第19話 幽霊と生者
翌日の昼頃、ルクスは町の大通りから少し外れた通りに来ていた。カリタスに事前に聞いた話によれば、その辺りに彼の恋人の店があるはずだった。幸いにもこの町にあるアクセサリー店の数は少ない。そのため、見つけるのにはそれほど苦労は掛からなかった。
「ここかな」
その店は、町に点在している一般的な家よりも小さい造りをしていた。木造の平屋で、小窓とドアが付いているだけの外観は、店というよりは小屋のような印象を抱かせる。ルクスは店の小窓を覗いた。すると、店の中には並べられた商品の様な物を整理している女性が一人居るのが見えた。肩まで伸びた薄いピンク色の髪に、りんごの様な丸い頬は可愛らしさが滲み出ている。まさにカリタスに教えてもらった恋人の特徴と一致していた。ルクスはよしと意気込んで店内に入った。
「いらっしゃいませー」
件の女性が入って来たルクスに言った。反射的にルクスは一礼する。
「ゆっくり見ていってくださいね」
笑顔で言う彼女に、ルクスは顔を逸らした。そこでルクスは妙な感じがして、彼女を横目で見た。彼女は確かに微笑んでいるが、その表情は何処か寂しさを感じさせていたのだ。無理をして笑顔を作っているような、そんな印象を抱いた。しかしそこで何かを言うのも変なので、ルクスは一旦、店内の商品を見回って機を窺う事にした。
店内には木製のテーブルが大小合わせて三台置かれており、その上に種類別にアクセサリーが並べられていた。一個の宝石を軸にしてそれを艶のある小石で繋ぎ合わせたブレスレットや、数種類の団栗を繋いで作られたネックレス、大きな宝石を加工して作られたブローチなど、幾つもの商品が目に付いた。暫く商品を見ていると、女性の方から声を掛けてきた。
「何かお探しの物はありますか?」
「あ、えーっと……ちょっと仲の良い子に渡すプレゼントを探しているんですけれど」
咄嗟にルクスは嘘を吐いた。
「あら、その子はもしかして女の子ですか?」
「ええ、まあ」
「それなら、ブレスレットなんかおすすめですよ。普段出掛ける時に付けて行けますし、可愛いのでお洒落にもなるので良いですよ」
そう言ってカリタスの恋人は置いてあったブレスレットをルクスに手渡した。
「なるほど、こういう物も良いですね。ところで、アモルさんだったらどんな物を買いますか?」
「え、どうして私の名前を?お客さん、この店は初めてですよね?」
怪訝そうな顔をする女性に、ルクスはしまったと思った。カリタスから彼女の名前を訊いてはいたが、思えばその事を彼女が知る由もなかったのだった。
「い、いや、さっき町の人に教えられたんですよ。このお店は可愛らしいアクセサリーが沢山置いてあるって。その時にお名前を聞いたんですよ」
「ああ、そうだったんですね」
納得した様子のアモルに、ルクスは安堵した。思わず鼻から息が漏れる。
「そうですね、私だったらブローチが良いかしら。服に付けてお出掛けするのも楽しみになりそうだし」
「そうなんですね」
と、そこでルクスはアモルの手首に注目した。見るとその右手首には何かが付けられていた。
「あの、ところでそれは?」
「ああ、これですか。これは恋人が私に初めて作ってくれた、思い出の詰まったブレスレットなんです」
アモルは手首を上げて見せた。そこには、小石を糸で繋ぎ合わせて作られたブレスレットが付けられていた。しかしそれは店に置いてある他の物よりも少し不格好だった。
「店の商品と比べるとちょっと下手な出来栄えでしょう?これは彼が店を始める時に作ってくれたんだけど、彼自身も上手く作れなくてごめんって謝っていたわ。それでも私は嬉しかった。今でも思うわ、他のどんなに綺麗に作られた物よりも美しいって」
「恋人さんとは仲が良いんですね」
ルクスは、我ながら残酷な事を言ったと思った。それに対する答えなど、決まっているからだ。案の定、アモルは首を横に振った。
「残念ながら、彼はもうこの世には居ないの。去年亡くなっちゃってね」
アモルの表情が段々と曇って行くのがルクスには分かった。しかし、分かっていても彼は話を続ける。自分の役割を果たす為に。
「でも、そうやってブレスレットを付けているという事は、恋人さんを想う気持ちに変わりは無いんですよね?」
思い出して悲しみが押し寄せたのか、その目に涙を浮かべながらもアモルは頷いた。
「ええ、今でも愛しているわ。だからこそ、あの人が居ない今を受け入れられなくてね」
「……」
ルクスは掛ける言葉が見つからず、俯いた。
「ごめんなさいね、暗い話をしてしまって」
「いえ、僕は大丈夫です。……また来ますね」
何となくその場に居づらくなり、ルクスは店を後にした。店を出たルクスは、人気の無い裏路地の方に足を運んだ。そこには、既にカリタスの姿があった。普通の人間には見られないと言っても、傍から見ればルクスが延々と独り言をしている様に見えるのは良くないと思い、その場所を選んだのだった。
「ルクス君、どうだった?」
開口一番、カリタスは彼女の反応を気にしていた。それに対しルクスはゆっくりと頷いた。
「どうやら、あなたの事を今でも想っているみたいでした。あなたから貰ったブレスレットをとても大事にしていましたから」
それを聞くと、カリタスは目に涙を浮かべた。
「そうか、彼女は今でもあれを大切にしてくれていたのか……」
カリタスの頬を涙が伝う。
「良かったですね」
それを見たルクスは優しく微笑んだ。
「……よし、もう十分だ」
と、カリタスは涙を拭いた。その目は何か覚悟を決めた様に鋭い光を帯びていた。
「彼女とは、決別するよ」
「えっ!?」
カリタスの唐突な発言に、ルクスは驚きを隠せなかった。
「どうしてそうなるんですか、折角彼女の気持ちが分かったのに」
「気持ちが分かったからだよ」
カリタスは空を仰いだ。その時の空は雲一つない青空だった。
「彼女がボクの事を想い続けてくれているのは嬉しい。それは本当さ。でも、このままだとボクは彼女の心をずっと縛り続ける事になる。そうなれば彼女は前には進めない。それじゃだめだと思うんだ」
「カリタスさん……」
ルクスはカリタスをじっと見つめていた。一度死んだ彼だからこそ、カリタスがどんなに悩み、並々ならぬ覚悟で大切な者との別れを決めたのか、ひしひしと伝わった。そしてルクスは、彼の思いを尊重したいと思った。
「ただ、彼女には面と向かって伝えたいんだ。ボクの思いをね」
きっとそれは、彼にとっても、彼女にとっても残酷な事だ。しかし、これは避ける事が許されない物なのだとルクスは思った。
「それなら、あの子に相談しましょう」
ルクスはそう言うと、丁度その場に顔を出した黒いドレスの少女に話を打ち明ける事にした。
夕方になり、アモルがアクセサリー店に閉店の看板を立てようとした時、そこにルクスとベッラが姿を現した。
「あら、貴方はさっきの」
「先程はどうも」
ルクスは軽く一礼した。
「もしかしてまた買いに来てくれたの?でもごめんなさいね。今日はもう店仕舞いなの」
「いえ、それはいいんです。実はあなたに伝えたい事があって」
「ん、何かしら?」
「ここでは話せないので、お店の中に入らせてくれませんか?」
アモルは不思議に思ったが、二人を店の中に案内した。ルクスは改めて店の中を見る。すると昼頃に彼が見ていた商品が幾つか売れていた。最後に店内に入ったベッラがドアを閉める。
「それで、話というのは何?」
「ああ、いや。話があるのは僕ではないんです」
「それじゃあそちらの方?」
「そう言われればそうだけれど、厳密には違うわね」
「どういう事?」
話が読めないアモルは首を傾げた。対し、ベッラとルクスは目を合わせると、同時に頷いた。
「今から起きる事は他言無用でお願いするわ」
と言った直後、ベッラは何もない床に向けて手を翳した。すると、床上に幾何学模様の円が浮かび上がった。
「……っ!?何、何なの!?」
驚くアモルに目もくれず、ベッラは魔術を行使する。浮かび上がった円から光の柱が現れ、その中心にゆらゆらと人影の様な物が現れた。そしてその影は徐々に輪郭がはっきりとしてきて、やがて完全な人の形となった。影は段々と薄くなっていき、その顔が露になった。紫色のマッシュルームヘアーにグレーの瞳を兼ね備えた青年。そう、その正体はカリタスであった。
「……え?」
その姿はベッラやルクスだけではなく、アモルの瞳にも映っていた。先刻にベッラが使ったのは、幽霊を普通の人間にも視認できるようにする、黒魔術の一種だった。それを知らないアモルにとっては、亡くなった恋人が突如として目の前に現れたという事になるだろう。
「カリタス……カリタスなの!?」
「久しぶりだね。やっと会えたね、アモル」
「……っ、カリタス!」
アモルは衝動的にカリタスに抱き着いた。カリタスも彼女に漸く言葉を交わし、触れる事が出来て嬉しさのあまり彼女を抱き締め返した。数分の間、彼らは熱い抱擁を続けた。
「でもどうして、死んじゃったのに」
「それは彼女達のお陰さ。実はボクはずっとこの町に居たんだ。君の傍に居たんだよ。でも君には触れる事も、言葉を届ける事すらも出来なかった。ボクはこの世を彷徨っていた」
カリタスとアモルは話をするために一旦身を離した。
「それが今日、変わった。彼女の力でボクは君に再会できた。これは奇跡の力だよ」
「カリタス、私も、貴方にずっと会いたかった」
二人は再び熱い視線を交わした。互いの気持ちを今一度確認をし、カリタス一度深呼吸をして本題に入る事にした。
「君にもう一度会えて嬉しい。このままずっと君を抱き締めていたい。でも、そういう訳にもいかないんだよね」
「カリタス、何を……?」
声色が重々しく変わっていく彼に、アモルは不安を抱いていた。
「今日は、これで終わりにしようと思ってここに来たんだ」
「え?」
一呼吸置いて、カリタスは言葉を紡ぐ。それがどちらにとっても不幸せな事だとしても。
「ボクはもう、この世を去る事にしたんだ」
「どうして、こうやってまた会えたのに!?」
アモルはカリタスの胸に手を当てる。カリタスはそれを優しく手で払った。
「そのブレスレット」
と、カリタスはアモルの手を取り、彼女が身に付けているアクセサリーに視線を落とす。
「ずっと大事にしてくれていたんだね。ボクが死んだ後もずっと」
「当たり前じゃない。だってこれは、貴方との思い出の詰まった、かけがえのない物だもの」
「それが問題なんだよ」
カリタスはアモルの手から自分の手を離した。
「キミがボクの事を変わらずに想ってくれているのは嬉しいよ。でも、知っての通りボクはもう死んでいるんだ。もう生き返る事も無い。そんなボクにいつまでも固執していては、キミが幸せにならないだろう?」
悲しげな表情を浮かべるカリタスに対し、アモルは首を横に振った。
「そんな事は無いわ。だって私にとって、貴方が全てなの。貴方が居ない世界なんて考えられないのよ」
「でも、ボクはもう居ないんだ」
カリタスは再三再四、事実を告げる。どうにも捻じ曲げる事の出来ない、事実を。
「ボクはもう、生きていないんだよ。でも、キミはこうして生きている。だったら、キミには前を向いて生きて欲しい。ボクに囚われずに、これからの人生を歩んで欲しいんだ」
「でも……」
アモルは俯いた。その目には涙が溢れ出ていた。
「ボクは知っているよ。キミは強い。ボクが居なくなった後もこうやって夢だったお店を開いているじゃないか。だったら、キミには出来るよ。ボクが居なくなっても、キミは生きていけるさ」
カリタスの言葉に、アモルは泣き崩れそうになった。それをカリタスが両手で彼女の身体を支えた。アモルは言葉にならない声を発し、頷いて答えた。
「それじゃあ、お別れだ」
カリタスが手を挙げて合図すると、ルクスはアモルの肩に手を置いて、彼から離した。次にカリタスがベッラの方を向いて首を縦に振ると、ベッラは手を翳し、再び魔術を行使する。すると、カリタスの立つ床の四方から光の柱が現れた。その柱は彼の身体を囲んでいき、やがて大きな一本の光となった。
「ありがとう、アモル。元気でね」
その言葉を残し、カリタスは光に包まれた。彼は最後まで爽やかな微笑みを浮かべていた。次に光が消えた頃には、彼の姿は何処にも無かった。アモルのみならず、ベッラやルクスにもその姿は確認できなかった。今度こそ、彼の魂は天へと昇って行ったのである。
「カリタス……」
残されたアモルは、その場で暫く泣いていた。近くにいたルクスは何か声を掛けようとしたが、それを後ろからベッラに止められた。彼らは立ち尽くし、彼女と同じくただ感傷に浸っていた。
カリタスが昇天した二日後の昼頃、ルクスとベッラは町に買い物に来ていた。
「結局、あれで良かったのかな?」
ルクスが頭の後ろに手を組みながら呟いた。
「今でも、ただアモルさんを悲しませてしまっただけなんじゃないかって思うんだ」
「貴方が悔やむ事では無いんじゃないかしら。貴方はあの人の死には何も関わりが無かったじゃない。貴方に出来る事なんて他に無かったと思うけれど?」
いつもと変わらない厳しい口調のベッラに、ルクスは腹を立てそうになったが、すぐにそんな気分は吹き飛んだ。確かに、彼女の言う通りだと思ったのだ。別にルクスは彼の死に際に立ち会った訳でも無い。彼の運命を変えられる立場にはいなかったのだから、そんな事を思うのは無意味な事なのだ。それは彼には分かっていた。しかし、口にせずにはいられなかった。
「そうだけどさ。カリタスさんの気持ちを考えると、やっぱり心苦しいよ」
ルクスは空を見上げながら鼻息を漏らした。
「だって、死者と生者じゃあ結ばれないのは分かっているけれど、それでも彼女の事が好きだった訳だから、あの人にとってアモルさんと決別するのを決めたのは相当な覚悟だったと思うんだ」
「死者と生者は結ばれない、ねえ」
ベッラはふとその言葉を繰り返した。まるで自分の中でその言葉を噛み砕くかのように、彼女は眉間に皺を寄せ、ぐっと歯を噛み締めていた。その曇った表情にルクスは気が付かなかった。
「カリタスさんが言う通り、アモルさんはあの人の死に心を囚われていた。でも、それを分かっていたとしても自分から愛する人の目の前で消えようだなんて僕には出来ないよ」
「あら、まるで貴方にもそれほど大切な人がいるかの様な言い方じゃない」
「さあ、どうだろうね」
ルクスはそっぽを向いたが、ベッラは彼の向いた方向に回り込んで彼の顔を覗き込んだ。自分の心を悟られないように、ルクスは再び別の方向を向いた。
「そう言えば、本当に君は黒魔術が使えるんだね」
「ええ。というか、それは貴方が蘇っている時点で分かり切っていた事でしょう?」
「それはそうだけどさ。その瞬間を僕は見ていない訳だし、君が今まで僕の前で見せた物は普通の魔術だったからさ。間近で見るのは初めてだったんだよ」
「そう言われればそうだったわね」
ベッラはふむ、と顎に手を当てながら言った。
「それで、黒魔術を実際に見た感想はどうなのかしら?やっぱり恐ろしさがあったのかしら?」
ベッラは再びルクスの顔を覗き込む。それは彼の反応を楽しんでいるかのような仕草だった。すると彼は首を横に振った。
「確かに、人から見れば生死に関わる魔術は忌避される物なのかもしれない。けれど、少なくともあの力で僕も、そしてカリタスさんも救われたんだ。それに君は人を不幸にするような力の使い方はしないだろう?要はどんな性質の力であれ、それを使う人によって邪悪な物にも神聖な物にもなるんだよ」
ルクスは自分の掌を空に翳す。その手に体温が無くても、彼女から与えられた温もりを感じていた。
「君が僕を蘇らせたのも、カリタスさんを昇天させたのも、君の心遣いだろう。だったら、それを怖がる必要なんて何処にも無いよ」
「そう……」
安堵の表れか、ベッラは一息吐いた。
「でも前から思っていたけれど、君は人前で力を使い過ぎだよ。人の為を思ってくれているのは分かるけれど、少しは自分の心配をしたらどうなんだい?大体君は僕とまた出会って間もない頃はそれを気に掛けていただろうに」
「あの時は確かに怖かったわ。誰かに見つかって、断罪されてしまうのではないかと怯えていた。けれど、この町の人達ならその心配は無いって思ったのよ。それに、今は貴方が居るでしょう?私の事を守ってくれるのよね?」
対し、ルクスは頭を手で掻いた。
「……善処するよ」
「あら、頼もしいわね」
ベッラはクスクスと笑みを浮かべた。気恥ずかしさに耐えられなくなったルクスは、話題を戻す事にした。
「それよりも、心配なのはアモルさんだよ。カリタスさんが居なくなって二日しか経っていない訳だし、あの人にとって目の前で恋人が二度死んだも同然なんだ。普通だったら耐えられないと思うんだ」
歩きながらルクスはそう言った。すると、ベッラは不意に立ち止まった。彼女の視線の先には、ある一軒の店が建っていた。
「どうやらそんな心配は要らないみたいよ」
その言葉に、ルクスはベッラの視線を追う。そこには件の女性のアクセサリー店があった。その中で、アモルは笑顔で接客をしていた。その笑顔はルクスが以前見たものに比べて屈託のないものだった。
「……そうみたいだね」
二人は微笑み、買い物の続きへと戻っていった。健気に頑張る彼女から、少しばかり勇気を分けてもらった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます