その命令は蜜の味

無雲律人

前編

「高山部長、この書類の決裁をお願いします」

「……置いておけ」


 俺は高山たかやま孝一こういち。四十二歳で大手総合商社の部長職を勤めている。いわゆる出世街道に乗った勝ち組ってやつだ。


「高山部長、今日もクールよね。あの命令口調のまま夜の営みで囁かれたいわぁ」

「命令口調だけどパワハラするわけでもないし、部下への気遣いも完璧だから、あれはクールな俺様上司ってやつよねぇ」


 俺に好意を向ける部下がいるっていうのは重々承知している。だが、俺が求めるのは、唯一俺に命令出来るあの女……妻の莉愛良りあらだけだ。


***


「ただいま、莉愛良」

「お帰りなさい。早速だけど、今日はアクアパッツァの気分ね」

「……今すぐ作るよ。二十分だけ待ってくれないか?」

 

 莉愛良は生まれも育ちも生粋のお嬢様ってやつだ。生まれながらにして女王の気質を持った彼女は、俺の事もではなく使くらいにしか思っていないだろう。


「それより喉が渇いたわ」

「今日はアクアパッツァだから白ワインを開けようか?」

「えぇ。今すぐ飲ませて」

「……今、グラスを……」

「私はって言ったのよ」


 俺は、冷えた白ワインを口に含んで、彼女の艶やかな唇の中に落としこむ。ただの白ワインが極上のそれに変化する一瞬だ。


 素早く着替え、手際良く料理をする。宣言した二十分後にはアクアパッツァとサラダが出来上がっていた。


 彼女はテーブルの下で、綺麗に塗られたペディキュアの足先を俺の太腿に這わす。これは、今夜という合図だ。


 俺はどこまでの彼女の隷属で、彼女の命令に背く事なんて出来ない。いや、彼女の命令ならば何でも受け入れる。莉愛良の命令は蜜の味なんだ。例えそれが死を求めるものならば、喜んでその命令を受け入れるだろう。

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