【3児ママ戦記】②育児って「無理ゲー」じゃね?

かのん

深夜の救急外来から帰る途中、長男と一生の思い出を作る

あの夜、「息子の様子がおかしい」と先に気づいたのは夫だった。


金曜日の23時。私と次女は寝室に、長男と長女は子ども部屋にいた。リビングにいた夫は、長男が咳き込んでいるのを聞いたそうだ。


彼は私の寝室に入ってきて「長男を救外(救急外来)に連れて行った方がいい」と言い、その後ろには小学2年生になる長男がいた。激しく咳こみ、どろりとした目をしている。医療従事者じゃない私もでも「あ、これはやばい」と分かる。


夫は「多分クループ症候群だと思う。最悪、そのまま入院になる」と話し、私は病院に泊まれるように入院バッグを準備した。何が必要かは分かっていた。長男には持病があって、救外に行ったまま入院したことが何度かあるからだ。


夫が近所の病院に電話をしている間に、長男の手をひいて家を出た。外には誰もおらず、不気味に静まり返っていた。金曜日の夜なのに、みんなどうしちゃったんだ? 道路には車すら走っていない。広い世界なのに、私たちの周りだけすごい速さで物事が進んでいるように思えた。


秋の夜は寒く、毒づきながら歩いていると、1台のタクシーが止まった。それに乗り込み、車は走り出した。まるで遊園地のゴーストトレインに乗って、暗い夜を駆け抜けるように。



救急外来は暖房が効きすぎていて、いつもながら受付は不快だった。


「小児科外来は大変混み合ってまして、かなり待つことになります…他の病院に行かれますか?」と、お決まりの文句を言われる。「いいえ、待ちます」と返すと、少しがっかりした顔をされる。恒例行事だ。


そもそも、小児科外来が混んでいなかったことなんてない。ただでさえ外科医は大変なのに、卸しがたい子どもを診るなんてもっと大変で、誰もなりたがらない。美容皮膚科では楽に儲けることができるから、だいたいの医者はそちらに流れる。需要と供給のバランスが釣り合っていないのだ。


小児外科医として働く医師が存在していることに感謝をささげつつ、夫にLINEで連絡を取る。「犬が吠えるような咳をしてるって伝えて。それがグループ症候群の典型的な症状だから」というメッセージを受け取り、家を出る直前のやり取りを思い出す。


「病気についてはあなたの方が詳しいんだから、長男のこと連れてってよ」と頼むと「俺はいつも家にいないから、ここ数日の長男の様子が分からない。普段の様子を知ってる君の方がいい」と真面目に返されたのだった。


夫はだいたいのことにおいて、いつも正しい。問題は伝え方だ…。そんな考えても仕方ないことを考えていると、2時間が経過した。呼ばれたのは夜1時過ぎで、その頃には小児外科医の感謝はすっかりすり切れていた。



入院にはならず、私たちは家に帰された。


病院を出たのは夜2時前。秋の空気は澄んでいて、凛としていた。タクシーは全く走っていない。長男はだいぶ回復していたので、私は長男の手を引いて歩いた。病院から家までは徒歩10分だ。眠り込んだ街を数分くらい歩いたところで「あ」と彼が言った。視線の先には空がある。


そこにはたくさんの星があった。ここ欲深い東京の街で、こんなに見えたことはない。ちょっと異常じゃないかと思うくらいだった。もっと驚いたのは、長男が星について口にしたことだった。


彼は星なんて気にするタイプではない。旅先ですら「星なんか興味ない。部屋でゲームをしていたい」と言って私の逆鱗を買っていた(無理やり引きずって外に行くのだが、なぜかいつも曇っていて星は観えなかった)。「星がきれいだね」「そうだね」なんて会話は、今まで人生でしたことがないし、これから先もないと思っていた。それがまさか、こんな形でするなんて。


「何を大げさな」と思うかもしれない。たしかに、なんてことない瞬間だ。有名校に合格したり、コンクールで一位を取ったりしたわけではない。ハワイに行ったわけではないし、大自然でキャンプをしているわけでもない。長男だってこの夜を、すぐに忘れてしまうに違いない。


それでも私は、深夜2時に長男と2人で手をつないで、静まり返った街を歩いたこと、信じられないくらいの星が目に飛び込んできたことは、これから先も覚えていると思う。もしかしたらテストで満点を取ったり、サッカーの試合でシュートを決めたことよりも記憶に残っているかもしれない。


家に戻れば、対処しなくてはいけない問題は山ほどある。これからも憂鬱なことはたくさんあるだろう。今までそういう人生を送ってきたのだから、演繹法的に、これからもきっとそういう生き方になるとしか思えない…。


何もかもがぐちゃぐちゃで絶望的な気分になって、「もう、どうしようもないな」と感じてしまうような闇夜が到来したとき。この星月夜は、きっと私の心を照らしてくれる。そう感じた。

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