第4話
燁子は髪紐を解いて霊力をかき集めようとするが、狐姿になるほどの霊力はなかなか貯まらない。
そうこうしているうちに巨大河童がその水かきを振りかぶる。燁子は小夜を抱き抱えると後方に大きく飛んだ。
「ぐふっ」
頭をぶつけた。
「燁子、大丈夫?」
「う、うん……」
今日で何回頭をぶつけただろうか。こりゃ腫れてるなと思いながら軽やかに着地する。
河童との間に距離ができる。
すると河童は手をかざすと、黒い水の塊が生まれた。水の塊は目にも留まらぬ速さでこちらに向かってくる。
が、狐姿でなくてもある程度の能力はある。上に飛んで避け、霊力を込めた拳をお見舞いする。ぶちり、と水が水っぽくない音を立てて弾けた。
「小夜、下がってなさい!私が河童を止めるから!あとこれ!防御術付きのお守り!」
燁子はポケットから赤いお守りを放り投げる。陰陽師から護身用に貰った、物理的、霊的療法の攻撃を一度だが防いでくれる優れものだ。
「分かりました。ご武運を」
「肝座りすぎでしょかっこえうよ!」
燁子は戦に行く者としては若干締まりのない言葉を言うと暗黒河童に向き合った。
「ごちゃごちゃとうるさいいな!」
先ほどの可愛らしいソプラノの声を捨て、どすの利いた声を発した河童は銃弾のように水の玉をぶつけてくる。
燁子は避ける事なくその全てを蹴り、殴り、霊力を込めた術をぶつける事で弾けさせた。
一滴たりとも、小夜にぶつける訳にはいかない。
全ての攻撃を防いだ燁子は、防御から攻撃に転じるため河童に接近した。
水の触手を薙ぎ倒し、水の弾丸を潰すその姿はまさに現代の戦士。
あっという間に河童の目の前まで躍り出る。
「くそう、すばしっこい狐め!」
河童は叫ぶと、なんと空間の霊力を吸い出す。
「ちょ、正気?!」
攻撃の機会を失った燁子は急いで小夜のもとへと帰ろうとする。
しかしその直前、世界は反転した。
ぐにゃり、と空間が捻じ曲がる。黒い壁が解けるように消えていく。
「うぐっ」
気持ちの悪さに蹲った燁子の目に映ったのは、緑豊かな糺の森。
霊力を吸い取られたことで、「境界」は崩壊したのだ。
目の前にあるのは、現世の異和として存在する大河童。
大量の陰の霊力を吸い取ったため、その大きさは増し、もはや河童としての輪郭を保っていなかった。「べとべとさん」と言う別種の妖怪だと言われても信じ込んでしまいそうだ。
「小狐メ、叩キ潰シテヤル」
その声も、ノイズが混じったようにざらざらとして聞き取りにくくなっていた。
「
ふらふらと立ち上がった燁子は赤い髪紐を
そのままスカートのポケットに手を突っ込み、煙玉のようなものを取り出すと、豪速で上空へと投げる。
ぱん、と乾いた音と共に赤い煙が春の青空にたなびく。
今燁子が放ったのは、助けを呼ぶ信号弾だ。
霊力が高い者なら一発で気づくだろう。
目の前の河童は、燁子一人では到底叶わない強さだ。助けを呼ぶことが賢明だろう。
しかし、このまま放っておく訳にもいかない。
「小夜、どこにいるの!」
「ここです!」
小夜は上空の木の枝に引っ掛かっていた。普通に怖い高さだと思うのだが、呑気そうに手まで振っついる。
燁子は肝座りすぎだろと心の中でもう一度呟くと、「こいつを倒したら下ろすからちょい待ってて!」と叫んだ。
「御意です」
「もはや私はあんたが怖いよ?!」
少女を助けに行く戦士としては若干情けない台詞を吐きつつ、狐憑きの少女は形をなくした河童に攻撃を仕掛けた。
跳躍の高さも速さも人間姿だった時とは大違いだ。
しかし燁子には懸念があった。
それは、ここが糺の森であると言うことだ。
「境界」ならばどれだけ暴れ回っても周囲に被害はなかったが、
果たして、燁子の懸念は的中した。
跳躍し、額らしき部分に蹴りを入れるも、暗黒河童はびくともしない。そのまま胴体らしき部分から触手を生やすと、燁子を捕えようとする。燁子は身を捻って着地し黒い水の暴力から逃れるも、触手が掠った木樹が瞬く間に枯れた。
「まずい……」
小夜には倒す、と豪語してしまったが、この調子だと足止めすらもままならないだろう。
かといって、今の状態で小夜を木から下ろすのも危ない。
まさに八方塞がり。
「まぁ、死力を尽くすしかないよな」
不吉な呟きをこぼすと、燁子は河童に向かって瞬間移動かと思うほどの速さで跳んだ。
河童の目の前に躍り出ると体を引き絞り、陽の霊力を込めた拳を正確に河童の肥大化した腹に叩き込んだ。河童の体がよろめく。
その隙も見逃さずさらに蹴りをいれる。また殴る。蹴る。殴る。燁子の攻撃の手は止まらない。
「クソォ!」
河童が悪態をつき、黒い水の球を再び生成し、小夜の方に向かって放つ。燁子は跳躍すると先ほどと同じように全てを叩き潰した。
そして着地し再び蹴りを入れようとし、失敗した。足が動かない。
足元を見ると黒い水が絡みついていた。黒い水はどんどん太くなり、足への絡みつきの強さは増していく。
慌てて陽の霊力を放とうとしてゾッとした。霊力がうまく操れない。この水は、燁子の霊力を吸っている。
「くっ」
燁子はなすすべないまま黒水に侵食されていく。河童は燁子の体を持ち上げ、宙吊りにした。
「手間カケサセヤガッテ、コノクソ狐が!」
勝利を確信した河童は笑っている。
その間にも、黒水は燁子の全身を覆っていく。
「燁子!」
どんなに状況が悪化しようと冷静だった小夜の声がうまく聞き取れない。耳に水が入って気持ち悪い。
このままでは駄目だ。燁子はまだ無事な右手で必死に霊力をかき集め、術を作っていく。
ついに視界が黒く染まる。しかし、術は完成した。燁子の右手には光の杭が現れた。陽の霊力で作った武器だ。
燁子は在らん限りの力を込めて、光の杭を河童に打ち込んだ。
河童の絶叫に混じって、小夜の悲鳴が聞こえる。
それを最後に、燁子の意識は途絶えた。
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