第4話

 ネイトは、ナサニエル先生の後ろを歩きながら、ふと気づいた疑問を投げかけた。


「先生、あの・・・女神に送った羽なんですけど、途中で女神が捨ててしまっても、それは先生に分かりませんよね?」


 毎年新年に送っていた羽。

 先生の想い人である、勝利の女神が、「途中で心変わりしたら捨てて良い」と、先生は言ったけど、捨てたのを分からずに、送り続けていた可能性もあるよね?


 ナサニエル先生はニコッと笑って、

「じゃあ、考えてごらん」

 と、言った。


 へ? 何それ?

 これも補習のうちなの?


 言いたい事を飲み込んで、ネイトは言われた通りに考えてみた。


「・・・羽に、魔法をかけていたんですか? 捨ててしまったら、それが分かるように」


 ネイトの答えに、先生はまた、ニコッと笑って、

「だいたい正解。捨てたら分かるようにじゃ無いんだ。目的は別だった」

 と、言った。


「彼女が入ったのは、神殿の最奥。外部からの侵入を遮断するために、神殿には結界が張ってあるんだ。だからね、10年かけて少しずつ、ほころびを作ったんだよ。遠視魔法オメガネートで侵入できるくらいの、小さな綻びを作ろうとしたんだ」


 え・・・。

 ごめん、ちょっと引く。


 神殿の結界破りだなんて、バレたら火あぶり間違い無しでしょ。


 もしかして、ナサニエル先生ってかなりヤバイ人なんじゃ・・・


 ネイトが疑惑の視線を向けているのを、先生は気づかないのか、どんどん先へ行ってしまう。


 そして、校舎の屋上へ出た。


 春が近いと言っても、やはりまだ外は寒い。

 屋上に出ると言ってくれれば、コートを持って来たのに・・・と、ネイトは思ったが、口にしなかった。


「さて、補習を始めようか」

 ナサニエル先生が、くるりと振り返った。


「ぼく、杖を持っていません」

 ネイトが言うと、先生は軽くうなずく。


「かまわないよ。僕のやることを見ていればいい。ただし魔術師の目で見ること」


 魔術師の目?

 言われたことの意味が分からない。

 先生も杖を持っていないのに・・・


 ・・・あれ?

 そういえば、ナサニエル先生が、杖を持ったの、授業中も見たことが無いよ?


 え? 大丈夫なの??

 マジで大丈夫なの!?


 ネイトは急に不安になるが、ここまで来て帰る訳にも行かない。

 


 先生は空を振り仰いだ。

 冬の終わりの空は、雲が多く鈍色をしている。


「僕もこの10年で、『天気を動かす魔法』を使えるようになったけど、それじゃ無かったと、気付いたんだよ」


 そう言って先生は、胸ポケットから眼鏡を出して、かけた。


「ネイト、君に優しい魔法を見せてあげよう」


 優しい魔法?


 それって、簡単な魔法ってこと?

 まぁ、杖無しだったら、複雑な魔法なんて・・・


 そう思ったネイトは、先生の右手を見て、息を飲んだ。


 杖があった。

 紫の大きな魔法石まほうせきが光る、長くて立派な杖が。


「・・・七賢しちけんの杖」


 ネイトが思わずつぶやくと、ナサニエル先生は「お」と声を上げて、


「よく知っていたね、ネイト。いやぁ、良い杖なんだけど、長すぎてねぇ、持ち歩くのに不便だから、必要な時に召喚してるんだよ」


 笑いながらそんなことを言った。


 いやいやいやいやいや!

 何、あっさりとすごいこと言ってるんですかーーっ!


 七賢とは、最高位の魔術師7人に与えられる称号で、虹の七色に合わせた魔法石を付けた「七賢の杖」がそのあかしだ。


 それを持っているってことは・・・

 ナサニエル先生は、七賢の一人ってこと・・・!?


「じゃあ行ってみようか。久しぶりに杖を持ったし、視力に回していた魔力も解放した。何事も全力でやらないと、𠮟られてしまうからね」


 先生は杖の先を、高々と空へ向けた。

 先生の身体から、魔力が杖へと注がれて、魔法石がまぶしいほどに光り輝く。


「行く手をはばむ霧の幕よ、ここへ降りろ。濃霧魔法キッシーカ


 呪文はつぶやくような軽い唱え。

 なのに、杖から発せられた魔力は強大で、辺りの大気を揺るがし、巻き込み、渦巻いて、空へと上って行く


 そしてそれは、学校をすっぽりと覆うような、大きな雲になった。


 ネイトはそれを見上げて言葉にならない。

 霧を作る魔法で、先生は上空に雲を作ってしまった・・・。



「冬の冷気よ、我が手に集いて氷の華を結べ。氷結魔法コウトレイ


 次に放たれたのは、氷を作る氷結魔法ひょうけつまほう

 けれどそれは、雲を作った魔法と違っていた。


 魔力としては、さっきの濃霧魔法キッシーカと変わらないほど大きい。

 なのに杖から放たれた魔法は、とても細く繊細だ。


「魔法を・・・編んでいる」


 ネイトにはそう見えた。

 細い細い糸で、雲を包む細かい網を編んでいるように。


 強大な魔法を、威力を極限まで抑えて、質を高め、密度を濃くしている。


 そんなことができるんだ・・・


 全力で魔法を放つことを求められて、それに従ってきたネイトには、考えもつかなかったことだ。

 

「大気よ力を示せ、立ち向かうものを吹き飛ばせ疾風魔法キウソーフ


 これも同じだ。

 細く柔らかく魔力をり出して、まるで吐息を吹きかけるように、優しく雲を揺らしている。


「これが・・・優しい魔法」


 つぶやいたネイトの頭に、冷たいものが落ちてきた。


「雪だ・・・」


 ナサニエル先生が作った雲から、真っ白い雪が、あとからあとから降ってくる。


 先生は空を見上げていた。

 先生の眼鏡にも、雪が落ちる。


「・・・ああ、良かった。僕にもまだ優しい魔法が使える・・・本当に、良かった・・・」


 眼鏡に積もる雪を、拭おうともしないで、ナサニエル先生は嬉しそうに、全身で降ってくる雪を受け止めていた。


 その時、


「ネイト! ネーイート!!」


 と、大きな声が、地上の方から聞こえてきた。



続く

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