Air drop
復活の呪文
第1話:Air drop
春の穏やかな陽光が差し込む電車に、斎藤葵は一人、青春が終わる実感も湧かぬまま座っていた。制服の胸元にはピンクのカーネーション。リュックサックから紺色の筒が顔を出しているが、彼にとっては、目の前に転がる空き缶ほどの価値もない。
冷めた表情でスマホを弄っていると、閑散とした車内に車掌のアナウンスが響いた。
「今日は、埼京線沿いの青城高校で卒業式が行われると聞いております。卒業生の皆様、長い間、私達をご利用頂きありがとうございました」
少し掠れた声の男は更に続ける。
「皆様の新たな門出の際も、私達が安全に送り届けます。今後とも是非、埼京線をご利用下さいませ」
車掌の声が途切れると、葵は大きくため息をついた。
————下らない。
確かに今日、僕はあの学校を卒業した。
文化祭は一般公開もされているし、その気になれば卒業生として教員や部活を訪ねる事も出来るだろうが、そんな気は毛頭ないし、今後一生、僕があの学校を訪れる事はないだろう。
だが、それがどうした。
『卒業』は、人生における区切りの一つに過ぎず、それ自体に価値などはない。だから、卒業式後に後輩から花束を受け取ったり、異性から第二ボタンを要求されたり、三年間お世話になった部室をチームメイトと掃除したり、意中の女子生徒に最後の告白を屋上で行うなどといった青春的行動は全て意味がないのだ。
だが、だがしかし。
ああ、無情なる主よ。願わくば僕にも一度くらい、そんなイベントがあって然るべきでは無いのか。万人が平等であるならば、僕にも少しの光を見せてくれ。
クラスメイト達がサボる中で、一度も礼拝を欠かした事は無いし、僕の歌う讃美歌はビブラートが聴いていると牧師達の間でも好評だった。
だから頼む。いや、お願いします。この電車を降りる前、いや、今日が終わるまでに一つくらい青春っぽいイベントを僕に授けてつかぁさい!
葵は目を閉じ、神に念じた。
「次は、十条。十条です」
しかし、降り注いだのは天啓ではなく、車掌のアナウンス。
葵が以前よりも大きなため息をついて、スマートフォンを開くと、画面に通知が飛んできた。
『iPhone が一枚の写真を共有しようとしています』
それは、葵のスマホに搭載された画像共有機能の通知だった。
デバイスに保存された写真を、他のスマホへ電子メールやSNSを介さずに送信する機能。葵は体育祭や文化祭中に、同級生達がこの機能を用いる場面を見たことがあった。
「……なんだこれ」
葵は逡巡した。
電車という不特定多数の人物が利用する場所。この送信主は間違いなく自分の知らない人物だろう。そればかりか、送信された写真が見るに耐えない悍ましい物である可能性もある。
しかし、例えどんな不埒な写真であろうと、高校生最後の日に見知らぬ人物からもらった写真となれば、数年後には大切に思うかもしれないと考えた彼は、『受け入れる』ボタンを押した。
バイブレーションの後に、画面上に写真が表示される。
すると葵の予想とは裏腹に、写真の内容は酷くありふれた物だった。
クリーム色のメモ帳に、ボールペンで角張った達筆の文がある。その内容を凝らして見ると、葵は目を疑った。
『今日は、ご卒業おめでとうございます。遠回しするのは嫌なので、単刀直入に言います。ずっと前から好きでした。よく登下校の際に、この電車で、貴方の事を見ていました。ご高齢の方々に躊躇いなく席を譲る姿や、単語帳を使って毎日熱心に勉強する姿が印象的で、きっと、貴方は高潔で美しい心を持っているのだと思いました。よかったら、連絡先を交換してもらえないでしょうか。私は今、先頭車両にいます。もし、少しでも私に興味を持ってもらえたのなら、この電車の終点、大宮まで乗って、声をかけて下さい』
葵の全身に、第一志望の国公立の合格者リストに自分の番号を見た時と同量のアドレナリンが迸った。
————行くか、先頭車両に。
幸い電車は十条駅で数分停車するようで、移動するには最適なタイミングだ。
この文章がイタズラである可能性は否定しきれないが、葵はこの千載一遇のチャンスに賭けてみたくなった。携帯をブレザーのポケットにしまうと、通学カバンを勢いよく背負って立ち上がる。
一人の戦士の姿がそこにあった。
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