第3話 蛇の神様

 「(中国史上の)戦国時代らしい要素」として、ほかに考えるのは、「なぜ蛇なんだ?」ということです。


 ひとつの可能性は、黄河流域を「中原ちゅうげん」(このころにはここが「中国」だった)と認識して、その「中原」の国を自認するせいの人が、南方のをバカにして考えたエピソードだ、という可能性です。

 蛇なら、線を一本描いたら、あと、頭を描いて舌が出ているところでも描けば蛇っぽくなる。そんなものの「早描き競争」をやっているなんて、バカな連中だねぇ、と見下している。

 ただ、楚の将軍に対して、撤退してほしいと説得するのに、楚をバカにするエピソードを持ち出すかというと、疑問です。「バカにされた!」と思った将軍が激怒して猛攻を仕掛けてきたら逆効果です。

 そうではなく、ほんとうに楚に「蛇を描く」という風習があったのかも知れません。

 楚の将軍に楚の言い伝えを使って説得をしているのですから、将軍が「そんなのうちの国では聞いたことないぞ!」というような説話は持ち出さないでしょう。それよりは、ほんとうに楚でよく知られた説話を持ち出して、あなたのお国の楚にこんな話ありますよね、と切り出す。そうすると、楚の将軍は、なじみのある説話であるうえに「こいつは黄河下流に住んでいるのに、わが楚の民間説話まで知っておる! ここまで情報収集されているなら、撤退したほうがよさそうだ」と思ってくれるかも知れません。


 蛇は、中国文明で川の神様として崇拝されていた可能性があります。


 海から遠い黄河文明・長江文明の地域で、海にかわって重要なのは黄河や長江(揚子江)やそれらの川に流れ込む大河です。

 これらの川は、人間生活に恵みをもたらすとともに、氾濫すれば広大な土地を水没させる恐ろしい存在でもありました。黄河・長江ともに流量が多いうえに、その流域の平原は真っ平らなので、氾濫するとその被害はとめどもなく広がってしまうのです(現在でもそうですよ)。しかも、エジプトのナイル川のように「いつの季節になったら氾濫する」というのがわかっていればまだしも、それも予想がつきません。

 そこで、川を支配する何者かを神格化して、崇拝することにした。

 その神を描写したのではないかと思われているのが、「饕餮とうてつもん」と呼ばれる、中国で作られた玉器ぎょっき・青銅器の文様です(玉は「たま」ではなく「美しい石材」)。様式化された、怪獣的な顔が玉器や青銅器に刻まれています。

 川に住む爬虫類を様式化したもの、また、川そのものを生きものとして蛇のような「水を好む長い巨大な生きもの」に見立てて作り上げた想像上の生きものらしい。饕餮文の怪獣自体は、角があったりして、蛇っぽくありませんが、蛇が原型になっていた可能性もあります。

 また、中国最初の王朝「」を開いたとされるには、儒教の理想の王としての性格など、いろいろな性格が統合されていますけれど、もともとは「大河を治める神」という性格があったらしい。蛇のような神様であった可能性もあり、もともとは饕餮文に描かれた神様と同じような神様だったかも知れません。

 禹は、自分で川の工事を率先してやったために、手足がぼろぼろになってしまった、という説話があります。それが蛇的な神様の姿を説明するものだったのかも知れません。

 最終的にそれが龍になり、その龍が帝王の象徴になっていった、という流れは容易に考えることができます。


 ともかく、このばあい、「楚の男たちが地面に蛇を描いた」というばあいの「蛇」は、ただの直線とかにょろにょろの曲線とかではなく、饕餮文のような、一定の様式が決められた「神様としての蛇の絵」だったということになります。

 それだったら「速く描けるかどうか競争」をやる意味もあります。

 また、「神様としての蛇」の絵だったら、「神様としての蛇」には足がないのに足を勝手に加えたら、ばちたりでとんでもない、ということになります。

 そんなんじゃないのかなぁ、と思うんですが。

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