっと見つめる。

「ファミュラス……」

 そして彼女は、今は亡き執事の名を呟きながら、涙を溢す。

「……っ!」

 その時、ルクスは右腕に再び痛みを感じて、その場を離れる。それに気が付いたベッラが彼の後を付いていく。そうして二人は隣の部屋に移動した。

「凄い怪我じゃない。待っていなさい、今すぐに回復魔術を掛けるから」

 そう言ってベッラはルクスをその場に寝かせた。そして、彼女は彼の身体に向けて手を翳す。すると、彼の身体の下の床に幾何学模様の円が浮かび上がり、彼の身体を白い光が包み込んだ。その直後から、彼の身体中に出来た傷が徐々に癒えていくのだった。

「……!」

 その時の事だった。彼の脳裏に、再び過去の記憶が蘇る。それも一つや二つの場面ではなく、失っていた全ての記憶が彼の頭の中に流れ込んでくるのだった。

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